2023年3月 比企地域の史跡を巡ってきました。
2月28日
息障院(源範頼館跡):比企郡吉見町御所
吉見百穴:比企郡吉見町北吉見
岩室観音:比企郡吉見町北吉見
松山城:比企郡吉見町北吉見
安楽寺(吉見観音):比企郡吉見町御所
金剛寺(比企館跡):比企郡川島町中山
3月1日
鴻巣(ひな祭り)
源経基館跡:鴻巣市大間
宗悟寺:東松山市大谷
比丘尼山:東松山市大谷
三門館跡:比企郡滑川町和泉
正法寺(岩殿観音):東松山市岩殿
判官塚:東松山市岩殿
三門館跡からずうっと南下して、正法寺にやってきました。九十九川にかかる惣門橋を渡ると、参道がまっすぐ続いています。
参道の突き当たりに山門(仁王門)が見えてきました。
参道の両側に建ち並ぶ民家には全て屋号があり、道に面した所に掲げられています。
岩殿山正法寺(真言宗智山派)は岩殿観音と呼ばれています。比企能員が中興の祖とされ、仁王門や観音堂の前には宗悟寺と同様に「比企氏ゆかりの地」の幟が出ています。
紫外線カットガラスで保護された仁王様は、江戸後期の文化年間に造られたものですが、平成の解体修理があって新品のようです。
仁王門の先には長い石段が続いています。門を右へ行くと本堂がありますが、ここは石段を上ります。
石段の先を右へ折り返すと、奥に江戸中期に再建された鐘楼があります。
鎌倉・室町期の寺院は、願主や檀那に沙弥○○や○阿弥・○阿と称する人が多いです。
鐘楼の先は崖になっていて、門前町のずっと先に坂戸方面が見えます。
境内にはいくつかお堂がありますが、まずは観音堂にお参りします。観音堂は江戸後期に建てられ、明治の初めにここに移転されました。
ふと見ると、観音堂の前には左右に狛犬がいました。
観音堂の軒下には、肩をイカらせた鬼がいました。
向拝には豪快な龍の彫刻があります。
比企局にご挨拶して観音堂に上がります。
向拝だけでなく、お堂自体も欄間や蛙股に細かい彫刻があります。
龍や獅子も飛び出しています。
ご本尊の千手観音菩薩を拝ませて頂きました。
障子の上の欄間には、龍と一緒に弁天様のような方がいました。
堂内の内陣の欄間にも飛び出す彫刻があります。
天井には龍やクジャクの絵が描かれています。算額が奉納されているそうなのですが、それは見当たりませんでした。
観音堂を取り巻くように切り立った崖がありますが、たくさんの観音様がいます。百ヶ所霊場(秩父・坂東・西国)の観音様と四国八十八ヶ所をお参りしたのと同じご利益が得られるそうです。
観音堂の右前には、樹齢700年を越えるイチョウの巨木があります。
イチョウの根っこは、蛇が絡み合ったように見えます。
イチョウから観音堂の前を突っ切って薬師堂にお参りします。
薬師堂には薬師如来の他に善光寺阿弥陀如来も祀られています。
薬師堂の斜め後ろに百地蔵堂があり、中には小さなお地蔵さんたちが並んでいます。
まっすぐ続く参道の緩やかな坂を下って、判官塚へ行ってみます。
大東文化大学のキャンパス内にある判官塚へは、正法寺の参道から行くことができますが、駐車場はありません。
階段を上り、緩い坂を回り込むように上っていくと、判官塚の裏側に出ます。
判官塚(比企明神)は比企能員を供養する為に築かれたものですが、今は移転して小さな祠がポツンと祀られているだけです。
判官塚の周辺は大学の試験用の畑になっています。
枝垂梅や蠟梅が咲く道を下って参道に戻ります。
判官塚から参道を抜けた先に足利氏の史跡があるので、最後に行ってみることにしました。居館跡の手前に弁天沼があるのですが、弁天様が祀られている中島に渡る朱塗りの橋が架けられています。こんな所にも坂上田村麻呂の伝説がありました。
弁天沼からすぐの、民家の裏に足利基氏の塁跡があります。基氏は初代鎌倉公方で、この地は芳賀高貞との戦の際に本陣とした所です。土塁や堀の跡が残っていますが、民家の裏山に入ることはできません。
既に5時を過ぎているので、これで最後、もう帰路につきます。
次はどこへ行こうかなあ・・・