正月休み、我が家に夫のお姉さんたちがやってきた。
末っ子長男の夫にはお姉さんが3人いる。
大阪に住んでいる2人のお姉さん家族とは、毎年盆と正月に集まり、にぎやかに過ごしているのだが、初めてうちの廊下に飾っている絵について聞かれた。
それは、友人が描いてくれた息子の絵だ。
息子は中学1年生だった。
夏のある日、夕飯の食卓で息子が餃子を頬張っている。
「明日、俺頑張る日やねん」
鯉のように口をはふはふさせている。
明日の5、6時限目に水泳大会があるらしい。
全学年がクラスを縦割りにして、チームを作っているそうだ。
「俺、上級生とクラス対抗リレーに出るねん」
息子は、小鼻を膨らまし興奮している様子だった。
運動が苦手な彼は、中学に入るタイミングでスイミングスクールに通い始めた。
幼稚園児しかいない初級クラスで、息子は白くてまるい体をばたつかせ、沈みそうになりながら懸命に泳いでいた。
翌朝、私はいつもより大きなおにぎりを息子に食べさせた。
夕方、スマホが鳴った。
電話は担任の先生からだった。
息子はまだ帰っていない。
受話器の向こうで先生が話し始めた。
休み時間に息子が職員室に駆けこんできた。
頬が紅潮し、耳の縁も赤く染まっている。
「水着を間違えました」と言う息子に先生は、「休んでもいいよ」と答えたそうだ。
少し考えて、息子は、「この水着で参加させてください」と言った。
先生は、堰を切ったように話し始めた。
始業のチャイムが鳴った。
生徒たちがぞろぞろとプールサイドに集まり、クラスごとに固まって座る。
息子はクラスメイトの影に隠れて小さくなっていたそうだ。
体育の先生が、マイクを持って「整列!」と声を張り上げた。
生徒たちは静かに広がり、先生の号令に合わせて準備体操を始めた。
競技が始まった。
各種目の個人競技が終わり、団体競技が始まる。
プログラムの一番最後で、最も盛り上がるリレーに息子はエントリーしていた。
最後の種目に出る選手の名前が、3年生から順に呼ばれた。
息子のクラスの3年生は水泳部のキャプテンで、2年生にはサッカー部のストライカーがいた。
彼らの名前が呼ばれるたびに、「うぉーっ」と歓声が上がり、プールサイドがどよめいた。
クラスの期待を一身に背負い、彼らはコースに集まってきた。
息子の名前が呼ばれた。
「はい」と返事し、立ち上がる。
プールサイドが一瞬静まり返った。
みんな何も言わずに静かに息子を見た。
濃紺のセミロング丈の水着の中で、ただ1人鮮やかなロイヤルブルーのビキニパンツをはいた息子が立っていた。
太陽の陽が校舎の窓ガラスを一斉に照らし、白くて丸い息子を見下ろしていた。
息子は少しうつむき、唇を噛みしめながら頬で笑った。
すぐに顔を上げ、背中を左右に揺らしながら、自分の泳ぐコースに走って行った。
私は、スマホを耳に押し当てたまま目を閉じた。
先生の話に相槌を入れながら、息子を思う。
「がんばれよ!」
同じクラスの3年生が叫んだ。
第1泳者の息子は、コース台の上に立った。
スタートのホイッスルが鳴り、勢いよくプールに飛び込んだ。
「ウォォォォー!」
歓声が水の上でぶつかり、舞い上がる。
息子は4人中3位でバトンタッチした。
その後、先輩たちの頑張りで1位になった。
プールから上がった3年生が、息子のところにやってきてみんなに聞こえる大きな声でこう言った。
「お前、かっこええな」
見ていた生徒が拍手した。
息子は顔をゆがませ照れくさそうにうつむいた。
私は、息子が恥ずかしい時にやる顔だ、と思った。
先生の話しが終わり、私はお礼を言って電話を切った。
息子の好きなホットケーキを焼くために台所へ行く。
フライパンの上でケーキの表面に気泡が出始めた時、玄関のドアが開いた。
「ただいまっ」
息子の声だ。
「ちーちゃん、俺、失敗した」
息を切らして、台所に駆けこんできた。
照れくさそうに丸い顔をゆがめている。
日焼けした頬と耳がサクランボみたいに赤く膨らんでいた。