2024年12月 栃木県大田原市のパワースポットを巡ってきました。
その⑥ 笠石神社・法輪寺 です。
国道294号と県道343号の交わる所が「笠石神社交差点」です。民家の横を入っていくと笠石神社があります。ここで発見された那須国造碑の調査の為に近くの侍塚古墳(国造の墓と言われている)を発掘したことから、日本の考古学発祥の地とされています。遺跡の調査や整備に関しては、水戸黄門の家臣の助さん(佐々介三郎)が指揮を執って行われました。
鳥居の奥の笠石神社本殿の左には稲荷神社が祀られています。
右側には拝殿があります。普通は本殿の前にある拝殿ですが、別の神社のような感じです。
拝殿の中にはお神酒や米などのお供えがありました。
本殿の手前には小さな狛犬がありました。
笠石神社のご神体が那須国造碑です。
那須国造は大化の改新以前に、朝廷から地方統治を認められていた豪族のひとつで、那須与一はその子孫と言われています。今年の夏に行った隠岐にも古代に国造がいて、今でも子孫の億岐家が存続しています。
笠石神社から国道294号を南下していくと、那珂川と箒川の合流点付近に光丸山こうまるさん法輪寺(天台宗)があります。入口の石柱には光丸山大日堂と刻まれています。
石灯篭の手前に狛犬がいて、神仏習合の名残が見られます。正面の大日堂は大日如来を安置する光丸山の本堂です。
大日堂の手前には大天狗の顔出しパネルがあり、左手に天狗堂があります。
天狗堂の中には重さ1トンの大天狗や烏天狗のお面が安置されていました。
大日堂の向拝虹梁の上には4頭の獅子がいました。
大日堂と社務所の渡り廊下の下をくぐると、大黒天堂があります。大黒様の石像が安置されていました。この大黒様は八溝七福神のひとつです。
大黒天堂の横に行くと中の院の参道があります。
大谷石の参道を行くと右側に薬師堂があります。薬師如来と十二神将が安置されています。
薬師堂のすぐ先にある茅葺屋根の勅額門には美しい蛇の目傘が置いてありました。文字はだいぶ薄くなっていますが「正覚山」の扁額が掛けられています。このお寺は正式には「光丸山並びに正覚山実相院法輪寺」
勅額門をくぐると、すぐ左の板塀の切れ目の向こうにお堂がありました。
阿弥陀如来を安置している無量堂の廻縁にも、蛇の目傘が置かれていました。
勅額門をくぐってまっすぐ庭を突っ切ると釈迦堂があります。
釈迦堂の手前を左に行くと玉持観音を安置する観音堂があります。観音堂の奥には、天満宮と日吉神社の小さなお社が並んでいました。
観音堂の前には夫婦杉。日光杉並木が樹齢400年弱なので、こちらは100年ちょっとでしょうか。
観音堂の左側の塀の一部に拝殿のようなものが組み込まれていました。位置的に那須資晴の墓の前のようですが。
那須氏は那須与一以降この地を治める有力氏族でしたが、資晴の時に豊臣秀吉の北条攻めに遅参して、配下だった大関氏や大田原氏などの独立を許してしまいました。関ヶ原で東軍に加わり、1万4000石の大名となりましたが、その後改易されて石高1000石の旗本となりました。
釈迦三尊像を安置する釈迦堂は正覚山法輪寺の本堂です。
釈迦堂に前には西行桜があります。戸隠の火之御子社にも西行桜がありましたが、こちらの方が立派です。
鐘楼と宝蔵の間を抜けて駐車場に戻ります。
法輪寺から国道294号を挟んだ所に御行ごぎょう川が流れていて、川の中に鳥居が建っています。北西にある光丸山奥の院の一の鳥居です。
【那須温泉神社】大田原のパワースポットを巡る夫婦旅 その⑦ に続く・・・