リサ・レネイ ブログより

以下転載


ネガティブエゴを一掃するには、まずネガティブエゴが何であるかを知らなければなりません。 これは初歩的なことに思う人もいるかもしれませんが、人類の大多数、そしてライトワーカーでさえ、それが何であるかを知ろうとすらしないと断言できます。   誰もが自我や人格を持っていて、魂とスピリットはそれを通して良い働きをする可能性があります。 しかし鍵となる考えは、全ての人が自分の自我を理想的にスピリチュアル化したいわけであって、ネガティブエゴの存在は認めたくないということです。 このレッスンをマスターする鍵は、世界には2つの考え方があり、それはたった2つであることを理解することです。  これは、スピリチュアルな信念の有無に関係なく、全ての人類が当てはまる2つの異なる人生哲学があると言えるかもしれません。 神が創造した無限の宇宙にいる全ての人は、スピリット・魂、あるいはキリストのマインドで考えるか、ネガティブエゴのマインドで考えるかのどちらかです。 創造の前、そして創造の直後には、ネガティブエゴのマインドは存在していませんでした。 それは、ネガティブマインドを創造したのは神ではないということです。 神の息子や娘達が肉体を持つ人間になり、物質に対して過剰に同一視した結果、ネガティブマインドが生まれたという点では、人類が創造したと言っていいかもしれません。 神の息子や娘達がただ肉体に宿り、肉体に滞在しているということではなく、自分と肉体を同一視したその瞬間に、ネガティブエゴが生まれたのです。  これは聖書の中で、アダムとイブが禁断の実を食べる話と、ネガティブエゴのマインドや低次の自己の象徴である蛇の話として言及されています。 この2つの哲学は、「低次の自己」と「高次の自己」の哲学と呼ぶことができます。 「低次の自己」に耳を傾ければ、「低俗な存在」として生きることになります。 もしあなたが「高次の自己」、「聖霊」、「魂」、「モナド」、「キリストのマインド」の哲学に耳を傾けるのであれば、あなたは「高次の生命体としての存在」を生きることになります。  神の真実に気付く為には、低次の自己による人生の解釈と認識から離れて、代わりに高次の自己から人生を解釈し、認識し続けなければなりません。 思考が現実を創造するので、どの哲学を選択するかによって、あなたが何を見るかが決まるのです 実際、人間は目で見るのではなく、マインドで見ます。 サイババが「あなたのマインドは束縛を創り出せば、解放をも創り出す」と言ったのはそのためです。  思考が、気持ち・感情・行動、そして体の健康や病気を作り出します。 心理的健康とは、良いメンタリティを維持することに他なりません。 『奇跡のコース』の中では、「鍵となるのは、神のものでない思考があなたのマインドに入ってくるのを拒否することである」と述べられています。 常に神とその王国を見張って下さい。 そして決して自動操縦にならないことです。 つまりネガティブエゴの思考があなたのマインドに入ってきそうになったら、それを拒否して追い出すのです。 ネガティブエゴの侵入は一日に何百万回も起こっていることなのです。 あなたは自分の人格の総責任者であり、それを選ぶのはあなたです。 あなたがどんなにお願いしても、神やアセンデッド マスター達はこれを代わりにやってはくれません。これはあなたの仕事なのです。  ネガティブな思考を拒否し、常に光の中でマインドを安定させることで、ネガティブな思考はエネルギー不足によって消滅します。 あなたの成長レベルに関係なく、常に警戒心を保持しなければなりませんが、難しいのは最初のうちだけです。 ネガティブエゴの本質は、恐れ、分離、自己中心性です。  これはネガティブな催眠状態で生きているようなもので、夢を見ているようなものです。 夜、夢を見ている時、その夢が現実だと信じ、感じています。 朝、悪夢から目覚めた時、「夢でよかった 」と安心します。 つまり目を開けたまま夢を見ているのに、意識的な生活を送っていると思っていて、この状態が普通になっているということです。 これは人生をキリストのマインドから解釈するのではなく、ネガティブエゴの解釈の夢の中で生きているのです。  外界で起こっていることが何であれ、常に内なる平穏、落ち着き、喜び、幸福、無条件の愛、平常心、平静さをもたらす人生における解釈の方法があります。 また、怒り、動揺、いらだち、焦り、不機嫌、感情的、不安定、躁鬱、憂鬱、悲しみをもたらす解釈の方法もあります。 全てはあなたが人生を解釈する方法に関係しているのです。  宇宙と戦うのではなく、宇宙と共に流れていく方法の一つの例は、「祝福の方法」です。  聖霊とマスターは、私達に、人生で起こる全てのことを祝福し、感謝してもらいたいのです。 聖書の「わたしの意志ではなく、神のご意志です」という言葉のようなものです。 ネガティブエゴは、物事を教え、教訓、課題、あるいは贈り物としては解釈しません。 