映画『2001年宇宙の旅』がIMAX特別上映されていると聞き、滑り込みで見れた。
なかなか衝撃的な体験だった。昔に見たのと同じものかと思うくらいに、そしてなんだか記憶も随分と曖昧だったみたいで(正直を言えば、すごく面白いと思った記憶ではない。みんながすごいすごいというからそういうものだと思って見ていた感じ)、断片的には記憶をなぞりつつも、体感としては新鮮なものだった。
ストーリーについて細かく感想は述べないが、見ながら思っていたことは「とにかくサウンドデザインがすごい」ということと「この黒い板はなんだ?」ということ。
音楽、音響効果に関しては、あれは劇場体験じゃないとわからないものだった気がする。『ツァラトゥストラはかく語りき』とか、劇中印象的だった不協和音もそうだけど、そこからすっと”無”になった時の落差がすごかった。
宇宙船ディスカバリー号とスペースポッドが対峙しているところの無音は一瞬の永遠を感じて、すごかった。
■「黒い板(モノリス)」に関して。
映画を見ながら、これが意味するものはなんだろう?とずっと考えていた。
□モノリス (2001年宇宙の旅) in wikipedia
Wikipediaによると、高度に発達した地球外生命体が作り出したものらしいが、映画を見ながらイメージしていたのは、「人間の本能・本性」みたいなものを象徴しているように見えた。
それは「闘争本能」というか、人間が武器を使って闘うことに目覚めたりのきっかけだったりもするが、月に埋められていたりと、予見されていたように、歴史の通過点には常にあるみたいな。
チェックポイントのようにそれに出会うたびに、人や文明が進化・発達しても変わらない「本質」みたいなものに向きあわざるを得ない対象というイメージで追いかけていった気がする。
■『インターステラー』との連続性
あと、以前見たのはもうかなり前というのもあったが、否が応でも『インターステラー』が思い出された(ストーリーは違っても、モノリスが非連続的に繋がっているように)。
色々なオマージュがあったようにも思うし、オマージュしたというよりはクリストファー・ノーランという人が、『2001年宇宙の旅』を観た感動を、時を越えて、自分で消化している要素をいろいろ感じた(HALの中枢にあるメモリーが並んだ部屋は、インターステラーの本棚を思わせたし)。
クリストファー・ノーランは、極力CGに頼らないことでも有名だが、リアルに設定を追い込んでいき、50年前に作られた『2001年宇宙の旅』では”いたしかたなかった飛躍”(とは言え50年前につくられたということが驚異的!)を埋めていくことも彼なりのリスペクトだったようにも感じる。
ラストの一連の映像に関しての解釈は語るべくもないが、人の"目"が宇宙にも見えり、それがグランドキャニオン的な風景を含めたあらゆる自然と相似的に重なって見えたりと、その入り口として、あるいは象徴としての「目」というものに全てが集約されている気がした。
今の人工知能のディープラーニングで、視覚的な映像処理が非常にポテンシャル高いこととか、色々なことも予見しているようにさえ見えたが、最終的には何を見つめるかが問われているというか。
とにかく映画館で観れてよかった。またいつかIMAXで上映してほしいな。
(ちなみに本編が流れる前から音楽で空気を作ったりとか、まさに劇場体験的な設計になっていてすごいと思った)