徒然なるままに山と歴史を・・・

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このブログでは登山記録、また、歴史旅について書いていこうと思います。

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2025年11月 愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。

その15.石鎚神社 成就社 です。

 

 

石鎚神社本社から県道142号・県道12号を南下していくとロープウェイへの入口があり、その前の有料駐車場からスタートです。坂道を行くとすぐにお堂があります。右の柱には「石鎚山大天狗法起坊堂」左の柱には「石鎚山極楽寺天狗堂」と書かれていました。

 

お堂の中央には天狗がいました。右の不動明王や左の役行者が脇役です。

 

法起坊堂の前を折り返すと、すぐ右に小さなお社があります。

 

お社に祀られている三光坊は弘化3(1846)年に生まれ、28歳で神官となって修行を続け、30歳で石鎚山に庵を結んで香川県坂出市の信徒を集め、明治14(1881)年に35歳で亡くなりました。

 

更にすぐ先には左のシャッターの一番手前に役行者を祀るお社がありました。

 

更にカーブを曲がると子安観音の向こうにロープウェイ山麓下谷駅が見えてきました。駐車場から5分程です。

 

ロープウェイ周辺は一部の木々がちょうど紅葉を迎えていました。

 

ロープウェイは8分で成就駅に到着します。急な坂を少し行くと展望所があり、笹原の広がる瓶ヶ森から瀬戸内海まで見渡せました。

 

広々とした展望所からリフトの方へ向かいます。

 

緩い坂は二股に分かれました。右へ下ります。

 

すぐにリフト乗り場がありました。成就駅から5分程です。

 

リフト終点からは西条の街を見下ろせました。

 

リフトの後ろの展望台は行けないようになっていたので、成就社に向かいます。一旦階段を下り、登り返していきます。

 

階段の先に鳥居がありました。リフトを下りてゆっくり歩いて15分程です。道はここから3つに分かれます。

 

展望台経由で行ってみることにします。

 

落ち葉に隠れた根っこに気をつけながら緩やかな坂を行くと展望台があり、双眼鏡が設置されていましたが、落葉しつつある枝の向こうにうっすら石鎚山が見える程度でした。

 

展望台からは下り坂です。すぐに遥拝殿が見えてきました。鳥居から10分程でした。

 

遥拝殿の横からは石鎚山が見えました。

 

成就社の横には八大龍王社がありました。水の神様です。

 

ようやく石鎚神社 中宮 成就社に到着しました。まずは遥拝殿でお参りします。

 

正面の石鎚山の扁額に両側には天狗のお面が掛けてありました。

 

祭壇の向こうに石鎚山が見えました。

 

本殿の方は後でお参りに行きます。

 

遥拝殿の左へ行くと神門がありました。

 

この神門が石鎚山の登山口です。

 

神門から戻ってくると鳥居があります。

 

鳥居の前は小さな門前町のようで旅館が軒を連ねていました。

 

旅館の間を抜けて行くとリフトを使わずにロープウェイ成就駅に歩いて行けます。

 

とりいをくぐって本殿にお参りに行きます。ギョッとした感じの狛犬。そんなに驚かなくても、と言いたくなります。

 

リフト乗り場に戻る前に役行者のように振り返ってみます。

 

遥拝殿の上に石鎚山が見えました。

 

ここを通っていきます。ここが道なのか心配になったので、一旦引き返して社務所で聞いたら、正しかったようです。

 

物置のようなところを抜けるとリフト乗り場の案内がありました。

 

案内板の所からギザギザした笹ヶ峰・沓掛山から瀬戸内海の方まで見えました。

 

カーブを曲がると鳥居がありました。こちらを通ると2分しかかかりませんでした。

 

鳥居から階段を下り、リフト乗り場へ登り返します。だいぶ日が傾いていますが、周囲の木々もだいぶ葉が落ちて明るい森です。

 

階段を登り切ったところからも石鎚山が見えました。

 

リフトを下り、ロープウェイ駅に向かいます。振り返るとスキー場のゲレンデが見えます。

 

リフトからすぐの所に奥前神寺があります。お寺ですが狛犬がいます。

 

 

祭壇の奥までは見えませんでしたが、役行者像や大きな天狗のお面がありました。

 

5分程下って成就駅に到着しました。

 