執着や期待が満たされないと呪い、怒ります。  キリストのマインドには好みはありますが、執着はありません。 内なる平和は、自己の外側にある何かに左右されるものではなく、マインドの状態なので、どちらにしても幸せなのです。 人生に入ってくるものすべてを祝福し、逆境を歓迎してください。 あなたに影響を与える範囲に入ってくることは全て理由があって起こることであり、神があなたに学ぶべきことを教えてくれているのです。これは、2つの異なる人生哲学について語っていることのほんの一例です。  地球上の全ての人が抱えている本当の問題はただ一つ、ネガティブエゴだけであることを理解することが大切です。 ネガティブエゴは、全てのネガティブな感情、全てのネガティブな思考、全てのネガティブな行動、全ての身体的な病気、全ての心理的な病気、全ての人間関係の問題、そして貧困意識やお金の不足を招く原因です。  要するに、あなたを神の実現から妨げているのは、ネガティブエゴなのです。 エイリアン インプラント、ネガティブなエレメンタル、寄生虫、ネガティブな刷り込み、エーテルの損傷、エーテル粘液、アストラルエンティティ、根強い恐怖、グレイのフィールド、ネガティブな典型の影響を受けやすくしているのは、あらゆる幼児的なバリエーションと現れ方をしたネガティブエゴなのです。 要するに、ネガティブエゴは不均衡をもたらすものと定義できます。 人がバランスを崩している時はいつでも、ネガティブエゴが原因なのです。 つまり、どの声に耳を傾けているかということです。 分離の声を聞いているのか、ワンネスの声を聞いているのか。恐れの声を聴いているのか、それとも完全な愛の声を聴いているのか。 あなたは自己中心的な声を聞いているのか、それともグループ意識の声を聞いているのでしょうか? もう一度選び直すことです。  人は、人生の一瞬一瞬に神か自我のどちらかを選択しています。 今日この日から、何があっても神と聖霊だけを選ぶという誓いを自分自身と神との間で立てるという課題を出します。 この誓いは自分の人生を進歩させる為のものです。 神の為にネガティブエゴと低次の自己の扉を閉ざし、二度と意識的にこの道を選ばないという選択をすることです。  完璧さとは決して間違いを犯さないことではなく、間違いを犯しても気付かないことなのです。 私は今、あなたに存在の究極の実存的選択を突きつけます。 神を望むのか、それとも人生で物質と過剰に同一化したい自我を望むのかという選択です。  ヨガナンダが言ったように、神を望むなら、溺れている人が空気を欲しがるように、神を求めなければなりません。 私達は実のところ、肉体ではなく、肉体に宿る「永遠の自己」です。 人間は皆、永遠の自己と同じアイデンティティを共有しているのです。 イエスは、この戒律全体を「魂を尽くし、マインドを尽くし、思いを尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛し、自分を愛するように隣人を愛しなさい」と要約しました。  ライトワーカー達はスピリチュアルなレベルに焦点を当て、大きな進歩を遂げてきたのかもしれませんが、この核となる心理的レベルがマスターされていないと、癌になります。 これは「態度による治癒」の科学です。 アセンションを達成したり輪廻の輪を断ち切ったとしても、あなたの仕事が終わり、神を悟ったマスターになったわけではありません。 最高の宇宙レベルで源に戻る為のイニシエーションには多くのレベルがあることを忘れないでください。 この惑星意識レベルに到達した時、本当の仕事が始まります。 自分はもう目標を達成したのだから遊びを楽しもうと思っていたなら、考え直してください。 それは全く逆です。 マスター達から多くのことが与えられ、多くのことが期待されています。  期待されていることは第一に、あらゆる場面で、あらゆる人との接触において、常に神またはキリストのように振る舞うことです。 第二に、自然な表現は惑星世界への奉仕です。 どのような形を取るかはあなた次第ですが、これは前進する為の要件です。 何らかの形で兄弟姉妹を助けずに前進することはできません。 実のところ、これがあなたが今ここにいる唯一の理由です。 ネガティブエゴを拒否し、キリスト意識を選択するというこの最初のレッスンから始めて、それに付随するレッスンも必要です。 それは四体 (肉体・精神体・感情体・霊体) のバランスをとることを学ぶことと、3 つのマインド (意識・潜在意識・超意識) の統合を学ぶことと、インナーチャイルドを適切に育てることを学ぶことと、自分を愛し、自尊心を育むこと、常に自分の個人的な力を持っていることを学ぶこと、潜在意識を再プログラムすることを学ぶこと、性的エネルギーを適切に制御すること、霊的な自己防衛、正しい人間関係、肉体という乗り物を適切にケアすること、そして本能的な欲求の体をマスターすることです。 ネガティブエゴのプログラミングがまだ稼働していると、これらの領域のいずれかに不均衡が生じます。 