鎌倉智士が選ぶ鎌倉の山10選
第10位小松山、第9位山碕山、第8位鎌倉山、第7位玉輪山、第6位梶原山、第5位皆城山、第4位大塚山、第3位霊仙山、第2位駒立山、第1位神輿山
 
鎌倉武士ガイドをはじめて10年目を迎える鎌倉智士です。
生まれも育ちもこの湘南鎌倉である鎌倉智士が子どものころから走り回っていた山のなかの道は、年々姿を変えてしまい、宅地造成などで消えていってしまった道も少なくありません。「知る人ぞ知る鎌倉の山道散歩」シリーズでは、一日中ずっと山のなかにいても人一人会わないようなマニアックな山道を案内しております。そんな鎌倉智士が選ぶ鎌倉の山10選を紹介いたします。
 
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第10位小松山(洲崎山・天神山・丸山・権五郎山・休場山・大平山・天守山)
難易度(険しさ)★ 史跡・歴史★★ マイナー度★ 魅力★★ 自然環境★★ 平均★1.6
現在は宅地造成など土地開発により見るも無残な状態であるが、洲崎古戦場といわれるかつての戦場を偲ばせる旧跡が散らばっている。中でも泣塔は代表的。字としては小松・洲崎(寺分)周辺。北を天神山、中央を丸山、南に権五郎山を有する。山道としては鎌倉中央公園周辺にかすかに残るのみ。
 
天神山はその名の通り、天神のある山。現在は北野神社と称される神社で、山崎天神社・北野天神などとも称されていた。暦応年間(1338~1342年)に夢窓疎石が京都北野天満宮を勧請したものというのが通説ではあるものの、境内社に神明社があり、永久5年(1117年)に鎌倉権五郎景政とその一族が伊勢神宮大庭御厨を寄進し、所領各所に御霊神社および神明神社を建立していった名残と捉えることも決して難しくはない。
また、尾根伝いには、天慶年間(938~947年)に平良文が霊夢により天神を祀ったのがはじまりとする洲崎天満宮があり、山崎の北野神社も平良文による勧請である可能性を残している。
洲崎天満宮は現在では天満宮と称される神社で、洲崎神社・上町屋天満宮・山根天満宮ともいわれていた。社殿は天明元年(1781年)に再建されたものであり、さらに山根は1950~1960年ころには崩されてしまったことから、かつては鎌倉道として鎌倉へ通じていた洲崎の山道は天満宮(山根)から登ることは不可能となっている。また、天守山も崩されてしまい一部のやぐらが形跡を偲ばせる程度。
丸山は別名富士塚といわれる山であり、富士塚は富士信仰に基づいて富士山に模して造営された塚のことで、すでに存在していた古墳(丘)を利用してつくられた。頂上には富士浅間神社を祀り、富士山の山開きの日には富士講たちが富士塚に登山する習慣があったといわれている。山頂にある石像は寛永2年(1849年)につくられた釈迦像だが持ち去られてしまったのか現在は頭部がない。分断されてしっかりと残っていないが狐坂という登山口が現在もかすかに残る。
宮里にある御霊神社に鎮座する山を権五郎山といい、天神山や丸山も含め、大平山や日当山を尾根伝いに梶原山へ通じている。権五郎山の麓には梶原景時の墓がひっそりと佇んでいる。
 
 
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第9位山碕山(山崎山・長崎山・諏訪山・室台・水道山・岱山・西岱山)
難易度(険しさ)★ 史跡・歴史★★ マイナー度★★ 魅力★★ 自然環境★★ 平均★1.8
現在の鎌倉市台周辺一帯。山崎川から東。字としては山崎・祢田周辺。倉久保谷(倉久保川)を隔てて室台と水道山が並び、東には岱という山があり、地獄谷(現在の瓜谷)が東側の境に位置する。
見所は台峰であり、巨福呂谷を隔てた反対側の山(円覚寺など)を望むことができる。また、倉久保谷には谷戸の池という自然豊かな山道が残っていたが、現在は公園化が進められておりかなり崩されてしまっている。
水道山は戦争中に山碕切通(臥龍峡)をつくったことによって分断されてしまっており、鎌倉に通じていた水道山の山道は現在は山崎小学校の裏側からしか入ることができない。神明神社のある山(千代塚)もかつては水道山の一部として鎌倉に通じていた。
現在の神明神社は「台のお宮さん」といわれ、元亀年間(1570~1573年)に疫病が流行したために村人4人が伊勢詣に出向いてたまわった神札を祀ったのが起源という通説があるものの、先述したように永久5年(1117年)に鎌倉権五郎景政とその一族が伊勢神宮大庭御厨を寄進し、所領各所に御霊神社および神明神社を建立していった名残と捉えることも決して難しくはない。現在の社殿は承応3年(1645年)に再建されたもので、岱の村内にあった淡路神社・第六天社・諏訪神社の3社が合祀されている。
 