ギリギリ間に合いました。乗り遅れると20分待たなければなりません。

ロープウェイやリフトを使って駐車場から往復1時間半程かけての参拝でした。

 

 

【伊曽乃神社】中伊予のパワースポットを巡る旅 16 に続く・・・

 

2025年11月 愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。

その14.石鎚神社 本社 です。

 

 

石鎚山駅からまっすぐ行ってR11を渡った所に石鎚神社 口ノ宮 本社の大鳥居があります。

 

大鳥居の先をずっと行った先にニノ鳥居があります。

 

ニノ鳥居のすぐ先に大きな楼門がありました。鳥居は車でくぐってきましたが、ここから先の参道には入れません。右側の車道を進んで、駐車場に車を止めて、歩いて戻ってきました。

 

神門の屋根の棟には石と書かれた瓦が乗っていました。

 

棟の両端にはシャチがいて、鬼もたくさんいました。

 

あまり目立たない感じで彫刻もあります。

 

神門には天狗がいました。さすが神仏混淆の修験道場です。

 

神門の後ろ側に随神がいました。

 

神門の先には参道が続いています。

 

参道の途中には、石柱に渡された竹に注連縄が付けられていました。

 

参道の先の石段の上り口に石柱が立っています。備中国の方が奉納したものです。

 

石段の途中には摂社の大石社があります。

 

石段の上で参道は右に曲がります。正面には石鎚本教の本部があります。

 

参道は左に折れます。大きな斎館は石鎚会館という、宿坊にレストランや土産店が併設された建物です。

 

石鎚会館の前の階段の上にも石柱に竹と注連縄が渡されていました。石柱は陸軍大将が昭和9年に奉納したものです。

 

階段の先も参道が続きます。

 

参道の右奥に小さな摂社がありました。三倍神社と言っても、何かのご利益が三倍という訳ではないようです。

 

三倍神社の狛犬は笑顔で、出っ張った目が特徴的です。。

 

左側は舌を出しているように見えます。こういう凛々しくない狛犬に、何となく惹かれます。

 

三倍神社に背を向けるように方違社があります。ご祭神の歳徳神は牛頭天王の妃とも母とも言われる女神です。

 

方違社の横に池があります。

 

細長い池には玉垣を乗せた亀がいました。

 

亀の後ろに見えたお社は厳島社でした。

 

厳島社の前から本殿へ行く階段があります。

 

石鎚神社はここ本社と成就社と奥社と土小屋遥拝殿の4社で構成されています。

 

本殿への階段を上らず、先に行ってみます。

 

突き当たりには役行者がいて、その左の龍の口からは水が流れ落ちていました。

 

本殿の方へ行ってみます。高い石垣は城郭のようです。

 

急な階段には手すりではなく鎖がついています。石鎚山の鎖場の鎖と同じものです。

 

階段の上には祖霊殿がありました。役行者の他、先達やいろいろな人たちが祀られています。

 

祖霊殿の左手前に石造の遥拝殿があります。

 

遥拝殿の後ろに鳥居がありました。昔はここが石鎚山の登山口でした。

 

鳥居の手前の方に天保12(1841)年と刻まれた石柱がありました。

 

祖霊社の左を奥へ行くと御神水が湧いています。柄杓や漏斗が置いてあって、自由に水を汲むことができます。

 

祖霊殿の右奥に社殿がありました。

 

鳥居の先の社殿には、左から開拓社・河内八幡神社・荒神社・伊雑社・大山祇神社・秋葉神社が祀られる総合摂社があって、その右には素戔嗚命を祀る石造の天皇社があります。

 

総合摂社の右の階段を上ります。

 

階段の上も広々していました。

 

まずはお参りに行きます。

 

向拝には石の文字がありました。社殿の内部は撮影禁止です。

 

横から見ると向拝がヤケに長く前に出っ張っているのがわかります。

 

社殿の横の方からは瀬戸内海が見えました。

 

お詣りを終えて祖霊殿の横を通って戻ることにします。祖霊殿の本殿の下を抜けたところに御神水があります。

 

祖霊殿の屋根には獅子がいました。

 

急な階段を下って戻ります。境内が広いので1時間ちょっとの参拝時間でした。

 

 

