ブルー ブルームより
以下転載

なぜ正直者が損をして憎まれっ子世に憚るのか?

「憎まれっ子世に憚る」とは 「他人から憎まれている人ほど、世間で上手にやっていける」 という意味だと書かれているが、この解釈は間違っている。

自然の摂理では多様性を維持しようとするので「少数派も必要だと抹殺されない」のであります。

自然の法則は、個の多様性を維持し、個々を野放し自由に繁栄させ、後で淘汰して全体に分配するという決まったルールがある。

だから現実的に無意味だと思われる共産党も無くならないし、存在が悪しかない殺人ウイルスも絶滅しない。
それは、人間から見ると「悪」としか思えないモノでも、自然が必要としているから無くならないのである。
植物でも動物でも自然界の全体のバランスの中で栄えたり淘汰される。

また、必要な仕事があると、スティーブ・ジョブズのように仕事が完成するまで病気が治ったりする。
以前にも書きましたが、安倍晋三の大腸の難病が快癒して政界復帰したのも同様であります。
安倍晋三が政界に復帰した時、酒屋でこの話をして「この男は歴史に名前を残すぞ」と予言したら、同級生から総スカンされました。
しかしながら私の方が正しかったと思う。

だから、逆に正直者が多数であるとバランスを維持する為に「正直者が損をする」という理不尽なことが起きるのです。
例は変かもしれませんが、役所の奨励を「大義名分」を信じて能天気に守っていると、
役所の政策目的が達成されると無情に奨励が急に外されて困惑するようなことは良くある話である。

つまり、周囲から理解されず避けられるような人、もしくは大多数の人が行かない道を選んで進むような人の方が
逆に希少価値となって必ず一定数の支持者が存在し世の中を上手に渡っていくことができる可能性が高く、
大多数に従っているとある時期が来るといきなり淘汰される危険性が高いということを覚えておくと良いと思います。