 
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第8位鎌倉山(海潮山・石井山・随我山・弘延山・内裏山・南向山・天照山・名越山・浅間山・水道山・猿畠山・衣張山・詫間山・大室山・祇園山・秋葉山・住吉山・披露山・大崎・飯島・羽黒山・柏原山・明石山)
難易度(険しさ)★ 史跡・歴史★★ マイナー度★★ 魅力★★ 自然環境★★★ 平均★2.0
現在鎌倉山という住所は、昭和4年(1929年)に別荘地として開拓された土地に名付けられた名前である。鎌倉山という名前がみえる最も古い史料は万葉集に収録された歌とされている。その後も平安時代・鎌倉時代にかけて鎌倉山という名称が様々な史料に登場するが、これらの鎌倉山はあくまでも「鎌倉の山」という意味で使われており特定の山を指す物ではないというのが通説である。
しかし現在の鎌倉市大町周辺の山をかつて鎌倉山と称していた可能性がある。長くなるので詳細はこちら。鎌倉山は現在の妙長寺周辺(元八幡)、つまり鎌倉権五郎景政の一族の本拠地を中心とする山を示す。
南に飯島・大崎そして住吉山や披露山、中央に名越山・水道山・浅間山、北に詫間山・衣張山・大室山・祇園山、東に明石山・柏原山・羽黒山を有する。東は池子・六浦。南は久野谷・柏原。
字としては、鎌倉市大町・材木座を中心とする一帯。
残念ながら住吉山小坪切通などを含めた光明寺周辺の山は宅地造成によって崩されてしまっており、かながわ景勝50選に選ばれてはいるものの跡形もない。かつては通れた秋葉山も現在は不通となっている。
名越山より南は披露山など含めほぼ宅地開発によって見所を失っている。法性寺周辺には浅間山水道山といったいまでも自然豊かな山道が残っており、名越切通まんだら堂やぐら群など見所がある。衣張山周辺もいくつかの山への入口があり楽しめるが、釈迦堂口切通など入れない場所もあり、日月やぐら唐糸やぐらなど見ることのできない史跡も存在する。
東には池子の森自然公園や久木大池公園から六浦に通じる明石山などの尾根がつづいていてハイキングを楽しめる。尾根は朝比奈切通へもつづいている。
 
 
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第7位玉輪山(玉縄山・陽谷山・伊勢山・無我相山・城山・大塚山・御幣山・大谷山・宮山・丸山・三日月山・柄沢山・坊主山・向山・谷戸山・十二天塚・獅々山・八幡山・村岡山・御霊山・旗立山・長崎山・龍燈山・兜山・長尾臺)
難易度(険しさ)★ 史跡・歴史★★★ マイナー度★★★ 魅力★★ 自然環境★★★ 平均★2.4
現在の鎌倉市の最北端に位置する。鎌倉市岡本・関谷・植木・城廻といった玉縄地域一帯を中心とした山々。この山の最南端は村岡山であり、大塚山や御幣山など玉縄城の支城として玉縄北條氏によって縄張りされた防衛拠点が連なる。村岡山は鎌倉権五郎景政の先祖平良文が土着した土地であり、鎌倉を拓いた第一人者が足がかりとした鎌倉のルーツとされる聖地である。
玉縄城を中心とした山であり、北は長尾景虎を輩出した長尾一族の本拠地である長尾臺がある。西は滝ノ川を境。大谷にある柄澤や外原など、石原谷にある鞍骨などの字がある。北は関屋川を境。字は関屋(現在の関谷)、打越、城廻、大面、坪入、長尾臺、田谷などがある。西は村岡川。字は岡本・戸部など。南は渡内・高谷・小塚・村岡・河原などの字がある。
宅地造成によってほぼ壊滅的に山は崩されてしまっており、かつてを偲ばせる山はほぼない。大鋸方面、大塚山から御幣山へとつづく尾根から下る赤坂は現在公園の名として遺っていたり、かすかに残っている遺名もあるが意味を伝える試みがなされていないので残念ながら埋もれてしまっており、人々の記憶からも消えてしまっている。
山道としての見所は龍寶寺周辺の山一帯。岡本神社から登ることができる。陽谷山の山頂はかつては御霊神社があったとされる字古宮があり、伊勢山の名も鎌倉権五郎景政の一族との関係を語っている。さらにすぐ近くには神明神社があり、この岡本周辺を鎌倉権五郎景政の一族が拓き治めていたことをうかがわせる。陽谷山・伊勢山は龍寶寺の北、栄光学園の校庭を経て諏訪神社にも通じている。
鎌倉古道をかすかに伝える村岡山(村岡御霊神社の裏)も見所の一つ。残念ながら山はほんの一部しか残っていないが、堂坂の切通部分は人目を惹くぐらいしっかりと残されている。
 