【石鎚神社 成就社】中伊予のパワースポットを巡る旅 15 に続く・・・

2025年11月 愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。

その13.国津比古命神社 です。

 

 

松山市北部の北条の街から東へ行くと田園地帯になり、街の外れに近づくと道路をまたぐ鳥居があります。

 

鳥居の先には大きな石灯籠があります。

 

更にまっすぐ行った突き当たりに国津比古命神社があります。古い歴史を持つ延喜式内社です。

 

境内に入ると、狛犬が笑顔で出迎えてくれます。

 

左側のはちょっとウルトラマンレオみたいな感じです。手前の手水舎の屋根には獅子がいました。

 

右に隣接したお宅はこちら側に門があり、注連縄が掛かっていたので、宮司さんのお宅のようです。

 

階段を上ると左側に大きな随神門がありました。看板には楼門と書いてありますが単層の建物です。

 

屋根には宝珠の下に鬼がいました。

 

立ち姿の随神は笏を持っていますが、弓矢は持っていません。

 

門の左に神楽殿があります。神様に舞を奉納するという意味では、神楽殿は拝殿の近くにあるのことが多いのですが、ここはだいぶ離れた所にあります。

 

門の右側には神楽殿と対称の位置に金比羅宮があり、その前に真名井の井戸があります。

 

金比羅宮の外陣には壁や戸板がなく、オープンな感じです。

 

随神門の後ろに回ると、日露戦争の戦利品の砲弾が奉納されていました。

 

門の反対側には石造の扁額がありました。

 

門の先に伸びる石段を上ります。

 

階段の上にはどっしりした拝殿がありました。この辺りの少し盛り上がった所は実は古墳で、その名も国津比古命神社古墳といいます。

 

拝殿の外陣の中央部は奥へ引っ込んでいて、両側にある階から上がるようになっています。

 

外陣の長押の上に神像が描かれていると思いきや、自分の姿が映っていました。

 

拝殿の横から奥へ行ってみます。

 

本殿は神明造りです。装飾はありません。

 

本殿の後ろには竜宮城のようなものが置かれています。

 

拝殿の左側には稲荷社がありました。

 

社殿を一周したので下へ下りることにします。

 

国津比古命神社の楼門の斜向かいに櫛玉比売命神社があります。こちらも延喜式内社で、国津比古命神社の摂社や末社などではなく、独立した神社ですが、両社のご祭神は夫婦です。

 

参道の途中に和霊神社があります。宇和島に海の神様として祀られているのと同じでしょうか。

 

和霊神社は戸板や壁はありません。

 

和霊神社から更に上へ行くと、手水舎の先に社務所があり、奥に拝殿がありました。

 

向拝の上には獅子がいました。

 

国津比古命神社と同様に、拝殿内部は照明が点灯していました。

 

拝殿の右には素戔嗚命を祀る小さなお社があります。

 

本殿は流造でした。こちらも彫刻や彩色はありません。

 

社殿の周りを一回りして階段を下ります。楼門や金比羅様の右にあるのは斎館です。

 

向こうには瀬戸内海が見えました。国津比古命・櫛玉比売命両社を合わせて30分ちょっとの参拝でした。

 

 

【石鎚神社 本社】中伊予のパワースポットを巡る旅 14 に続く・・・

2025年11月 愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。

その12.太山寺 です。

 

 

松山の市街地から北西に行くと、標高203mの経ヶ森の東麓に滝雲山護持院太山寺(真言宗智山派)があります。道路をまたぐ一ノ門を車でくぐっていきます。

 

一ノ門からまっすぐ行くと二王門がありました。嘉元3(1305)年に建てられ、室町時代に楼門から単層に改修されたもので、国重文に指定されています。

 

二王門に掛かる扁額には太山寺ではなく、大山寺と書いてありました。

 

二王門の前に立つと、向こうに一ノ門が見えました。

 

二王門の横を抜けて坂道を行くと右側に駐車場があり、その横には納経所があります。このお寺は四国52番札所なので、お遍路さんたちはここに寄っていきます。

 

納経所の先に眼病に御利益がある一畑薬師のお堂があります。

 

坂の傾斜がきつくなってきました。道沿いに建つのはかつて宿坊だったお宅でしょうか。

 