多くのライトワーカーは頭が重くなっています。 例えるなら、彼らは大量のエネルギーを使って霊的な管で濾過しているので、精神的、感情的、肉体的な管が枯渇しているのです。 これにより、不均衡や漏れが生じ、多くの問題が発生します。 同じことがチャクラにも見られます。  特定のチャクラが過度に強調され、一部のチャクラが過剰に活動し、他のチャクラが活動不足になると、腺系に影響を及ぼします。 四体全てでエネルギーののバランスを保たなくてはなりません。 感情に固執し過ぎるあまり、精神体・感情体、そして肉体に執着するライトワーカーもいるかもしれません。 重要な教訓は、全ての事において、バランスと節度です。  この問題全てに対処し、習得してこそ、真の自己実現を達成し、アセンションを完全に完了できます。 この心理的レベルを本当に習得する前に、7 つのイニシエーション レベルをインストールしてアクティブ化できますが、この領域を習得するまでは、アセンションを完全に「実現」することはできません。 これにより、全てのレベルで真に自己実現した存在になることができます。 ネガティブエゴを表すもう一つの言葉は、「二元性」という言葉です。 ネガティブエゴを完全に超越することで、二元性の世界を超越することを学びます。 これが重要な理由は、人がアセンションと 7 つのイニシエーション レベルに進むにつれて、自分のカルマだけでなく惑星全体のカルマも浄化し始め、ある程度、自分のオーバーソウルの全ての魂の延長と自分のモナドの 144 の魂の延長からカルマを消去し始めるからです。 進化を続けると、グループ ソウルのレベル、グループ モナドのレベル、そして最終的には太陽、銀河、宇宙レベルでの浄化へと続きます。 自分自身の浄化が完全でないのに、もっと大きく、より拡張的なレベルでそれを行うことなどできないのです。  四体のバランスが崩れていると、肉体的なレベルでは疲労として、感情的なレベルでは気分の落ち込みやネガティブな感情として、精神的なレベルではネガティブな思考として現れるかもしれません。 肉体的なレベルでは不適切な食生活もあるかもしれません。 スピリチュアルなレベルでは、瞑想のし過ぎや、瞑想が少な過ぎるのかもしれません。  バランスの取れた人とは、穏やかな人であり、内なる平和を持っている人です。 バランスの取れた人は冷静でありながら、自分自身や他の人々、人生に対してとても敏感です。  四体のバランスを取ることは、静止したり動かないということではなく、穏やかなシーソーや、常に微妙な調整を行っている車の運転のようなものです。 バランスの取れた人は、自分が適切な範囲から微妙に外れていることを感じて、個々の体や生命全体で、警戒して適切な修正を行うことができます。 私達はある意味で集団意識の中で生きています。 肉体、感情体、精神体、霊体、インナーチャイルド、内なる親、潜在意識、意識、超意識、7 つの原始のチャクラ、ネガティブエゴのマインドに対するキリストのマインド、魂、モナド、そして人格の間でバランスを取らなければならないのです。  理想的な立場を取ろうとするネガティブエゴを除いて、それぞれの部分には声があり、居場所があり、それは魂やモナドとの完全な統合を可能にするものです。 この全ての部分は、内部の広大なコミュニケーションシステムを形成しているので、私達はそのシステムに同調し、尊重し続けなければなりません。 そうしないと、バランスが崩れ、ドミノ倒しのようにあらゆる問題が引き起こされることになりかねません。 人は、神や他人に正直に接する前に、まずは自分自身に正直にならなければなりません。 私達一人ひとりがオーケストラの指揮者のように、美しいシンフォニーを奏でるように全てをバランスよくまとめなければならないのです。 顕在意識が責任者であっても、チーム全体は魂やアバターセルフの指示に完全に従います。 これを「神の顕現」と呼びます。  今、兄弟姉妹にこう言わなければなりません。 この瞬間に、地球上で神の顕現を示すという目的の為に、魂とモナドに奉仕するこの絶妙な相乗効果のバランスを維持することに、進んで取り組む意志はありますか? これは、神が私達全員に今この瞬間に身に着けさせ、地上での神への愛と献身の賛辞として示すことを望んでおられる課題であり、「キリストのマント」なのです。  そのような崇高な目的の為に人生を捧げる意志がありますか? これは全ての宗教、全てのミステリースクール、そして全てのスピリチュアルな伝統の道に共通しています。 空中浮遊・テレポーテーション・念力・物質化といったものに取り組む前にまずは、この側面に100%専念し、日常生活の中で実証しなければならないのです。  これはある界隈では、日常生活における「神のプレゼンスの実践」と呼ばれています。 人類全員にとって、これほど崇高な目的があるでしょうか? 無限の宇宙の中で、私達がエネルギーを集中すべきことが他にあるのでしょうか。