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徒然なるままに山と歴史を・・・

このブログでは登山記録、また、歴史旅について書いていこうと思います。

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2025年8月 鹿児島県大隅エリアのパワースポットを巡ってきました。

その40.霧島温泉郷 です。

 

 

霧島神宮からR223を北東にずっと行くと、丸尾滝があります。道路からすぐの所に滝見台があります。また手前から河原に下りる獣道のような道がありましたが、滑りそうなので行くのはやめました。

 

落差23mの丸尾滝は、上流にある温泉のお湯が流れていて、冬は湯気が立つそうです。

 

丸尾滝のすぐ先が霧島温泉郷です。先日の集中豪雨で、元々予約していた宿が土砂崩れで行けなくなった為、急遽別の宿に変更しましたが、その宿は外湯を3つ持っていました。チェックインしてすぐに一つ目の外湯へ行きます。

 

3棟とも貸切風呂で、ホテルで鍵を借りていきます。

 

露天風呂ですが、洗い場にはシャワーがあり、石鹸やシャンプーもありました。汗を流してサッパリ、高千穂峰登山の疲れも取れました。

 

夕食後に別の棟の温泉に入ります。

 

こちらは露天ではありませんが、片側の壁はなく、窓も開けっぱなしです。

 

翌朝、まだ人の動きがない時間ですが、朝風呂に行きます。向こうには湯けむりが立ち上っています。

 

湯けむりの向こうには新燃岳の噴煙が見えます。

 

今日は昨晩とは別の湯に入ります。

 

昨日の2つ目の風呂と同じような造りでした。

 

昨日の夜の暗い時にはわかりませんでしたが、3棟の建物の上に源泉がありました。

 

 

【和気神社】日向・大隅のパワースポットを巡る夫婦旅 41 に続く・・・

2025年8月 鹿児島県大隅エリアのパワースポットを巡ってきました。

その42.宮浦神社 43.蛭子神社 です。

 

 

霧島市内を抜けて錦江湾に沿ってR220を東へ行くと、丁字路を左に曲がった所に宮浦神社(宮浦宮)があります。

 

鳥居に前からは桜島を望めます。

 

参道の石段の一番手前には右側に小さなお社があり、少し上った所に向かい合って建っています。

 

階段を上ると正面の社殿の両側に大きなイチョウの木があります。

 

イチョウの木は元々神武天皇の手植えとされ、現在のイチョウは2代目です。左側のイチョウには西南戦争の際の弾痕がある、と説明版に書いてありましたが、よくわかりませんでした。右側のイチョウは230年程前の大火の痕跡が、と書いてありましたが、それもわかりませんでした。

 

宮浦神社は延喜式内社で神武天皇の伝説も残る古社ですが、拝殿は小さく質素です。

 

拝殿の後ろにはサッシがついていました。

 

拝殿の横にも小さなお社がありました。

 

拝殿は間口は小さいものの奥行きがありました。奥の本殿は彫刻や彩色はなく、神明造りの質素な建物でした。

 

本殿の左後ろには石積みの上に少彦名命などの神様の名前が刻まれた石柱がありました。

 

社殿の前は広い芝生で、桜島がよく見えました。

 

拝殿の左側にもお社がありました。

 

蛭児(ひるこ)神社の鳥居はR504に面したところにポツンと建っています。

 

ドラッグストアの横の細道をまっすぐ行くと、遮断機のない踏切がありました。車は通れないようですが、タイヤの跡ははっきり残っています。

 

踏切を渡って民家の間を行くと階段があります。階段の上り口の右に神代の楠木があります。

 

楠は今は枯れ株が残るのみです。蛭児尊が乗ってきた楠の舟がここに根付いたそうです。古事記には葦の舟とされていますが。

 

更に階段を上ります。

 

階段の上に道路があり、道路に沿って300年前に造られた宮内原用水が流れています。

 

宮内原用水を渡ったところに、注連縄の掛かる御神木の大楠がありました。この宮内原用水は岩山を開削し、トンネルを掘り、12kmを5年かかって造り上げたそうです。

 

用水を渡って右の鳥居をくぐると、瓦葺きの小さなお社があります。

 

右にカーブする参道の先に蛭児神社の拝殿があります。

創建は不明ですが、付近には奈良時代の銅鏡が出土した遺跡があるなど、古くから祭祀が行われてきたと考えられる古社で、大隅国二ノ宮でもありますが、何となく寂しい感じです。

ご祭神はイザナギとイザナミの間に最初に生まれた子であるにもかかららず、舟で流されてしまいました。蛭子はエビスとも読み、全国に恵比寿様(事代主神)を祀る神社があります。

