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徒然なるままに山と歴史を・・・

このブログでは登山記録、また、歴史旅について書いていこうと思います。

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2025年8月 鹿児島県大隅エリアのパワースポットを巡ってきました。

その54.にこ展望所 55.荒平天神 56.高須神社 です。

 

 

桜島の付け根の少し南を少し山側に入るとにこ展望所があります。すぐ下に江之島、その右にはカンパチの養殖イカダが並んでいる様子が良く見えます。

 

にこ展望所からR220を20kmちょっと南下すると、道路沿いに荒平天神の駐車場があり、道を挟んで浜に下りると鳥居があります。

 

菅原神社の扁額の掛かる鳥居をくぐっていきます。神社のある天神島までコンクリート舗装の参道があるので、足元は砂まみれにならずに済みます。

 

海水浴や魚採りしている家族連れの横を通ってお参りに行きます。

 

石段の隣に休憩所なのか神楽殿なのかわかりませんが、後で寄ってみます。

 

注連縄をくぐって急な階段を上ります。

 

上の方は階段が狭くなってロープがついていました。根っこが張り出していたり、階段の傾斜も急になっているので、ロープか手すりを頼って上ります。

 

ロープを伝って上った先に菅原神社の社殿があります。

 

朱塗りのお社が少し余裕のある覆屋に納まっていました。

 

急な階段を下ります。

 

階段の横の建物は天井灯がついていました。祭礼の時に使われるのでしょうか。

 

すぐ裏は磯で、向こうに続く大隅半島が見えました。

 

開聞岳も見えました。

 

駐車場に戻ります。

 

薩摩半島の向こうに日が沈みそうです。

 

荒平天神から更に5km程南下すると高須海水浴場があります。駐車場の一角に薩摩藩の貯蔵庫の碑がありました。

 

海水浴場の砂浜の横に続く磯の沖の小島に高須神社の鳥居が建っていました。

 

鳥居の先には開聞岳が見えました。

 

浜に下りてみました。

 

磯伝いに鳥居の方へ行ってみます。ここは夕日スポットということでしたが、岩山の向こうに沈んでしまったようです。

 

大きな岩の間を抜けていきます。左の岩は四角く切り抜かれてステップがありました。祠か何かがあったのでしょうか。

 

岩の間はトンネルのようになっていました。

 

更に先には人工的につられた遊歩道のようなものがありました。

 

向こうに展望台がありました。

 

展望台の階段の下にはロープが張られていました。

 

展望台に上がれないので、下に入って鳥居の正面に来ました。

 

鳥居の後ろの別の小島に祠が建っていました。

 

来た道を戻ります。

 

岩の間を抜けて行きます。

 

さっきまで波打ち際で遊んでいた家族連れはもういなくなっていました。

 

 

【湯之平展望所・黒神埋没鳥居】日向・大隅のパワースポットを巡る夫婦旅 57・58 に続く・・・

2025年8月 鹿児島県大隅エリアのパワースポットを巡ってきました。

その39.霧島神宮 です。

 

 

昨日までは宮崎県内の神社を回ってきましたが、今日からは大隅エリアを回ります。霧島神宮の駐車場の入口には、大きな社号標と石灯篭がありました。

 

駐車場の横の休憩の先に参道があります。

 

広い砂利の参道の先に広い階段があり、その先に三ノ鳥居をがあります。

 

三ノ鳥居をくぐると参道は森の中に入り、一気に涼しくなります。

 

参道の先には折り重なるような社殿の屋根が見えます。

霧島神宮は大隅国にあるのに、日向国の式内社とされています。霧島神宮の北東にある高千穂峰の山頂直下の背門丘に霧島神宮の元宮がありますが、そこは国境からわずかに日向国に入った所になります。延喜式神名帳には霧島神社として記載されていて、ここ霧島神宮と宮崎県内の3社(霧島東神社・霧島岑神社・東霧島神社)が霧島神社の論社となっています。また性空上人がつくった霧島六所権現の一つがここ霧島神宮ですが、それ以外の5社は宮崎県にあります。しかし性空上人の墓はこの霧島神宮にあります。色々複雑です。

