【春の福島県央 ⑪⑫:浄土松公園・王宮伊豆神社】田村・安積地域を巡る夫婦旅 | 徒然なるままに山と歴史を・・・

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2024年4月 福島県田村・安積地域のパワースポットを巡ってきました。

その ⑪浄土松公園 ⑫王宮伊豆神社 です。

   

 

 

飯豊和気神社のある妙見山から下りて、浄土松公園に来ました。

 

駐車場から多目的広場の向こう側に行くと、道は整備されていません、と看板が出ていましたが、普通の格好で全然問題ありません。

 

周辺は脆い凝灰岩でできている為、風化して足元が砂になっていて滑りやすくなっています。

 

広場の端から5分程登って黒岩の横に出ましたが、ロープが張られていて、向こうには行けません。

 

黒岩から下って見上げると、角のない滑らから岩が積み重なっている様子が見えました。

 

黒松の横から下る途中からは妙見山方面が見えました。

 

きのこ岩の上の方が見えてきました。

 

きのこ岩の右の方から下りてきました。周囲は柵で保護されています。

 

左の方へ行くと柵の外に岩の一部が出ていました。下には崩れて砂になったものが堆積しています。岩はザラザラで手で強く擦ると表面が崩れてしまうと思います。

 

以前は小さなカッパドキアのような光景が見られたようですが、震災でだいぶ崩れてしまい、きのこっぽくなくなってしまいました。

 

来た道を戻り、家族連れがくつろぐ広場を抜けて駐車場へ向かいます。

 

浄土松公園から北へ行くと王宮伊豆(おうのみやいず)神社があります。千本桜の看板に出ていたので、名称が気になって来てみました。

 

神社の東側にある裏参道から社殿の前まで車で来られました。

聖武天皇の義兄弟である葛城親王が、按察使に任じられて安積地域を開発をしたことを称える奥州草分大社として創建されました。

その後源頼朝によって奥州藤原氏が滅亡した後に、この地に入部した伊東祐長が、伊豆山・箱根・三嶋の神々を勧請、合祀して王宮伊豆神社となりました。伊東氏はその後安積氏を名乗るようになりました。

 

拝殿の左手前に、寛政5(1793)年に建立された石碑があります。

 

刻んである碑文をそのまま書いているので、細かいことはよくわかりませんが、班田使として安積の地に下向して、民を慈しんだ葛城親王の徳を慕って祠を建てて祀るようになった、ということのようです。

葛城親王は臣籍降下して橘諸兄と称し、奈良時代を通じて朝廷の中心人物でした。この地に赴任した記録はありません。

同年代に安積親王という人もいますが、この人は聖武天皇の皇子で孝謙女帝の弟です。17歳で亡くなっているので、この親王が赴任した可能性もありません。

 

石碑は亀の上に乗っていました。

 

拝殿の左から後ろにかけて石祠がたくさんありました。

 

玉垣がありますが、本殿ではなく本殿の裏が囲まれています。その中にある石祠が葛城王の墓と伝えられています。

 

拝殿の先にはまっすぐ石段が延びていて、ここが表参道になっています。

 

石段の上には随神門があります。

 

 

【春の福島県央 ⑬:御陵櫃峠】田村・安積地域を巡る夫婦旅 に続く・・・