鎌倉氏の家紋について、平良文を祖とする桓武平氏鎌倉氏族の鎌倉氏をはじめ大庭氏、豊田氏、俣野氏、梶原氏、香川氏、長尾氏、長江氏などの家紋を記す。

 

平良文の家紋

 「月星」紋

平良文は仁和2年(886年)生まれ。「平将門の乱」においては、甥の平将門に与して戦い、北斗七星の化身である妙見菩薩の加護により危機を脱したことから妙見を守護神として崇めたこと(北斗信仰・北辰信仰)にちなむ。

 

鎌倉氏の家紋

丸に梅鉢」紋 「丸に違い矢」紋 「丸に抱き茗荷」紋

  

『都道府県別 姓氏家紋大事典』によれば桓武平氏鎌倉氏族の鎌倉氏の家紋としては、「丸に梅鉢」「丸に違い矢」「丸に抱き茗荷」などが記されている。

 

大庭氏の家紋

丸に違い鷹羽」紋 「丸に並び矢」紋 「丸に三柏」紋

  

丸に三引」紋 「藤丸」紋 「一引両」紋 

  

 「違い柏」紋 「大文字」紋 「三大文字」紋 

  

 

大庭氏の家紋については『都道府県別 姓氏家紋大事典』によれば桓武平氏鎌倉氏族の大庭氏の家紋としては、「丸に違い鷹羽」「丸に並び矢」「丸に三柏」「丸に三引」などが記されている。

『日本紋章学(明治書院)』では「藤丸」「一引両」「三大文字」などがあげられており、「三大文字」は『源平盛衰記』で梶原景季の直垂の文様として記されていることを根拠としているが、家紋(本紋)ではないとしている。あくまで大庭氏は「大文字」紋であり、支流の梶原氏が大の字を三つ盛りにしたとしている。

『紋譜帳』では大庭景義豊田景俊は「違い柏」だとしており、「違い鷹羽」は誤りであろうとしている。

丸に並び矢」については大庭景義が坂ノ下御霊神社(元は梶原御霊神社)の社紋を代々受け継いでいったと伝わるが、武門の象徴たる「矢」は特に鎌倉権五郎景政に関連づけられやすいというだけで、そもそもは梶原氏の家紋であるという説もある。

 

豊田氏の家紋

違い柏」紋

『紋譜帳』に「豊田次郎景俊の紋を違い柏とす」と記されており、豊田氏の家紋は「違い柏」だとされている。

 

俣野氏の家紋

二つ並び葉沢潟」紋 「軸違い並び葉沢瀉」紋

 

『都道府県別 姓氏家紋大事典』によれば桓武平氏鎌倉氏族の俣野氏の家紋としては、「二つ並び葉沢潟」が記されている。『牽引で自由に探せる家紋大図鑑』では「軸違い並び葉沢瀉」と記載している。

 

長尾氏の家紋

丸に釘抜」紋 「巴九曜」紋

 

『都道府県別 姓氏家紋大事典』によれば桓武平氏鎌倉氏族の長尾氏の家紋としては、「丸に釘抜」が記されている。『苗字から引く家紋の事典』にも他に14種家紋を記している。

『見聞諸家紋』に「巴九曜」が香川氏と同じ家紋として記されている。

 

長江氏の家紋

丸に剣酢漿草」紋

  

『都道府県別 姓氏家紋大事典』によれば桓武平氏鎌倉氏族の長江氏の家紋としては、「丸に剣方喰」が記されている。『牽引で自由に探せる家紋大図鑑』では「丸に剣酢漿草」と記載している。

奥州の長江氏は「丸に三つ柏」、美濃国の長江氏も「三つ柏」といわれている。

 

香川氏の家紋

巴九曜」紋

『見聞諸家紋』に「巴九曜」が長尾氏と同じ家紋として記されている。

 

梶原氏の家紋

丸に並び矢」紋 「丸に違い鷹の羽」紋 「丸に石畳(丸に四つ石)」紋

  

並び矢」紋 「丸に三本並び矢」紋 「丸に違い矢」紋

  

三つ大文字」紋 「矢筈」紋 「梶葉」紋

  

『都道府県別 姓氏家紋大事典』によれば桓武平氏鎌倉氏族の梶原氏の家紋としては、「丸に並び矢」「丸に違い鷹の羽」が記されている。

丸に石畳(丸に四つ石)」「並び矢」「丸に三本並び矢」「丸に違い矢」「三つ大文字」「矢筈」「梶葉」なども梶原氏の家紋として知られている。

『見聞諸家紋』には細川勝元被官梶原氏の家紋を「丸に四つ石畳」とし、また梶原氏の子孫の旧家は「矢筈」を使用している。歌舞伎『梶原平三誉石切』『義経千本桜すし屋』でも梶原氏の家紋は「矢筈」であり、幸若舞曲『夜討曾我』でも梶原氏の幕紋を「矢筈」としている。