「仏教とわたし」  最初で最後のエッセイ | 進化するココロとカラダ

進化するココロとカラダ

ボディワーカー(公認ロルファー)の藤本靖がボディワークをはじめとする身体業界および他業界の魅力的な人たちのつながりをサポートする活動を紹介します。朝日カルチャーセンター新宿教室を中心に様々なコラボ企画を提案します。

 

以前、藤田一照さんのメルマガ「仏道探求ラボ」に
「仏教とわたし」というテーマで寄稿させていただきました。

今でも時々「あの時の原稿読みたい」とリクエストを
いただくことがあるので、ブログに転載します。

快くご了承くださいました一照さん、後藤サヤカさん、
ありがとうございます。

このテーマで原稿を書くことで自分の原点に立ち戻ることができました。
貴重な機会を下さったお二人には心から感謝しています。

私にとっては、おそらく最初で最後のエッセイになるのでよろしければご覧くださいませ!
天台宗の尼僧であった祖母のことを書いています。


*********

「仏教とわたし」 (藤田一照さんメルマガより)



メルマガ読者の皆様、はじめまして藤本靖です。
「ちょっと変わったアメリカ生まれの整体」をやっています。
どんな風に変わっているかというと、施術者(整体師)はできるだけ何もしないのです。
というか限りなく何もしないのです。
それはなぜかというと、何もしないほうが受け手(患者さん)側の「自己調整力(身体が自然に整っていく力)」が引き出されるからです。
子供育てるのと一緒です。
黙って見守るのが一番です。
ただ、そうはいっても何もしないって結構難しいのです。
骨盤が曲がってたらまっすぐにしたいというのが人情というもんです。
自分でも気が付かないうちに手が勝手に整えようとしてしまうんです。
そして、さらに難しいのが、何もしないけど身体で何が起こっているかはきっちりと観察しておかないとだめなんです。
寝てたり、あっち向いたりしてたら、自己調整力はあんまり働いてくれないのです。
「何もして欲しくないけどちゃんと見ててね」ということなんです。
やっぱり子供と一緒です。
「何もしない」ってことの技術が必要なんです。
そんな話をしてたら、「それって坐禅と似てるね」ってことで一照さんとご縁ができました。
ありがたいことです。



ところで私の母は天台宗の尼僧です。
普通の主婦でしたが、39才の時に突然出家しました。
本当にびっくりでその話も面白いのですが、今回は母の母、つまり祖母の話をします。
祖母も39才の時に出家して天台宗の尼僧になりました。
元は主婦だったのですが、あまり普通ではなかったみたいです。
山の洞穴に籠って一人で修行してたらしいです。
そこに村の人が自然に集まってきて、いろいろあって出家したとのこと。
やっぱり普通じゃないですね。
この祖母がとんでもなく迫力のある人でした。
一言でいうと底知れず恐ろしかったです。
怒ったりするわけじゃないんです。
黙って座っているだけなんですが、全部見られてる感じなんです。
宇宙の果てまで連れていかれるようにも感じました。
おかげでその後の人生で怖いと思うことはあまりありませんでした。
宇宙の果てまで連れていかれるより怖いことはあまりないですから。


 

小学校に上がる前の自分の記憶をたどると、祖母と一緒に坐禅を組んでいるところしか思い出せないのです。
お線香が消えるまで、ということになっていたので5歳の子供にとっては結構しんどかったはずですが、とてもいい体験をしていました。
その後思春期になってからも一人で勝手に坐禅組んだり瞑想したりしてたので、その時の体験のすばらしさが残っていたのだと思います。
「何にも属さない場所、何にも属さない時間」を体験していました。
この「何にも属さない」という言葉自体は10代後半の頃に自分の中で自然に浮かび上がってきたものなので後付けです。
ただ、その体験はいまでも鮮明です。
わたしにとってはこの体験そのものが、「仏様」であり「仏教」であると感じています。



いまの仕事をするようになってすぐに、この体験にいることが施術者の立ち位置として重要であることに気づきました。
そして、そのことをまわりの人たちにも伝えたいとおもったことがきっかけで、ワークショップをしたり本を書いたりする仕事もはじめました。
「何にも属さない」という体験を、誰にでも実感できるようなワークにして伝えるのが自分の一生の宿題だとおもっています。
そういえば施術の仕事を始めてから、祖母のことがなんであんなに怖かったかというのもわかりました。
あれは、自我が失われる領域に入るときに感じる恐怖だったんです。
漆黒の闇を通り抜けるみたいな怖さ。
いい施術を行うためにはそこを通り抜けないとだめなんです。



施術者の間では、身近な人、特に家族への施術は難しいとされています。
どうしても、「なんとか治したい」という気持ちが強くなりますから。
でもわたしの場合は、祖母からもらった体験があるから大丈夫なんです。
むしろ身近な人は全員施術させてもらいたいとおもっているぐらいです。
昨年母が重い病気になってから、できるだけ実家に戻って施術させてもらっています。
どんなに不安で胸が張り裂けそうになっていても、施術が始まると何もなくなります。
何にも属さない場所と時間の中で、母と出会う。
こんな素晴らしくありがたいことはありません。
ああこれが仏様のご縁なんやなと思っています。
なんか個人的な話になってしまってすみません。
最後まで読んでくださってありがとうございました。



*********