 

ガラ~ンとした拝殿内です。

 

拝殿とともに平成23年に建てられた本殿も質素でした。

 

 

【鹿児島神宮】日向・大隅のパワースポットを巡る夫婦旅 44 に続く・・・

2025年8月 鹿児島県大隅エリアのパワースポットを巡ってきました。

その53.宇喜多秀家公潜居跡 です。

 

 

牛根麓稲荷の埋没鳥居から東へ2km程の所に宇喜多秀家公潜居跡があります。国鉄大隅線の廃線を利用した「しおかぜ街道」沿いの駐車場から歩いていきます。

 

桜島を見ながらしおかぜ街道の下に下ります。

 

ガード下を抜けて奥へ行く道がありますが、道幅は1mちょっとです。宇喜多秀家公潜居跡200mの看板がありました。

 

道幅は更に細くなり、両側には廃墟。廃墟の庭から枝が伸び、昼間なのに不気味な感じです。

 

家はなくなり、看板も草に覆われていました。左が七人塚ということで、行ってみます。

 

倒木の下をくぐって奥へ行きます。

 

倒木の奥の広いスペースが七人塚です。周囲は土塁のように盛り上がっていました。宇喜多秀家の家臣七人の住居と思っていましたが、源平合戦に関わる史跡でした。

 

潜居跡への道に戻り、更に奥へ行きます。

 

この辺りも先日の集中豪雨の影響があったのか、道はだいぶ荒れていました。

 

階段を上っていくと小さな石祠があり、その横に岡山城の石がありました。

 

更に上へ行く階段がありましたが、土砂や枝葉が覆っていて、サンダルで行ける感じはなかったので、ここで引き返します。

 

しおかぜ街道の下をくぐって向こうへ行きます。

 

川沿いを歩いていくとすぐにR220に出ます。道を渡った所に宇喜多秀家をかくまった平野屋敷の跡があります。

 

立派な門柱の手前に平野家下屋敷跡の石柱が建っています。

 

しおかぜ街道に戻ってきました。平野家下屋敷跡のすぐ後ろは錦江湾です。

 

道の奥の小さな山が潜居跡のある所です。

 

 

【にこ展望所・荒平天神・高須神社】日向・大隅のパワースポットを巡る夫婦旅 54・55・56 に続く・・・

2025年8月 鹿児島県大隅エリアのパワースポットを巡ってきました。

その51.牛根麓稲荷の埋没鳥居 52.安徳天皇陵 です。

 

 

佐多岬から大隅半島の西岸を北上して、桜島の入口を過ぎるとすぐに、牛根麓埋没鳥居公園の看板があります。奥へ行くと舗装された駐車場がありました。駐車場にある看板は草に埋没しそうでした。

 

駐車場からは細い坂道を上っていきます。

 

坂道の途中右側に広場がありました。

 

広場にはベンチがあり、桜島がよく見えました。ここが埋没鳥居公園のようです。

 

坂道は階段に変わり、更に行くと埋没鳥居が見えてきました。

 

牛根麓稲荷の埋没鳥居は貫が抜け落ちていて、笠木が中央でずれています。貫は埋まったままなのかもしれません。

 

埋没鳥居の横を更に上がって行くと、稲荷神社のお社がありました。

 

左には石祠が、右には灯篭のようなものがありました。

 

埋没鳥居から西へ少し行った所に安徳天皇陵があったので、行ってみることにします。傘仏首塚の駐車場に車を止めて、森に中に入ります。

 

細い坂道は舗装されています。

 

左へ上がる古びた石段がありました。

 

石段を上ると、向こうに並ぶ石灯篭が見えました。

 

石灯篭の後ろは土塁になっているようでした。

 

石灯篭を左に曲がると、石に囲まれた所に石がありました。3年前に対馬に行った時にも安徳天皇陵がありましたが、それに比べると規模はだいぶ小さめです。

 

安徳天皇陵から戻ってきました。駐車場の向こうに笠仏首塚があるようなので行ってみます。

 

首塚や六地蔵はなく、石碑と灯篭がありました。

 

駐車場の向こうの森が安徳天皇陵です。

 

 

【宇喜多秀家公潜居跡】日向・大隅のパワースポットを巡る夫婦旅 53 に続く・・・

2025年8月 鹿児島県大隅エリアのパワースポットを巡ってきました。

その50.佐多岬 です。

 

 

本土最南端の佐多岬にやってきました。駐車場の一番奥には巨大なアコウの木がありました。たくさんの気根を下ろし、ジャングルのようです。

 