駐車場から5分程坂道を行くと車止めがあり、その先で行き止りです。

 

突き当りの周囲はお地蔵さんが並び、大日如来や弘法大師もいました。

 

先へ行く階段がありましたが、ここは後で行くことにします。

 

大日如来の正面にある階段の上に大きな楼門があります。天和3(1683)年に再建されたものです。

 

大きな山門の廻縁の下の蟇股では、小さな獅子が遊んでいました。

 

山門には四天王がいました。

 

足元を見ると邪鬼が踏みつけられています。

 

山門をくぐるとすぐ右に手水舎があります。

 

正面には国宝の本堂がどっしり構えています。鎌倉時代末期の嘉元3(1305)年に再建されたものです。

 

本堂の屋根にはたくさんの鬼がいました。

 

奥の須弥壇の上には厨子があります。扉が開いていて、ご本尊が見えますが、内陣と外陣を隔てる長押にじゃまされて、お顔を拝むことはできませんでした。

 

本堂の廻縁からは左手に鐘楼がみえます。明暦元(1655)年に再建されたものですが、釣られている室町時代の鐘はよく見えません。

 

本堂からは右に大師堂が見えます。後で行ってみます。

 

鐘楼の横を行くと本堂の並びに護摩堂と稲荷堂があります。

 

護摩堂の奥には厨子がありましたが、扉は閉まっていました。

 

稲荷堂の前にはキツネ様です。

 

稲荷堂の先へ行くと六角形の聖徳太子堂がありました。

 

太子堂には聖徳太子がいらっしゃいました。

 

本堂の前を抜けて大師堂へ行きます。

 

三鈷杵を持つ弘法大師が祀られています。格天井には動植物や蝶や家紋など色々なもの描かれていました。

 

向こうにも宝形の屋根のお堂がありました。

 

一番奥に建っていた建物は長者堂です。

 

奥に立っているのが真野長者でしょうか。豊後の真野長者は飛鳥時代に大坂に向かう途中で嵐で遭難しかけた時に観音菩薩に祈ったところ

難を逃れることができ、そのお礼に一夜で寺を建てたのが太山寺のはじまりと言われています。

 

長者堂の辺りからは本堂の側面が近くから見られます。

 

屋根には鬼がいます。

 

蟇股には植物の彫刻がありました。

 

大師堂を横から見ると向拝の手前に、お参りする為のスペースのようなところがありました。

 

屋根の上には龍や獅子がいます。

 

向拝の上には彫の細かい花柄の瓦が載っていました。

 

山門をくぐって階段を下ります。

 

階段の下を右へ行ってみます。奥には小さな子安観音堂があり、その左には石仏が、堰堤の上には五重石塔がありました。大雨が降っても大丈夫なのか心配になります。

ここで駐車場に戻ります。45分程の参拝でした。

 

 

【国津比古命神社】中伊予のパワースポットを巡る旅 13 に続く・・・

2025年11月 愛媛県中部のパワースポットを巡ってきました。

その11.大宝寺 です。

 

 

松山総合公園の南東に古照山薬王院大宝寺(真言宗豊山派)があります。お寺に行く道には、朝日八幡大神と刻まれた社号標や、注連縄を渡した石柱があります。

 

突き当たりの鳥居の手前を左に曲がって細い坂を上ります。

 

道の終点に車止めがあり、その手前に駐車場があります。駐車場を出た所に六角形の夢殿がありました。ということは中には聖徳太子、と思いきや仏像でした。

 

夢殿の向かいには宝形のお堂があります。

 

車止めの先へ行くと鐘撞堂の向こうに本堂が見えました。

 

本堂の前にあるのがうば桜です。

 

本堂は国宝に指定されていますが、四国八十八ヶ所の札所ではないせいか、境内に参拝客は一人もおらず、ひっそりとしていて、葉が散りつつある桜がよく似合います。

 

本堂正面の扉の格子からは、ご本尊の阿弥陀如来を拝むことができます。両脇の如来様とともに国重文に指定されています。

 

本堂の前に石段があったので行ってみることにします。

 

下った先には山門や寺号標がありました。

 

改めて山門をくぐって境内に戻ります。15分程のお参りでした。

 

 

【太山寺】中伊予のパワースポットを巡る旅 12 に続く・・・