小松美羽さんの個展を見て | 喪われた和音を求めて〜プロデューサー日記〜

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今は直接文章書いておらずですが、同期した投稿のみになります。

小松美羽さんの個展を観に行った。

小松美羽展_05

すごく良かった。

以下特にいいなと思った画を四点ほど。

小松美羽展_04

小松美羽展_03

小松美羽展_02

小松美羽展_01

小松美羽さんの画は、おどろおどろしいと言う人もいるかもしれないが、アニムズム的というか、なんとも言えない土着的な神秘さがある。

しかも今回感じたのは、どの画も描かれている生き物がすごくかわいらしく見えたということ。

昨年『情熱大陸』に取り上げられた時に、その番組の中で、自分が書いた画が周りには気持ち悪がられてきたこともあると小松さんは明かしていたが、きっと本人的にはおどろおどろしく書いているつもりもなくて、小さいころから実際そう見えたのだと思う。

今回、じっくり作品を見て思ったのは、確かに、妖怪的な描かれ方をしているようにも見えるが、よくよく見ると、そこに登場する生き物はすごく無垢で、しかも何か大きなもの(愛といってもいい)に包まれている。

それは、画の中で何か生き物が単独で描かれることが少なくて、親子や家族的なペアで描かれることが多い(あるいは”何か大きな存在と私”的なニュアンスで複数の生き物が描かれていることが多い)ことにも現れていると思うし、そこに「受け継がれていく」ものというか、決して孤独ではなく”繋がっている”、そういう印象を受けた。

だからギャラリーにいる間、何かあたたかいものに包まれている、そういう感覚を持てたのだろう。それは、とても気持ち良い時間だった。

そして、個人的に嬉しかったのがギャラリーで妹の紗羽さんにも会えたこと。

「情熱大陸」を見た時に、小松美羽さんが捨てた絵を、妹の紗羽さんがゴミ箱から拾って自分の机に飾っていたというエピソードがあって、そこに涙するほど感動したのを覚えている(小松さんは、それ以来、画を捨てなくなったという)。

僕の勝手な妄想かもしれないが、小松美羽さんにとって、妹の紗羽さんの存在はかけがえがないのではないだろうか。

ずっと、そばで、損得関係なく見守ってくれる人がいる幸せ。

小松美羽さんのように、素晴らしい才能がある人でも、いや才能がある人こそ、そういう人が側にいるかいないかは本当に大きいと思う。

個人的な縁があって、小松美羽さんにはすごく優秀なプロデューサーがいるのも知っている。本人の才能や、いくらでも再生産ができるとしても無尽蔵に刷らない小松美羽さんのプロ意識も知っている。

けれど、すぐそばに大切な家族がいて、その安心感の中で、才能が形となり、進化し続けている、そういう気がしてならないし、その事自体がとても美しいと思える。

とにかく素晴らしい個展でした。
来週火曜日22日までやっているそうです。
ぜひ行かれてください!

小松美羽展@銀座三越
http://miwakomatsu.strikingly.com/

小松美羽展_06
<小松美羽さん、妹の紗羽さん、そして一緒にいった友人の稲葉俊郎さんと撮った写真>