 
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第6位梶原山(日当山・六本松・葛原岡・天柱峰・松岡山・金宝山・源氏山・佐助稲荷山・石切山・扇谷山・泉谷山・飯盛山・鶯谷山・常盤山・大丸山・峯山・桔梗山)
難易度(険しさ)★★ 史跡・歴史★★★ マイナー度★★ 魅力★★★ 自然環境★★★ 平均★2.6
北には天柱峰、中央には梶原山(現在の葛原岡)、東には化粧坂、西には日当山や大平山を有する。字としては梶原・常盤を中心に、亀谷・泉谷・雪下へ及ぶ山。
梶原の谷の六本松から梶原山(葛原岡)に登り、東の化粧坂を下り鎌倉へ通じている。
六本松源頼朝が千葉で勢力を盛り返して鎌倉を再度攻めた際に戦地となった場所であり、源義経の家臣駿河清重(駿河次郎)が鎌倉を見下したところとも伝えられている。また、応永23年(1416年)に上杉禅秀方の足利満隆軍と扇谷の上杉氏定軍が戦った地ともいわれている。
梶原谷には新田義貞軍の鎌倉攻めで敗れた武士が自害したところとされる地もあり、上ノ道から下ってきて鎌倉に入る玄関口であったことがうかがえる。
北の天柱峰は、鎌倉随一のパワースポット。地獄谷(瓜谷)にもいくつかやぐら群があり見所である。
常盤山はいまでも豊かな山道が残っており、常盤八雲神社や殿入、館台(たちんだい)などいくつかの入口が豊かに残っており、佐助稲荷山梶原山へと尾根つづきに通じている。
梶原の谷を囲む梶原山・源氏山・常盤山の山々はハイキングには最高の山道となっている。
化粧坂を下れば鎌倉市街地へとつながり、そのまま尾根道を歩けば扇谷山・泉谷山・鶯谷山から天園方面へとつづいている。途中で亀谷坂巨福呂坂へと下る道もあり、かつては浄光明寺からも巨福呂坂へつづいていた。現在は不通となっており巨福呂坂は通れない。また亀谷坂も山の往来のための道ではなく単に北鎌倉方面へ抜けるためだけの道となってしまっている。
 
 
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第5位皆城山(北山・亀鏡山・寿福山・離山・鷲峰山・大平山・五林山・天台山・胡桃山・大臣山・大蔵山・粟船山・六国見山)
難易度(険しさ)★★ 史跡・歴史★★★ マイナー度★★★ 魅力★★★ 自然環境★★★★ 平均★3.0
小坂一帯。現在の小坂小学校を中心とする山々。字としては岩瀬や今泉の谷や巨福呂の谷にも及ぶ。
皆城山は山内から入ることができる山。山内という地名が時代によって南下してしまい現在の北鎌倉周辺にまで南下してしまったため、本当の山内はここであるという意味で山内本郷と称されたのが現在の本郷台の辺りであり、山内は本来、現在の本郷台一帯のことをいう。
皆城山から南下すると現在は天園ハイキングコースといわれる山道へ尾根つづきで通じており、東は六国見山。西は釜利谷・金澤・六浦まで通じている。円海山や大丸山なども峰伝いになっている。
見所は、鎌倉湖畔(散在が池)長窪切通・高野切通といった風情ある山道。笠間や田立・離山・粟船山などかつて島だった丘や山もかすかに残っていたり、偲ばせる史跡が残っているので合わせてめぐるといいだろう。残念ながら離山についてはJR横須賀線開通に伴い線路工事のために全て切り崩されてしまっている。粟船山にはかつては木曽免にあった木曽義高の墓が移設されて安置されている。
 
