首都大学オープンユニバーシティ「イタリア 歴史&美術散歩」の講義(SABA講師)は、28日第13,14回目の講義をもって終了した。(先週は急用で欠席)
最終回は、14世紀初頭イタリア統一に尽力した皇帝ハインリヒ7世を支援した詩人で、政治家ダンテに関する評伝の紹介だった。
皇帝ハインリヒ7世は、14世紀初頭イタリアに統一世俗権力を樹立しようとしたが、挫折し、イタリアは内紛に陥った。ダンテは、この混乱と紛争の証人であるだけでなく、主役の一人でもあったと言われている。偏狭狷介、党派心に凝り固まったダンテであったが、この時代の栄光と悲惨、信仰と迷信、渇仰と偏見を、これほど一心に体現した詩人はいないと言われているそうである。
その後、ダンテは、政治に首を突っ込み、30歳とき政界に出たが、政争に巻き込まれ「一人一党」の一匹狼の道を旅することになった。
ダンテは、晩年には大学で修辞学を担当し、生涯のうちで最も静かな時期を送り、文学者として最も多産な時期だったと言われている。そしてダンテは、国民統一の最大の武器である「イタリア語」をイタリア人に与えた。この事だけで「祖国の父」と讃えるに十分であると言われているそうである。
最終回は、14世紀初頭イタリア統一に尽力した皇帝ハインリヒ7世を支援した詩人で、政治家ダンテに関する評伝の紹介だった。
皇帝ハインリヒ7世は、14世紀初頭イタリアに統一世俗権力を樹立しようとしたが、挫折し、イタリアは内紛に陥った。ダンテは、この混乱と紛争の証人であるだけでなく、主役の一人でもあったと言われている。偏狭狷介、党派心に凝り固まったダンテであったが、この時代の栄光と悲惨、信仰と迷信、渇仰と偏見を、これほど一心に体現した詩人はいないと言われているそうである。
その後、ダンテは、政治に首を突っ込み、30歳とき政界に出たが、政争に巻き込まれ「一人一党」の一匹狼の道を旅することになった。
ダンテは、晩年には大学で修辞学を担当し、生涯のうちで最も静かな時期を送り、文学者として最も多産な時期だったと言われている。そしてダンテは、国民統一の最大の武器である「イタリア語」をイタリア人に与えた。この事だけで「祖国の父」と讃えるに十分であると言われているそうである。