2025年8月 宮崎県のパワースポットを巡ってきました。
その28.飫肥城 です。
日南の街から酒谷川を少し溯ったところに飫肥の街があります。県道432号から大手門交差点を入った所に無料駐車場があります。大手門前の通りは両側に石垣の積まれた武家屋敷の跡が今も残っています。
通りをまっすぐ行くと大手門ですが、ちょうど昼時なので、食事に行くことにします。
大手門交差点の南側にまっすぐ続く道も、古い町並みが続いていました。
1本目を右に曲がっていきます。裏の通りも武家屋敷の石垣が続いていました。
少し行たところに武家屋敷伊東邸というレストランがあります。
内部は武家屋敷の面影はありませんでした。
宮崎牛ステーキ。3通りの食べ方があるので、ごはんを2回おかわりしてしまいました。
2杯目は卵黄で溶いてどんぶりにして、3杯目はだし汁です。
伊東邸を出て、これから飫肥城に向かいます。
大手門通りの途中右側に小村寿太郎記念館があります。
門の先にあったのは小村邸ではありませんでした。寿太郎記念館はこの裏にあります。
小村寿太郎記念館の入口の斜向かいに、藩主一門の邸宅だった豫章館があります。
飫肥藩主伊東氏は伊豆の鎌倉御家人工藤氏の一族で、足利尊氏の命で下向して以降、日向を支配しました。一時的に島津氏に追われて所領を失いましたが、豊臣政権下で回復し、廃藩置県まで飫肥城を拠点に栄えました。藤原南家に連なる名家です。
門から母屋まではかなり先です。
通りに戻ると正面に飫肥城の大手門があります。
お堀は石垣ではないようです。
大きな鉄の扉のついた門をくぐります、
大手門の内部は枡形虎口になっています。
振り返ってみると枡形の様子がよくわかります。
枡形を抜けたところには、高い石垣と塀が立ちはだかります。
石垣に沿って左に行くと杉林の左に高い土塁がありました。堀が浅く狭かったので、あまり防御を考慮していないと思いましたが、皆無ではないようです。武田信玄のように、城下町まで攻め込まれるようでは既に負け、という思考なのかもしれません。
本丸の石垣に沿って右へ曲がります。
階段の先で突き当たると右へ行きます。するとまた枡形がありました。
枡形を左に行きます。
少し行くと左に上がる石段がありました。
石段を上ると松尾の丸御殿があります。50年程前に建てられたものです。
松尾の丸から元の道に戻ります。向こうに見える小学校は本丸があったところです。
苔むした石垣と本丸の間をまっすぐ行きます。
突き当りのなだらかな階段を上ります。
階段を上り切ったところが旧本丸です。
旧本丸は一面コケに覆われていて、周囲には土塁が巡らされていました。
旧本丸の北側に裏門があります。
門の向こうにはかつて曲輪だった中学校のグラウンドがありました。
上ってきた階段を下ります。
松尾の丸の下を抜けて、歴史資料館の方へ行ってみます。
歴史資料館の前を抜けて階段を下ります。向こうには櫓台のあった石垣が見えます。
櫓台の下から振り返ります。この辺りは馬出のような使い方をされるのかもしれません。
大手門枡形へ下ります。
大手門を出てこの先の郷土料理屋の角を曲がって観光駐車場に戻ります。
【榎原神社】日向・大隅のパワースポットを巡る夫婦旅 29 に続く・・・