浅野老公の話

前2話で、大名は食べ物も旧例に従わなければならなかったという話を紹介しました。

 

ところで、そもそも大名はふだんどのような食生活をおくっていたのでしょうか?

 

じつは大名の日常生活についてはあまり分っていません。

 

島津家の歴史博物館である尚古集成館が所蔵している島津家の古文書でも、特別な日の献立は残されていますが、ふだんの食事が書かれたものはないそうです。

 

大名の生活については、「江戸学の祖」と呼ばれる時代考証の大家三田村鳶魚(みたむら えんぎょ)が旧広島藩主の浅野長勲(あさの ながこと)から聞いた話が参考になります。

 

浅野長勲は天保13年(1842)生れで、昭和12年(1937)に96才で亡くなりました。

病気がちの養父長訓(ながみち:広島藩11代藩主)にかわって藩政を主導し、大政奉還後の方向を決めた小御所会議にも広島藩世子として出席しています。

 

孝明・明治・大正・昭和と4代の天皇にじかに接した経験をもつ貴重な存在で、「最後の大名」と呼ばれました。

 

その長勲が鳶魚に語った大名のふだんの食事はこうでした。(同様の話が『浅野長勲自叙伝』にもあります)

 

平常でも大名の食事は奢(おご)っとるだろうといいますが、私の方などは極めて質素なもので、朝は焼味噌に豆腐くらいです。

昼と晩が一汁二菜です。

好みなどということは、いつでもありません。

台所から前日に板に書いて持って来る。

ろくに見たことはないが、それでよしよしということになる。

それから、多く食ったり、少く食ったりすることも出来ない。

食い方が減りでもすると、何か調進の仕方が悪いのではないかというようなことを、台所奉行が調べる。

二ぜんなら二ぜんの飯に対して、おおよそ菜をどのくらい食うということがきまっておる。

それ以下も以上もうっかり食えんのです。

食物は台所奉行がまず食味をします。

それから近習の者が毒味をするので、これは、食味がまずくても、加減が悪うても、一言も言えない。

何か嫌いのものが出たために、目を白黒して呑み込んだという話もある。
かえって面倒なものです。

【「浅野老公のお話」三田村鳶魚 朝倉治彦編『武家の生活』中公文庫】

 

(浅野長勲『浅野長勲自叙伝』より 国立国会図書館蔵)

 

またこのようなやりとりも残っています。

 

昭和7年6月2日の夕刻に、当時の地名で本郷区向ヶ丘弥生町にあった浅野邸において代々木会会員に語ったもので、聞き手の中には三田村鳶魚もいました。

(読みやすくするために現代仮名づかいになおし、一部漢字を平仮名にしています。「 」内は浅野長勲の応答)

(問)お食事はどういうもので、何時に召し上がりますか?
「別に何時という事はなく、午前に食べますな」

(問)お腹の具合で一碗お減らしになる事もございますか?
「いや、余計食べます。努めて食べます。食べとうなくても食べます。

食べるものが少し少ないと、台所奉行がやって来ましてな、何ぞ加減が悪いのではないかと聞きます。
加減の悪い所は無い、というと直ぐ医者になる。

ご飯は何も変わっていない。それで食べないのは何か悪いのだろうという訳です」

(問)窮屈でございますな。お大名生活は楽ではございませんな。
「楽どころか、窘(くるし)められます」

(問)時に試みをすると申しまするか、お食物の味のよい悪いというのは誰がみますか?
「台所奉行が見ます。それを済ましますと、側詰が毒味をするのです。
いやもう甘いの不味いの、好い悪いのといわれんのです。
こういうのを経過して来る訳ですから」

(問)手数がかかりますな。
「だから熱いものは冷たくなる。熱いものをたべるのは難しい。

一度困った事がありました。御飯の中に芥でも落ちていれば、大抵は隠しますが、隠しおおせぬ事があります。
一度鼠の糞が入っておった。隠そうと思ったが隠せませんで、それが露れたのです。

困りました。
切腹するといってきかないので、漸(ようや)くいいぐさつけて殺さずに済みましたが、実に困りましたよ」

(問)一体平常でも、腹をお立てになる事は出来ぬ訳でございますな。
「出来ませんな。腹を立てても、怒りつけるという事は出来ませぬ」

(問)大変な事になるもんでございますな。
「いや、再び大名になるものではありませんよ」

【「浅野長勲侯懐旧談・代々木会談叢27」森徳一郎編『浅野史蹟輯録』】

 

『浅野史蹟輯録』(国立国会図書館の個人送信サービスで閲覧可能)にある代々木会の講演や、先に紹介した三田村鳶魚の聞き書きは、大名の日常がわかる貴重な史料です。

 

そこに残されているけっこう長いやりとりの中から食事の話を抜き出しましたが、好き嫌いを言えない上におかずは少なく、料理は冷めている、‥‥話を聞いていると、現代の私たちの方が江戸時代の大名よりずっとリッチな食事をしているようです。

 

浅野長勲がくり返し「大名になるものではない」と語っているとおり、大名の日常生活を知れば、大名というのは気楽なように見えるが、じっさいは窮屈で大変なポストだということがよくわかります。

 

via 幕末島津研究室
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