旧例をもちだす家老を一蹴

以前”大名の意見<家来の意見”で、岩瀬忠震が「家臣を制御できる大名は、水戸斉昭、鍋島閑叟、島津斉彬、山内容堂だけ」と言った話を紹介しましたが、前回紹介した『想古録』にそれを示すエピソードがありました。

 

鍋島閑叟が第10代佐賀藩主に就任したころのできごとです。

 

閑叟は毛利の殿様が家老にたしなめられて意見を変えたのとは違い、家老たちをやり込めて自分に従わせました。(読みやすくするため現代仮名づかいになおし、一部漢字を平仮名にして、句読点とカギ括弧「 」をおぎなっています)

 

毛利家、君臣の家例を重んじて松魚(かつお)を擯斥せしは一見識ありて面白けれども、佐賀侯が家例を破りて鰯(いわし)を臣下に賜わりしも、また一種の卓見にして面白し。

侯[閑叟公:原注]初めて国へ下がられけるとき、鰯のぬたにて一家中へ酒を賜わらんとありければ、老臣等旧例に鰯を用いたること無ければとてこれを止めけるに、侯冷然として一笑し、

「旧例とか家格とか、とかく大層なることを申し立てるゆえ、物事渋滞して時機を誤るに至るなり。

試みに二百余年前を回顧せよ、我が先祖は一箇の鍋島平右衛門にて、難をおかし険を踏み、矢石の間に出入して鍋島一族の基礎を建てられたるものにあらずや。

この時にあたり、我が祖先と卿等[なんじら:原ルビ]の祖先とは、時ありては山野に露宿し、時ありては糧食に事を欠き、いやしくも腹を肥やすに足る物を見出すときは取りて以て兵糧となしたること、卿等の耳底に残る所ならずや。

しかるに卿等太平の昭代(しょうだい:よく治っている御代)に慣れて鰯を食うの食わぬのとは片腹痛き次第なり」

とて、老職の止めるをきかず、吏に命じてその酒肴を一同へ下されければ、藩士はかえって侯の快活なるに服しけるとぞ。

このほどその筋より偵吏[おんみつ:原ルビ]を各大藩に派遣して、その動静を探らしめけるに、九州は乱の形なけれども乱の兆しあり、また西国九州の大侯は各々その施政を異にするも、機あらば乗ぜんとの一物を腹中[はら:原ルビ]に貯うるは、各藩一般にその情を同じうす、との復命をなしたるよしなれば、前途如何なる風雲の起るやも測るべからず。

白川楽翁(松平定信)を地下より呼び起こし、天のいまだ陰雨(いんう:ふりつづく陰気な雨)せざる内に寛政の改革を復習したきものなり。(岡本花亭)

【「六九三 鍋島閑叟公、家例を破りて鰯を賜ふ」山田三川著 小出昌洋編『想古録2』平凡社東洋文庫】

 

若き日の鍋島閑叟*(国立国会図書館デジタルコレクション)

*国立国会図書館「近代日本人の肖像」では鍋島直正となっているが、実は嫡男直大の写真らしい

 

毛利の殿様は紀州家で出されたカツオが美味しかったので、藩邸でもカツオ料理を出すようにと言ったところ、家老に「前例がありません、当家は徳川のような新参者ではなく鎌倉以来の名門ですから、旧例にないことをしては御先祖様に申し訳が立ちませんぞ」と言われて、考えを改めました。

 

しかし鍋島閑叟の対応はちがいます。

 

閑叟は天保元年(1830)に17才で家督を相続し、藩主に就任しました。

 

そしてはじめてのお国入りのとき、家臣一同を招いての宴席でイワシのぬた(イワシの切り身を酢味噌で和えたもの)を出そうとして家老から前例がないと反対されると、こう言い返したのです。

 

「わが先祖も、おまえたちの先祖も、昔は山野を駆けめぐって戦った。

時によっては兵糧がなくなり食べられるものなら何でも手当たり次第に食べたという話を、聞いているだろう。

 

それなのに太平の時代になれて、イワシを食べるとか食べないとかの議論をするなど片腹痛いわ」

 

と言って、家老の反対を無視して家臣たちにイワシのぬたをふるまいました。

 

これを知った家臣たちは、前例にしばられない新藩主の快活さに心服したそうです。

ついでにいうと、島津斉彬も前例など問題にせず食べたいものを出させました。(「斉彬がニンニクを食べたら城下の風儀が改善?」)

 

二人が仲の良い従兄弟ということを以前にお話ししましたが、名君としてこういうところも似かよっています。

 

西国大名は要注意との隠密情報

話者は最後に、

 

「幕府隠密の情報によれば、九州は反乱の様子こそないがその兆候はある。

 

九州など西国大藩の大名たちはやり方は異なるが、チャンスがあれば幕府に一泡吹かせてやろうと皆考えており、この先何がおこるかわからないと報告している。

 

幕府の治政をたてなおした寛政の改革の主導者である松平定信侯をあの世から呼びもどし、天下が乱れる前に寛政の時のような改革をもう一度行なって、幕政をしっかりさせたいものだ」

 

という意味のことをのべています。

 

話者の岡本花亭(おかもと かてい)は旧幕臣で、前回の語り部である川路聖謨と同じ勘定奉行(就任は川路の10年前)でした。

 

この岡本は、NHK大河ドラマ「蒼天を衝け」で堤真一さんが演じた、一橋慶喜の腹心平岡円四郎の実父でもあります。

 

幕府の重職にいたので隠密の報告を知る機会があり、幕府の前途に不安を感じたのでしょう。

 

岡本の不安は的中し、変革することができなかった徳川幕府はほろび、西国・九州の薩長土肥を中核とする明治新政府に取って代わられました。

 

 

via 幕末島津研究室
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