2022年7月 茨城県北西端・奥久慈のパワースポットを巡ってきました。
その②近津神社(上野宮)と、③八溝山・日輪寺です。
旅程
【1日目】
12:25 鷲子山上神社 (56分)
[那賀郡那珂川町矢又]
14:16 近津神社(上野宮) (16分)
[久慈郡大子町上野宮]
15:00 八溝山 (14分)
[久慈郡大子町上野宮]
15:20 日輪寺 (7分)
[久慈郡大子町上野宮]
15:51 近津神社(町付) (17分)
[久慈郡大子町町付]
16:22 近津神社(下野宮) (15分)
[久慈郡大子町下野宮]
大子町 泊
【2日目】
月待の滝 [久慈郡大子町川山]
袋田の滝 [久慈郡大子町袋田]
西金砂神社 [常陸太田市上宮河内町]
東金砂神社 [常陸太田市天下野町]
佐竹寺 [常陸太田市天神林町]
鷲子山上神社から八溝山へ向かう途中に、近津神社(上野宮)があります。北の方の福島との県境は真っ黒な雲に覆われていて、向こうは確実に雨が降っているようなので、八溝山はパスして、近津三社を回ることにしました。
拝殿に掛けられた由緒書には、この神社は景雲4(707)年、文武天皇の時代に池田鏡山城主藤原富得が勧請したことに始まるとされていて、坂上田村麻呂が八溝山の岩竹丸討伐の際に参篭し、後三年の合戦の際には源義家が参篭して所領を寄進した、と書いてあります。更に中世以降は佐竹氏の庇護を受け、所領の寄進や社殿の造営が行われた、と書いてありますが、ここまでは恐らく下野宮の社伝ではないかと思われます。
戦国時代の永禄12年末に佐竹義重によって近津神社下野宮から遷宮し、社殿が造営された、とあるので、この時が創建ということになると思われます。江戸時代に入ると水戸徳川家の庇護を受け、大正12年には郷社に列せられました。
県道に面して参道の階段があり、その両側が石垣になっていて、駐車場はなく、路肩に車を置いて鳥居をくぐると、長い草の参道が続いています。
参道の途中で左の方を見ると、茶畑の向こうに茅葺き屋根の家が見えます。昔ながらの農村風景といった感じです。
参道の先に随神門があります。その前にいる狛犬は、仔犬を踏んづけています。
随神は顔がだいぶ黒ずんでいますが、凛々しい顔つきです。
随神門の先にも参道が続いています。
石段の途中にある杉の巨木には、 注連縄が掛けられています。
石段の手前の手水は水は出ていませんが、水口は何とライオンです。龍はよく見ますが、ライオンは銭湯でしか見たことがありません。
石段の上は意外と広く、拝殿の左右には奥の方に小さな摂社があります。
拝殿の向拝には、獅子や象の彫刻があります。
山を背にした本殿は、棟持ち柱のある立派な神明造の建物でした。
上野宮から北の方の空が少し明るくなってきたので、八溝山へ行くことにしました。
県道から分かれる八溝林道の入口に、大きな鳥居がありました。
林道入口から15分程行くと富士見ヶ丘駐車場があます。そこから更に上へ行くと、道から少し入った所に木製の鳥居があり、上の方に階段が続いていました。鳥居の横には白馬の像があります。
車は道の突き当たりの広くなっている所に止めて、少し歩くと八溝峰嶺神社があります。白馬の鳥居から上がってくると、ここに出ます。
八溝嶺神社は景行天皇40(110)年に創建されました。日本武尊が東征の際に八溝山の賊を討伐し、大己貴命と事代主命を祀ったのが始まりと伝えられています。延暦16(797)年には、坂上田村麻呂が陸奥国の悪路王の討伐の際に祈願し、後に宝剣を奉納しました。
拝殿のうしろには3つの扉のある本殿があります。山頂とは思えない大きな社殿です。
神社の斜め後ろに天守閣のような展望台があります。
展望台からはすぐ下に八溝嶺神社が見えます。本殿の後ろが八溝山の山頂です。
八溝山は茨城・福島・栃木にまたがっているので、ガスっていなければ3県を一望できたはずですが、雨が降っていないだけマシと思うことにします。
茨城県の最高峰、八溝山山頂(1,022m)です。山頂からだと、普段でも展望はないようです。
八溝山から県道を少し下ると分岐があり、細い道を少し行くと八溝山日輪寺(天台宗)があります。山頂から5分程の近さです。広い駐車場に車が一台。ここのお坊さんは通ってきているようです。
日輪寺は7世紀後半の天武天皇の時代に、役行者が創建した古刹です。大きな本堂は50年程前に建てられた鉄筋コンクリート造の建物です。
本堂の天井の耐火ボードには、ロウソクなのか護摩を焚いた跡なのか、煤がついています。
本堂の横に観音堂があり、その前には白馬が。八溝嶺神社にもいましたが、八溝山には白馬にまつわる伝説でもあるのでしょうか。
お堂の中には観音様がいますが、色々なものが乱雑に置かれていて、読経の際に鳴らす磬子(けいす)には穴があいています。
茨城県北西部 ④⑤:近津神社(町付/下野宮)に続く・・・