 

社殿の手前にお札の授与所があり、その手前に御神木があります。

 

授与所を過ぎると、参道の両側に門守神社があります。この小さなお社も300年前に本殿などと一緒に建てられて、国重文に指定されています。

 

突き当たりの勅使殿の唐破風には、細かい彫刻と美しい彩色があります。

 

勅使殿の黒光りする床の先に、黒光りする登り廊下が続いています。

 

勅使殿の向拝は格天井になっていて、枡目ごとに模様が描かれていました。

 

登り廊下の先にある大きな建物が拝殿で、欄間の鳳凰が目を惹きます。拝殿から先は国宝に指定されています。

 

大きな拝殿やその横に続く回廊のせいで、本殿は見えません。これらに社殿は正徳5(1715)年に薩摩藩4代藩主島津吉貴によって再建されたものです。

 

御神木のところから、まっすぐ下りずに右へ行きます。こんなマイナーな所にも訪れる人は意外といます。

 

森の中の砂利道を少し行くと、右側に山神社の鳥居があります。

 

鳥居の先で左に行くと、山神社の小さな石祠がありました。

 

来た道を戻ります。左側に雨水の排水溝がありますが、途中から温泉が混ざり、この暑い日にも濛々と湯気を立てていました。

 

山神社の近くから性空上人の墓がある別当寺華林寺跡に下りる階段がありますが、通行止めになっていたので、三ノ鳥居をくぐって、その先の展望所に寄ってみます。

 

展望所はほとんど展望はありませんでした。

 

霧島神宮から土産物屋街を抜けてR223に出る所に、一ノ鳥居がありました。

 

 

【霧島温泉郷】日向・大隅のパワースポットを巡る夫婦旅 40 に続く・・・

2025年8月 鹿児島県大隅エリアのパワースポットを巡ってきました。

その37.霧島神宮古宮址 38.高千穂牧場 です。

 

 

先日の集中豪雨で霧島市内各所に通行止めになっている箇所がありましたが、霧島神宮方面から高千穂河原まで来ることができました。ここから西へ下る道は通行止めでした。

 

駐車場の奥の鳥居をくぐって、広い砂利の参道を緩やかに上っていくと、石段の上に鳥居が見えてきます。

 

霧島神宮古宮址です。

 

址ということですが、神職の方が来ていて、祝詞の奏上が行われていました。

 

周辺の山には雲がかかっています。

 

祝詞奏上の際に笛や太鼓も奏でられていました。

 

古宮址からは妻を残して高千穂峰に向かいました。赤い溶岩地帯の上の方はガスっています。

 

ホワイトアウトに近い状態の中、火口の淵を回って少し行下ったところにある背門丘に霧島神宮元宮がありました。

 

元宮から火山弾の細かい砂利の急坂を登っていくと、山頂に天之逆鉾が突き刺さっていました。

 

高千穂河原から南に下った先に高千穂牧場があります。

 

牧場からは霧島連山を一望できますが、残念ながら上の方は雲に隠れていました。

 

案内所でパンフレットをもらって、牛舎や綿羊舎の先へ歩いていきます。

 

牧場の一番奥の坂の上に羊ヶ丘展望台があります。

 

展望台は芝生に覆われた大きな広場です。

 

どこでもドアのようなものが置かれていて、ここで写真を撮るのがテッパンです。

 

売店の方に戻る途中で綿羊舎や牛舎を覗くとランチタイムでした。

 

 

【霧島神宮】日向・大隅のパワースポットを巡る夫婦旅 39 に続く・・・

2025年8月 高千穂河原から高千穂峰をピストンしてきました

 

  10:58 高千穂河原ビジターセンター スタート

  11:02 霧島神宮古宮址 [滞在 5分]

  11:26 森林限界

  11:51 御鉢火口縁

  12:03 霧島神宮元宮(背門丘)

  12:20 高千穂峰 [休憩 10分]