岬の方へ行くトンネルの入口にもアコウがありました。一昨年に五島に行った時もあちこちでアコウを見ましたが、南国の趣きがあります。

 

歩行者専用の涼しいトンネルを行きます。

 

ブラブラと3分程歩いていくと、トンネルの先に小さな広場がありました。

 

広場からは展望台が見えます。

 

広場の先を少し下ると、展望台の左の方に灯台の頭が見えました。

 

広場から5分程緩やかに下っていくと御崎神社の社殿が見えました。

 

右に社務所、奥に拝殿があります。

 

コンクリート製の社殿は台風や周囲からの土砂崩れにも耐えられそうです。

 

本殿の横には土砂崩れの痕跡が生々しく残っていました。

 

本殿左にはアコウが覆い被さるように立っていました。

 

お参りの後、社務所の方に声をかけられ、「金の延べ棒」を頂きました。溶けないうちにその場で頂きました。

 

御崎神社からはほとんど平坦な道になります。3分程で休憩広場に出、そこからは長いスロープになります

 

スロープからは海が見えて、風もあって気持ちがいいです。

 

2つ折り返すと展望台が見えてきます。

 

5分ちょっとスロープを歩いて展望台に到着です。1Fにはここからの展望がパネル展示してあり、それを参考に屋上に上ります。

 

美しい開聞岳がバッチリ見えます。

 

竹島と硫黄島が見えます。

 

屋久島はちょっと見えませんでした。

 

すぐ下に展望広場、その先には灯台が見えます。

 

下の展望広場に行ってみます。途中のトイレの屋根も展望台になっていました。

 

展望広場に下りる手前に大きな石祠がありました。

 

祠の土台には延享三年寅年(1746年)六月と刻まれていました。江戸中期の1746年、8代将軍吉宗の時代です。

 

かつては灯台から途中の小島を経由して、すぐ先の平坦な島にゴンドラが渡されていました。

 

展望広場から下に行く階段があります。この先に灯台守広場があるので行ってみます。

 

階段を下って行くと展望台に行くスロープがありました。かつてはこの階段で展望台へ行くようになっていたみたいです。

 

すぐに休憩広場の奥に出ました。

 

休憩広場の先も細い階段が続いています。

 

階段の途中に石垣がありました。下から見上げるとかなりの高さがあります。灯台関連の建物があったのかもしれません。

 

階段を下り切った所で丁字路にぶつかりました。

 

丁字路を右へ行きます。

 

灯台守の官舎に出ました。

 

小部屋を覗くと、二段のステップがありました。トイレか浴室のような感じです。中に落ちているのは入口の扉のようです。

 

官舎の山側にレンガの壁が続いていました。

 

海側を通って奥へ行きます。

 

窓には木製の額縁が残っていました。屋根がない為、官舎内は深い草むらになっていました。

 

木造の建物があった辺りにベンチがあります。

 

向こうの崖の中腹には駐車場の端の展望台の屋根が見えました。

 

それでは駐車場の方へ戻ることにします。向こうのなだらかな山は御崎山です。

 

海側には大小の窓が並んでいます。

 

灯台守広場から来た道を戻って、丁字路をまっすぐ行くと小さな橋がありました。

 

2つ目の橋の先は上りの階段になります。

 

3つ目の橋の先が二股に分かれていて、正面にはアコウの巨木があります。

 

アコウを左に行くと、岩の上に頭がありました。仁王様のようです。

 

アコウの気根をかき分けた先に鳥居がありました。御崎神社の鳥居です。そう言えば行きに御崎神社に寄った時には鳥居をくぐりませんでした。ここが表参道なのかもしれません。

 

参道の階段にはシュロが迫り出していて、まるでニノ鳥居です。

 

参道の両側に宝篋印塔のようなものがありました。

 

更に階段を上がると石祠がありました。参道の左右に向かい合って建っています。

 

階段を上り切った正面に御崎神社の拝殿があります。

 

拝殿でお礼をして階段を下ってきました。

 

アコウを左に曲がると階段です。

 

カンボジアのタプローム遺跡のスポアンのようです。

 

最後に木製の階段を上ると、最初に通った道に合流します。

 

とんねるをくぐって駐車場に戻ります。

 

アコウの大きな日陰では人々が涼んでいました。

 

一応展望台に行ってみます。屋久島は見えませんが、灯台の左の方には種子島が見えました。

 

 

【牛根麓稲荷の埋没鳥居・安徳天皇陵】日向・大隅のパワースポットを巡る夫婦旅 51・52 に続く・・・