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徒然なるままに山と歴史を・・・

このブログでは登山記録、また、歴史旅について書いていこうと思います。

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2025年11月 愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。

その13.国津比古命神社 です。

 

 

松山市北部の北条の街から東へ行くと田園地帯になり、街の外れに近づくと道路をまたぐ鳥居があります。

 

鳥居の先には大きな石灯籠があります。

 

更にまっすぐ行った突き当たりに国津比古命神社があります。古い歴史を持つ延喜式内社です。

 

境内に入ると、狛犬が笑顔で出迎えてくれます。

 

左側のはちょっとウルトラマンレオみたいな感じです。手前の手水舎の屋根には獅子がいました。

 

右に隣接したお宅はこちら側に門があり、注連縄が掛かっていたので、宮司さんのお宅のようです。

 

階段を上ると左側に大きな随神門がありました。看板には楼門と書いてありますが単層の建物です。

 

屋根には宝珠の下に鬼がいました。

 

立ち姿の随神は笏を持っていますが、弓矢は持っていません。

 

門の左に神楽殿があります。神様に舞を奉納するという意味では、神楽殿は拝殿の近くにあるのことが多いのですが、ここはだいぶ離れた所にあります。

 

門の右側には神楽殿と対称の位置に金比羅宮があり、その前に真名井の井戸があります。

 

金比羅宮の外陣には壁や戸板がなく、オープンな感じです。

 

随神門の後ろに回ると、日露戦争の戦利品の砲弾が奉納されていました。

 

門の反対側には石造の扁額がありました。

 

門の先に伸びる石段を上ります。

 

階段の上にはどっしりした拝殿がありました。この辺りの少し盛り上がった所は実は古墳で、その名も国津比古命神社古墳といいます。

 

拝殿の外陣の中央部は奥へ引っ込んでいて、両側にある階から上がるようになっています。

 

外陣の長押の上に神像が描かれていると思いきや、自分の姿が映っていました。

 

拝殿の横から奥へ行ってみます。

 

本殿は神明造りです。装飾はありません。

 

本殿の後ろには竜宮城のようなものが置かれています。

 

拝殿の左側には稲荷社がありました。

 

社殿を一周したので下へ下りることにします。

 

国津比古命神社の楼門の斜向かいに櫛玉比売命神社があります。こちらも延喜式内社で、国津比古命神社の摂社や末社などではなく、独立した神社ですが、両社のご祭神は夫婦です。

 

参道の途中に和霊神社があります。宇和島に海の神様として祀られているのと同じでしょうか。

 

和霊神社は戸板や壁はありません。

 

和霊神社から更に上へ行くと、手水舎の先に社務所があり、奥に拝殿がありました。

 

向拝の上には獅子がいました。

 

国津比古命神社と同様に、拝殿内部は照明が点灯していました。

 

拝殿の右には素戔嗚命を祀る小さなお社があります。

 

本殿は流造でした。こちらも彫刻や彩色はありません。

 

社殿の周りを一回りして階段を下ります。楼門や金比羅様の右にあるのは斎館です。

 

向こうには瀬戸内海が見えました。国津比古命・櫛玉比売命両社を合わせて30分ちょっとの参拝でした。

 

 

【石鎚神社 本社】中伊予のパワースポットを巡る旅 14 に続く・・・

2025年11月 愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。

その12.太山寺 です。

 

 

松山の市街地から北西に行くと、標高203mの経ヶ森の東麓に滝雲山護持院太山寺(真言宗智山派)があります。道路をまたぐ一ノ門を車でくぐっていきます。

 

一ノ門からまっすぐ行くと二王門がありました。嘉元3(1305)年に建てられ、室町時代に楼門から単層に改修されたもので、国重文に指定されています。

 

二王門に掛かる扁額には太山寺ではなく、大山寺と書いてありました。

 

二王門の前に立つと、向こうに一ノ門が見えました。

 

二王門の横を抜けて坂道を行くと右側に駐車場があり、その横には納経所があります。このお寺は四国52番札所なので、お遍路さんたちはここに寄っていきます。

 

