2025年8月 鹿児島県大隅エリアのパワースポットを巡ってきました。
その50.佐多岬 です。


本土最南端の佐多岬にやってきました。駐車場の一番奥には巨大なアコウの木がありました。たくさんの気根を下ろし、ジャングルのようです。



岬の方へ行くトンネルの入口にもアコウがありました。一昨年に五島に行った時もあちこちでアコウを見ましたが、南国の趣きがあります。

歩行者専用の涼しいトンネルを行きます。

ブラブラと3分程歩いていくと、トンネルの先に小さな広場がありました。


広場からは展望台が見えます。

広場の先を少し下ると、展望台の左の方に灯台の頭が見えました。

広場から5分程緩やかに下っていくと御崎神社の社殿が見えました。

右に社務所、奥に拝殿があります。


コンクリート製の社殿は台風や周囲からの土砂崩れにも耐えられそうです。

本殿の横には土砂崩れの痕跡が生々しく残っていました。

本殿左にはアコウが覆い被さるように立っていました。

お参りの後、社務所の方に声をかけられ、「金の延べ棒」を頂きました。溶けないうちにその場で頂きました。

御崎神社からはほとんど平坦な道になります。3分程で休憩広場に出、そこからは長いスロープになります

スロープからは海が見えて、風もあって気持ちがいいです。

2つ折り返すと展望台が見えてきます。

5分ちょっとスロープを歩いて展望台に到着です。1Fにはここからの展望がパネル展示してあり、それを参考に屋上に上ります。

美しい開聞岳がバッチリ見えます。

竹島と硫黄島が見えます。


屋久島はちょっと見えませんでした。


すぐ下に展望広場、その先には灯台が見えます。

下の展望広場に行ってみます。途中のトイレの屋根も展望台になっていました。

展望広場に下りる手前に大きな石祠がありました。

祠の土台には延享三年寅年(1746年)六月と刻まれていました。江戸中期の1746年、8代将軍吉宗の時代です。

かつては灯台から途中の小島を経由して、すぐ先の平坦な島にゴンドラが渡されていました。

展望広場から下に行く階段があります。この先に灯台守広場があるので行ってみます。

階段を下って行くと展望台に行くスロープがありました。かつてはこの階段で展望台へ行くようになっていたみたいです。

すぐに休憩広場の奥に出ました。

休憩広場の先も細い階段が続いています。

階段の途中に石垣がありました。下から見上げるとかなりの高さがあります。灯台関連の建物があったのかもしれません。

階段を下り切った所で丁字路にぶつかりました。

丁字路を右へ行きます。

灯台守の官舎に出ました。

小部屋を覗くと、二段のステップがありました。トイレか浴室のような感じです。中に落ちているのは入口の扉のようです。

官舎の山側にレンガの壁が続いていました。

海側を通って奥へ行きます。

窓には木製の額縁が残っていました。屋根がない為、官舎内は深い草むらになっていました。


木造の建物があった辺りにベンチがあります。

向こうの崖の中腹には駐車場の端の展望台の屋根が見えました。

それでは駐車場の方へ戻ることにします。向こうのなだらかな山は御崎山です。

海側には大小の窓が並んでいます。

灯台守広場から来た道を戻って、丁字路をまっすぐ行くと小さな橋がありました。

2つ目の橋の先は上りの階段になります。

3つ目の橋の先が二股に分かれていて、正面にはアコウの巨木があります。

アコウを左に行くと、岩の上に頭がありました。仁王様のようです。


アコウの気根をかき分けた先に鳥居がありました。御崎神社の鳥居です。そう言えば行きに御崎神社に寄った時には鳥居をくぐりませんでした。ここが表参道なのかもしれません。

参道の階段にはシュロが迫り出していて、まるでニノ鳥居です。

参道の両側に宝篋印塔のようなものがありました。

更に階段を上がると石祠がありました。参道の左右に向かい合って建っています。

階段を上り切った正面に御崎神社の拝殿があります。

拝殿でお礼をして階段を下ってきました。

アコウを左に曲がると階段です。

カンボジアのタプローム遺跡のスポアンのようです。

最後に木製の階段を上ると、最初に通った道に合流します。

とんねるをくぐって駐車場に戻ります。

アコウの大きな日陰では人々が涼んでいました。

一応展望台に行ってみます。屋久島は見えませんが、灯台の左の方には種子島が見えました。



【牛根麓稲荷の埋没鳥居・安徳天皇陵】日向・大隅のパワースポットを巡る夫婦旅 51・52 に続く・・・