  12:40 霧島神宮元宮(背門丘)

  12:52 御鉢火口縁

  13:11 森林限界

  13:21 霧島神宮古宮址

  13:24 ビジターセンター ゴール

    歩行距離 5.3km

 

 

今回は神話にまつわる神社を回って、天孫降臨の舞台に行ってきます。駐車場の一番奥にある鳥居からスタートです。ビジターセンターは閉まっていました。

 

広い砂利の参道を歩いていくと階段があります。その下には「天孫降臨神離斎場」の刻まれた石柱がありました。

 

石段の上が霧島神宮古宮址です。広い斎場ではちょうど祭祀が始まりました。

 

斎場の石段を下りて、右へ行くと高千穂峰の登山道の入口があります。数日前に新燃岳で噴火が始まりましたが、高千穂峰方面の入山規制はありません。

 

濡れて滑りやすい石畳の坂を5分近く行くと石段になります。

 

石段を7分程登ると石畳が砂利に覆われていました。先日の集中豪雨のせいです。

 

古宮址から15分程登ると森を抜けました。

 

土砂が流れた痕跡が残っていました。この先からは火山弾の小石の積もる、富士山の須走りのような登りになります。

 

ガスっていて上の方が見えませんが、案内に従って上を目指します。ズルズルと足を滑らせながら、なかなか進みません。

 

ザクザクと5分程登ると右の方に溶岩の岩場がありました。

 

時折霧が薄くなって火口の淵が見える瞬間がありました。

 

向こうに何かの看板がありました。

 

火口内立入禁止の看板でした。ということは向こうが火口?まったく見えません。

 

傾斜が緩くなりました。向こうに人の影がうっすら見えます。

 

右側が火口のようです。こんな感じですが、視界はいいほうです。

 

右の大きな岩に何かが取り付けてありました。

 

火口の淵を10分程緩やかに上っていくと案内板がありました。ここから下りになります。

 

2分程下るとケルンがありました。

 

ケルンの10m程先に霧島神宮元宮がありました。

 

元宮の先で再び登りになりました。

 

小石に足を取られ、登っては少しずり落ち、なかなか進みません。

 

山頂へのカウントダウンが始まり、少し登るごとに案内板が出てきて元気づけられます。

 

道は九十九折になって更に登りづらくなります。

 

山頂間近で傾斜が緩やかになってきました。この辺は落石の心配はなさそうです。

 

一瞬山頂らしきものが見えました。そちらへ行ってみます。

 

高千穂峰山頂(1574m)に到着しました。

 

鳥居の先の一番高い所に天之逆鉾が刺さっています。

 

ここから東へ下りると霧島東神社に、高千穂河原を経て南西に下りると霧島神宮に出ます。

 

天之逆鉾ぬ後ろには方位盤がありましたが、何も見えませんでした。

 

ガスっている上、風も強いので、山頂を一回りしたところで下山します。

 

時折ホワイトアウト状態になりますが、ロープが張ってあるので、道迷いの心配はありません。

 

急に元宮が現れました。すぐ先のケルンは見えません。

 

ケルンからは登り返しです。

 

火口の淵に出ました。

 

馬の背は相変わらず真っ白です。

 

周りの霧が急に飛ばされて、向こうにいる人が見えました。

 

少し待っていると更に霧が晴れて、火口の底が見えました。

 

向こうには行きに見えた目印のような岩が見えます。

 

もう少し待っていれば山頂の方まで晴れてきそうですが、キリがないので下ることにします。

 

最後に火口を目に焼き付けておきます。

 

火口から下って振り返ってみると、やはりガスっていました。

 

更に下ると、行きには見えなかった周囲の様子がよく見えました。眼下には古宮址の鳥居や高千穂河原の駐車場も見えます。

 

桜島はおろか、霧島の市街地も見えませんでした。

 

改めて見ると荒れた赤い山肌は、火星かどこかに来たようです。

 

少し下ると草が見られるようになりました。

 

樹林帯に入ります。

 

石畳まで下りてきました。

 