納経所の先に眼病に御利益がある一畑薬師のお堂があります。

 

坂の傾斜がきつくなってきました。道沿いに建つのはかつて宿坊だったお宅でしょうか。

 

駐車場から5分程坂道を行くと車止めがあり、その先で行き止りです。

 

突き当りの周囲はお地蔵さんが並び、大日如来や弘法大師もいました。

 

先へ行く階段がありましたが、ここは後で行くことにします。

 

大日如来の正面にある階段の上に大きな楼門があります。天和3(1683)年に再建されたものです。

 

大きな山門の廻縁の下の蟇股では、小さな獅子が遊んでいました。

 

山門には四天王がいました。

 

足元を見ると邪鬼が踏みつけられています。

 

山門をくぐるとすぐ右に手水舎があります。

 

正面には国宝の本堂がどっしり構えています。鎌倉時代末期の嘉元3(1305)年に再建されたものです。

 

本堂の屋根にはたくさんの鬼がいました。

 

奥の須弥壇の上には厨子があります。扉が開いていて、ご本尊が見えますが、内陣と外陣を隔てる長押にじゃまされて、お顔を拝むことはできませんでした。

 

本堂の廻縁からは左手に鐘楼がみえます。明暦元(1655)年に再建されたものですが、釣られている室町時代の鐘はよく見えません。

 

本堂からは右に大師堂が見えます。後で行ってみます。

 

鐘楼の横を行くと本堂の並びに護摩堂と稲荷堂があります。

 

護摩堂の奥には厨子がありましたが、扉は閉まっていました。

 

稲荷堂の前にはキツネ様です。

 

稲荷堂の先へ行くと六角形の聖徳太子堂がありました。

 

太子堂には聖徳太子がいらっしゃいました。

 

本堂の前を抜けて大師堂へ行きます。

 

三鈷杵を持つ弘法大師が祀られています。格天井には動植物や蝶や家紋など色々なもの描かれていました。

 

向こうにも宝形の屋根のお堂がありました。

 

一番奥に建っていた建物は長者堂です。

 

奥に立っているのが真野長者でしょうか。豊後の真野長者は飛鳥時代に大坂に向かう途中で嵐で遭難しかけた時に観音菩薩に祈ったところ

難を逃れることができ、そのお礼に一夜で寺を建てたのが太山寺のはじまりと言われています。

 

長者堂の辺りからは本堂の側面が近くから見られます。

 

屋根には鬼がいます。

 

蟇股には植物の彫刻がありました。

 

大師堂を横から見ると向拝の手前に、お参りする為のスペースのようなところがありました。

 

屋根の上には龍や獅子がいます。

 

向拝の上には彫の細かい花柄の瓦が載っていました。

 

山門をくぐって階段を下ります。

 

階段の下を右へ行ってみます。奥には小さな子安観音堂があり、その左には石仏が、堰堤の上には五重石塔がありました。大雨が降っても大丈夫なのか心配になります。

ここで駐車場に戻ります。45分程の参拝でした。

 

 

【国津比古命神社】中伊予のパワースポットを巡る旅 13 に続く・・・

2025年11月 愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。

その11.大宝寺 です。

 

 

松山総合公園の南東に古照山薬王院大宝寺(真言宗豊山派)があります。お寺に行く道には、朝日八幡大神と刻まれた社号標や、注連縄を渡した石柱があります。

 

突き当たりの鳥居の手前を左に曲がって細い坂を上ります。

 

道の終点に車止めがあり、その手前に駐車場があります。駐車場を出た所に六角形の夢殿がありました。ということは中には聖徳太子、と思いきや仏像でした。

 

夢殿の向かいには宝形のお堂があります。

 

車止めの先へ行くと鐘撞堂の向こうに本堂が見えました。

 

本堂の前にあるのがうば桜です。

 

本堂は国宝に指定されていますが、四国八十八ヶ所の札所ではないせいか、境内に参拝客は一人もおらず、ひっそりとしていて、葉が散りつつある桜がよく似合います。

 