 
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第4位大塚山(戦道峰・亀山・笛田山・笛田稲荷山・霊鷲山・迎山・陣鐘山)
難易度(険しさ)★★ 史跡・歴史★★★ マイナー度★★★★★ 魅力★★★ 自然環境★★★ 平均★3.2
青蓮寺を境に西にある山を登ると大塚山。この登山口は手広切通(谷戸切通)と称され、古くは戦道峰と称された。元弘の乱において新田義貞軍が押し寄せた山とされ、大塚山遺跡からは多くの戦死者の骨が出土している。切通や崖や竹林といった自然豊かな山道は、普段近隣の保育園の散歩コースや小学生たちの遊び場になっており、まさにここが見所である。大塚山の北に亀山があり、現在は深沢から江の島へ抜ける山道(道路)の入り口として補装されており、湘南モノレールが勢いをつけて上がる地点でもある。亀山の山の入口辺りは宮崎ともいわれ、かつて三島神社の参道があった。三島神社は萩郷に移されて、後に現在の笛田山に移されている。
仏行寺の裏山である笛田山には源太塚という梶原源太郎景季の片腕が埋まっているとされる塚があり、かつては妻の信夫塚もあったが宅地造成によって崩され、信夫塚だけは別の場所へ移動されてしまっている。夫婦の塚を結ぶかのように夫婦池公園がつくられ、偲ばせるとともに、自然豊かな環境を残している。
尾根道は山の神(鎌倉山神社)を経て、田辺の里や極楽寺に通じる。陣鐘山はかつて新田義貞が陣を敷き鐘を叩いた場所とされている。その陣鐘山はいくつか説があるが、そのうちの1つが聖福寺の裏山である。田辺はそもそも熊野三社が勧請された土地であり、聖福寺は聖福寺新熊野と称され、那智熊野社があり那智大瀧(音無瀧)が流れていた地である(『新編鎌倉志』)。音無川は現在も流れているが残念ながら滝はない。近くに熊野権現社が祀られている。田辺という字が紀伊国をルーツとしていることも容易に想像できる。
田辺には津に通じる峯山という山道がある。現在は広町緑地として整備されており、ハイキングコースとしても利用され、うさぎ山という迂回路もある。
 
 
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第3位霊仙山(稲村﨑・霊山﨑・金山・観音山・海光山・大仏切通)
難易度(険しさ)★★★★ 史跡・歴史★★ マイナー度★★★★ 魅力★★★★ 自然環境★★★★ 平均★3.6
かつて元弘の乱の折に激戦地となった仏法寺周辺の山一帯。現在は簡単には入ることができないが、いくつかの登山口が存在しており、霊仙山から眺める展望は見ごたえがある。鶴岡八幡宮から伸びる若宮大路や光明寺などがはっきりと見える。
南に霊仙山・金山を有するこの山は、中央に長谷観音の裏山である観音山があり、北に伸びて佐助稲荷山へと通じている。途中で深沢の里に下りる登山口を大仏切通と称している。南に降りると深沢の里であるが、現在「深沢」という地名は北へ移って小松郷や梶原郷周辺を深沢というようになっている。
西側の境は地獄谷。極楽寺が建立されるまでは病人などが投げ捨てられた谷であった。地獄谷の南の字には稲・砂子坂・姥谷・追揚・月影谷などがあり、地獄谷の北の字には極楽寺西谷・馬場谷などがある。
東側は前浜という浜。極楽寺坂の下という意味で坂の下。桑谷・深沢・小谷・大谷といった字がある。
道路で補装されてしまっているが極楽寺坂もかつての形跡を偲ばせている。
 
