2025年11月 愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。
その3.石手寺 です。


松山の市街地の東の端の方に、熊野山虚空蔵院石手寺(真言宗豊山派)があります。四国八十八ヶ所の51番札所です。

県道沿いの水路を渡った所に、お遍路さんの元祖の衛門三郎の石像があります。
四国を行脚する弘法大師に会う為に四国を20回も回り、21回目に逆回りで回って、死の間際にようやく弘法大師に会うことができました。その際に弘法大師が石に衛門三郎と刻んで手渡したことから、寺号が安養寺から石手寺と改められたと言われています。衛門三郎は伊予の豪族河野氏の一族です。

県道から本堂へ続くまっすぐな参道には、屋根がかかっています。

参道の左右にはお土産屋さんなどが並んでいますが、ほとんど閉まっていました。ずっと行くと右側に地蔵院という塔頭がありました。

地蔵院に隣接して変わったお堂がありました。

地蔵院の先に仁王門があります。文保2(1318)年に建立されたもので国宝に指定されています。仁王様も鎌倉時代の作で国重文にしていされていますが、金網が張ってあって近くからだとよく見えません。この大きな楼門には熊野山と書かれた大きな扁額が掛けられています。

蟇股には月見団子のような如意宝珠が彫られていました。

仁王門をくぐると左の方に阿弥陀堂があります。

正面奥には本堂が建っています。

すぐ右には茶堂が建っています。

茶堂には休息所と張り紙がしてありました。向拝の唐破風の上では、獅子が逆立ちしています。

扁額も逆立ちした獅子が支えています。

茶堂の奥には鐘楼が建っています。鎌倉幕府が滅亡した元弘3(1333)年に再建され、国重文に指定されています。

阿弥陀堂をのぞいてみました。

本堂の正面には、煩悩を打ち砕く巨大な三鈷杵が立っていました。

本堂は平安時代の永久2(1114)年に再建されたもので、これも国重文です。ここも金網があってご本尊の阿弥陀如来はよく見えませんでした。

本堂の右の方に行ってみます。

右へ行った先には一切経堂と護摩堂が並んでいました。右の護摩堂も国重文で、室町時代前期に建てられました。

更に左奥には大師堂があります。

大師堂には弘法大師の灌頂名である遍照金剛と書かれた扁額が掛けられています。

大師堂には当然弘法大師の像があります。


大師堂の左にはたくさんの仏像が並んでいます。ここは本来絵馬が奉納される絵馬堂です。

仏像たちの奥にもお堂がありました。

後ろへ行ってみると階段の上に熊野十二所権現堂があります。石手寺は神亀5(728)年に十二所権現を祀ったことに始まるお寺なので、ここが発祥と言えます。

本堂の後ろにもお堂がありました。

本堂の後ろを回って左側に行ってみると曼荼羅と書かれたお堂があります。奥へ行ってみます。

お堂の先にマントラ洞窟があります。この奥にも四国八十八ヶ所の仏像が並んでいます。

本堂の左にも八十八ヶ所巡りがあります。階段に沿って各寺院のご本尊がいます。

階段の先へ行ってみます。

レンガ造りっぽい感じのお堂がありました。お堂の手前にはミャンマー語が刻まれた石板がありました。戦時中にミャンマーで亡くなった方の慰霊塔でした。


屋根にはパゴダが乗っていて、東南アジアっぽい感じになっていました。

慰霊塔の先へ行ってみると小さなお堂の上にもお堂があったので、行ってみることにします。

慰霊塔の後ろに回っていきます。

細い道の途中にはいくつか石仏があります。どれも東南アジアの弁天様のような感じです。


坂の先には観音堂があります。お堂の下はコンクリート製の掛け造りです。

観音堂の中の壁はぐるっと仏画が取り囲んでいます。

観音堂からは慰霊塔のパゴダを同じ高さから見られますが、だいぶ枝葉が茂って見づらくなっていました。

観音堂の先へ細い坂道が続いていたので行ってみると階段の途中に出ました。

階段を上っていくと右手にお堂がありました。

お堂の右には古墳がありました。


古墳は石室内部が見られ、湯呑茶碗がありました。石室の前には六番札所の安楽寺の石仏がいました。

お堂の先の階段を更に登ってきます。

階段の先は展望台になっていましたが、周囲は枝葉が茂っていて、ベンチの上に立つとようやくビルの上の方が見える程度でした。

展望台の先は下り坂になりますが、ここで引き返します。石手寺の裏を伊佐爾波神社に抜ける道路を外人さんが歩いていましたが、ここを通って奥にある西安大仏に向かう人だったようです。

階段の路肩にも四国札所の石仏が並んでいます。

四国1番霊山寺の石仏の先は本堂です。

本堂の下まで戻ってきました。三重塔は改修工事中なので見ることはできませんでした。

仁王門をくぐっていきます。こちら側には大きな額が掛かっていました。動物に乗る弁天様のようです。

仁王門を出たところから小径がまっすぐ続いています。茶堂の後ろには瓦が埋め込まれた土塀がありました。

まっすぐな参道はここで行き止りです。50分程の境内散策でした。

【伊佐爾波神社】中伊予のパワースポットを巡る旅 4 に続く・・・