先日、義父の三回忌だった。


気持ちばかりの御供え物をして夫とも特に義父の想い出話もなく終わった。


私が介護職につく時「どんな介護士になりたいですか?」と施設長に聞かれ、


「利用者さんの痒いところに手が届く介護士でありたい」と、答えた。


これは【水商売】にも共通して言えること。


相手が今何を思ってるか。

相手が何を望んでいるか。

等々察して言われる前に気付いて動く。


老人ホームではそれらを察して動く私は利用者さん達から指名(本来そんな制度はない)を受けるほど人気があったが、先輩BBA介護士達から陰湿な虐めを多々受け続けた。


利用者さんの私物を隠されるのは日常、

挙げ句ベッドの柵まで隠されたり。


それらを探すのに無駄な時間を取られ、

やるべき仕事が遅れることも多々。


本来二人でやる作業も一人でやるよう押し付けられたり。


その施設では虐待も見受けられた。

(利用者さんの様子でも分かる)


結局、施設長に胸の内を吐き出し、陰湿な虐めを繰り返した先輩BBAにも電話で

「うるせー糞ババァ!」等と暴言を吐いて辞めた。


(私が辞めてまもなく、その施設での虐待事件発覚でニュースになった)


次に自由に動ける訪問介護を選んだが

結局、利用者さんて【傾聴】を望んでいる。


訪問先では仕事なんていいから話をしたいと言う要望が日常茶飯事だった。


お年寄りは昔話がしたいんだよね... 。


ウンウンと聞くだけでいい。


訪問ではいつも時間が許す限り(本当はダメ)やること終えたら15分くらいの時間を取った。


だから私は義父との同居も大丈夫だと思っていた... 。


実際に私たち夫婦が入籍するまでの義父は絵に描いたような優しい義父だった。


そんな義父が私に聞いた。


「どんな年寄りが愛されるんだい?」


私は答えた。


「やっぱり何事にも感謝してくれる人ですかね」と。


入籍した途端に義父は豹変した。


まるで夫の前妻への復讐心を私に向けるかのように私に辛く当たった。


私が【寅年】という事すら気に入らなかったことも後に理解できた。


それでも私は別居中でも気にはかけていたつもりだ。


食事に関してはね。


どうすればもう少し上手くやれていたのか何度も考えたけど... 


やっぱり【身内】になると難しいんだと。


特に介護が必要だった訳じゃない義父だったけど、老人は急な異変が起こり得る。


100まで生きる急満々だった義父。


実際にそんなに生きられたら私の方が過度なストレスで先に逝っただろう。



ただ、義父のスマホの私の番号の名前には【可愛い嫁】と入力してあった... 。


花粉症も今年は酷くないですか?

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