階段を下って古宮址の前に出ました。

 

古宮址からは砂利の参道を緩やかに下ります。

 

最後に鳥居をくぐってゴールです。

 

今回は神社巡りの途中で、妻を待たせての山行でした。ガスって眺めが悪かったおかげでサクサク行ってこられました。展望を堪能することはできませんでしたが、信仰の山霧島のシンボルや霧島神宮元宮などを拝むことができ、目的達成です。

 

 

2025年8月 宮崎県のパワースポットを巡ってきました。

その32.霧島東神社 です。

 

 

延喜式内社霧島神社の論社のひとつ、霧島東神社に来ました。東霧島神社とは別の神社です。東霧島神社は孝昭天皇の時代の創建と言われていて、かなり怪しいのですが、こちらは崇神天皇の時代の創建ということで、本当かもしれません。

 

鳥居に手前の広場からは、火口湖である御池を見下ろすことができます。

 

鳥居をくぐるとすぐに右手にお堂が見えました。お堂は龍神泉社といって、中には井戸がありました。壁に長柄の柄杓が掛けてありますが、口や手を清めるために汲むことはできない、と書いてありました。

 

井戸の左からはジャバジャバと勢いよく水が流れ出ていて、その上には小さなお社がありました。

 

龍神泉社も右奥にもお社がありました。

 

どなたが祀られているかわかりませんでしたが、拝殿のような建物が手前にありました。お社の右には水神・地神と刻まれた小さな石碑があり、その横にも齋地神の小さな石碑がありました。

 

再び参道に戻って階段を上ります。

 

手水舎の先も階段が続きます。

 

注連縄で囲まれた祓所を過ぎ、更に階段を上るとまっすぐな杉の巨木がありました。

 

注連縄が掛かる2本の杉に小さな石橋が架けられています。

 

石橋を渡るとすぐに神門があります。何かいい感じです。

 

神門の先も長い参道が続きます。

 

参道左側の建物には鏡の奥に扉があり、どなたかが祀られているようです。

 

その先に小さなお社が向かい合っています。

 

最後の階段を上ると、ようやく拝殿です。

 

唐破風の向拝には透かし彫りの彫刻があります。扁額には「霧島の東に坐ます」と書かれています。

 

拝殿の横の方に注連縄の渡された二本の木がありました。その先に道が続いていて、高千穂峰へ行けるようです。

 

拝殿の横を奥へ行ってみます。

 

本殿の玉垣の横に摂社がありました。本殿は覆屋の中でよく見えませんが、覆屋の上の方はアクリル板がついていました。

 

本殿の右側にも摂社がありました。

 

拝殿の右の方に不動尊堂への矢印が書いてありました。

 

坂の途中からは、社務所の屋根の向こうに御池が見えました。

 

坂道を下っていくと高原の街の方が見えました。

 

カーブの先の小さな森には性空上人像があります。性空上人は平安中期の天暦年間に、神社の横に別当寺を造営して神仏習合の道場を開いた人で、それ以降修験道場として栄えました。

 

性空上人像から更にカーブしていくと不動尊堂があります。扁額には法栄殿と書かれていました。ここは性空上人が開いた錫杖院があったところです。

 

お堂内の格子の向こうの内陣に仏像が並んでいます。

 

中央には不動明王がいます。

 

横には修験道の開祖の役行者と性空上人でしょうか。

 

不動尊堂の前には注連縄が張られて、不動明王にご真言を唱える所がありました。わたしも「ノーマクサマンダー・・・」とご真言を唱えて、この後の高千穂峰の天候回復を祈願しておきました。

 

不動尊堂のすぐ下が大駐車場です。

 

駐車場から車で少し下ったところに、錫杖院の歴代住職の墓地がありました。

 

霧島東神社から坂を下ってR233に合流した先に御池展望台があります。高千穂峰の山頂は雲の中でした。

 

御池の右の方には霧島東神社の社務所が見えました。

 

 

【狭野神社】日向・大隅のパワースポットを巡る夫婦旅 33 に続く・・・