 
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第2位駒立山(六百城山・片瀬山・目白山・飯盛山・手広山)
難易度(険しさ)★★★ 史跡・歴史★ マイナー度★★★★★ 魅力★★★★★ 自然環境★★★★★ 平均★3.8
藤沢市と鎌倉市の境に位置する山々。駒立山は馬立山・物見山とも称され、日本武尊が東征のときに物見した山との伝承や、新田義貞が鎌倉攻めのときに馬を勢揃いさせたという伝承が残っているほか、かつて源頼朝が挙兵した折に大庭景親が兵を配置したとされるなど、いくつもの伝説が残っている。
尾根伝いには六百城山というまさに防衛のための山がある。鎌倉智士が子どものころに走り回った山道の1つである。
見所は、藤沢三大谷戸に選出されている川名清水谷戸。鎌倉の原風景がここには残っている。荒井沢などと並び宅地造成や開発の手が入らないでほしい自然豊かな名スポット。
周辺には手広大谷が豊かにあり、手広山を登れば片瀬山にも通じており、この山道も知る人ぞ知る山道の1つとなっている。
 
 
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第1位神輿山(見越山・見越嶽・御輿岳・長楽寺山)
難易度(険しさ)★★★★ 史跡・歴史★★★ マイナー度★★★★ 魅力★★★★★ 自然環境★★★★ 平均★4.0
秘境中の秘境。詳細は極秘。
 
 
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鎌倉智士は鎌倉武士ガイドとして鎌倉の知られざる名所を案内しています。
ガイドのご要望はこちらから。
 
 
隊将 鎌倉智士 ☎090-6513-8892 📧info@izakamakura.jp

 

 

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鎌倉もののふ隊は、平成23年(2011年)に旗上げした任意団体です。

趣旨は、子どもたちに埋もれてしまった歴史や忘れ去られてしまった先人たちを伝え残すこと。ひいては先祖供養につながり、地域振興にも寄与するというものです。

 

以下は活動の主な内容になります。

 

鎌倉武士体験処 深沢砦(モノレールDE鎌倉もののふ)

鎌倉武士体験処 深沢砦(ふかさわのとりで)では、鎌倉武士体験をご体験いただけます。

装束体験、弓づくり体験、鎧づくりミニ体験、その他オプションで箏体験、盤双六体験、刀の扱いなどの所作体験などご体験いただけます。

 

 

 

 

■お問い合わせおよびご予約

鎌倉智士(かまくらさとし) 📧info@izakamakura.jp ☎090-6513-8892

 

■深沢砦(ふかさわのとりで)

鎌倉武士体験処 深沢砦は、湘南モノレール湘南深沢駅から徒歩3分の湘南ボウル2階にあります。1階はレストラン天狗、3階はボウリング場になっています。
住所は神奈川県鎌倉市常盤18です。駐車場は有料駐車場があります。
湘南モノレール湘南深沢駅は大船駅から5分、湘南江の島駅からは9分。江ノ電バスのバス停「深沢」もすぐ近くで、JR藤沢駅とJR鎌倉駅までも20分ほどで行くことができ、さらに鎌倉大佛のバス停「大仏前」も10分ほどの距離にあります。

 

歴史学習(校外学習・修学旅行・社会科見学など)

鎌倉もののふは、小学生や中学生の歴史学習をサポートするサービスを提供しております。校外学習、修学旅行、社会科見学などにご利用いただいております。事前のお申込があれば平日も土日祝日も対応可能です。1回に最大30名まで可能です。

 

鎌倉甲冑(鎧兜)づくりサークル

鎌倉もののふ隊では平安期・鎌倉期の鎧兜をつくるサークルを開催しています。

水曜日は19:00~21:00、土曜日と日曜日は17:00~20:00に実施しています。

講習費は1回1,000円。材料費は別途。出張講習も実施しています。

 

 

 

鎌倉甲冑(鎧兜)製作販売

鎌倉もののふは、平安期・鎌倉期の鎧兜などの装束を販売しています。

 

装束レンタル

鎌倉もののふ隊は、鎌倉武士が着用していた鎧兜などのレンタルサービスを行っております。平安時代・鎌倉時代の時代考証を行いながら自分たちでつくった既製品ではないオリジナルの装束です。

 

鎌倉もののふガイド

鎌倉武士(もののふ)が、鎌倉武士ならではの案内をいたします。

 

鎌倉もののふの舞

鎌倉もののふ隊では演舞を行っています。