本堂正面の扉の格子からは、ご本尊の阿弥陀如来を拝むことができます。両脇の如来様とともに国重文に指定されています。

 

本堂の前に石段があったので行ってみることにします。

 

下った先には山門や寺号標がありました。

 

改めて山門をくぐって境内に戻ります。15分程のお参りでした。

 

 

【太山寺】中伊予のパワースポットを巡る旅 12 に続く・・・

2025年11月 愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。

その10.伊豫豆比古命神社 です。

 

 

松山市内からR379を南下していくと椿神社の看板があります。椿神社は伊豫豆比古命神社の別名です。看板の丁字路を矢印の方へ曲がると300m程の所に大きな鳥居があります。

 

道路をまっすぐ行くと正面に朱塗りの鳥居がありました。右に駐車場があります。

 

この日は七五三で訪れる人で賑わっていました。楼門には大きな扁額が掛かっています。

 

門の左右にいる恰幅のいい随神は太刀を帯びていますが、弓矢はなく、笏を持っています。

 

随神門をくぐると、砂利の境内にまっすぐ参道が続いています。

 

参道の右には児守神社と勝軍八幡神社が並んでいます。

 

祓岩の看板があったので、両社の間を奥へ行ってみました。

 

厄玉(500円)を買ってこないといけないようです。気枯れはないので、引き返します。

 

勝軍八幡神社にお参りしておきます。

 

勝軍八幡神社の向かいに御倉神社があります。

 

右に左に寄りながら階段の上の拝殿まで来ました。

 

拝殿の格天井には花が描かれていました。

 

柱に「左からお詣りください」と書いてあったので行ってみます。

 

回廊には干支の動物が描かれていました。

 

絵馬をたどって回廊を進みます。

 

一番奥まで行くと本殿の後ろが見えました。

 

本殿の後ろには伊豫豆比古命神社の古い扁額が掛けられていました。

 

本殿を囲むように石燈籠が並んでいます。

 

回廊を一周して拝殿の前に出てきました。楼門の左にある駐車場に戻ります。15分程の参拝時間でした。

 

 

【大宝寺】中伊予のパワースポットを巡る旅 11 に続く・・・

2025年11月 愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。

その9.八坂寺 です。

 

 

浄瑠璃寺からすぐの所にある熊野山妙見院八坂寺(真言宗醍醐派)に向かいます。四国47番札所で、道路には白い法被のお遍路さんが大勢いました。

 

突き当たりに八坂寺の山門がありますが、駐車場は左に行った所にあるので、このまま先へ行きます。

 

駐車場から道を挟んだ所に裏木戸がありますが、山門の方へ行ってみます。

 

駐車場から山門の方に少し坂を下った所に、八坂寺を開いた神変大菩薩(役行者)像があります。

 

更に少し下ると小さな山門があります。横から見ると水路に架かる橋の上に建っていることがよくわかります。

 

天井には阿弥陀様が描かれていました。天女に囲まれて羨ましい、と思いましたが、菩薩様だそうです。

 

山門をくぐるとまっすぐ行った先に階段があります。

 

参道を少し行くと左側に鎌倉時代の宝篋印塔がありました。

 

右側のビル(庫裡)の前にある手水は、人が通ると龍の口から水が出ます。

 

階段を上がると正面に本堂があります。

 

コンクリート製の本堂の中には煌びやかな須弥壇がありました。

 

本堂の左奥に行くと万体阿弥陀仏の入口があります。

 

入口の壁には小さな阿弥陀様がたくさんいて、下に階段が続いていました。

 

階段を下った下は阿弥陀様だらけでした。

 

本堂の左側には閻魔堂があります。

 

閻魔堂の右は極楽の途(みち)の入口です。お堂の後ろを回って地獄の途を抜けて出てきました。

 

閻魔堂の左に大師堂があります。本堂とともに再建された新らし目の建物です。

 

向拝にはシャチや鳳凰がいました。

 

奥には弘法大師、手前にはたくさんのお供物がありました。

15分程のお参りでした。

 

 

【伊豫豆比古命神社】中伊予のパワースポットを巡る旅 10 に続く・・・