政治は独裁に限ると思っている。

こう書くと、「はっ?市民意見を聞かないで自分勝手に政治を動かしてイイと思ってるのか?」とお叱りを受けることになる。


私が言いたいのは「短期間で政治結果を出したいなら独裁に限る」ということだ。

彼の石原慎太郎氏も橋下徹氏も明言している。


良し悪しは別にして、政治決断の速さは中国やロシア、北朝鮮は群を抜いている。

国益を優先して諸外国に特に、西側諸国に喧嘩を売るスピードは、独裁国家ならではだと思う。


大衆政治は歪曲したポピュリズムに翻弄されることになり、結局何も決まらなくなる。数年前にそういう政治を身をもって体験した。

時間をかけても何も決まらないのが衆愚政治だ。首長が自らの政治責任を逃れて、市民に責任転嫁するのが市民派を名乗る政治家の辿る末路である。


先程ご紹介した日本の政治家お二人は個人的にはとても優秀だと思うし、いっときではあるけど多くの有権者の支持を得た政治家だと思う。

なぜ評価されたのか。

それは首長だったからだ。

国家権力に敢然と立ち向かい、ヒーローとして演出したからだ。

もし、彼らが保守系政党の国会議員であれば、それほど耳目を集めなかったと思う。

現に石原慎太郎氏は亡くなる前に上梓された「私という男の生涯」の中で国会議員としては何もできなかったし無駄な時間だったが、東京都知事として政治に携わった期間は人生の中でも豊潤な時間だったとハッキリ言っている。


有識者などという無責任(失礼)な誘導体や腹に一物を抱える議員たちに翻弄されることなく、有権者を味方につけさえすれば、己の意思で政治決断できるのが首長だ。

もちろん議決を通さないと予算化は難しいけど、自らも選挙を控えている地方議員は人気のある首長には中々逆らえない。


独断と言われようがマスコミを通して有権者の強力な支持を集めている首長提案に対して、断固反対を唱えるのは難しいということだ。

特に保守系は。


首長は議会の話を聞くべきだが、個人的意見と前置きして言わせてもらうが、「聞いたフリ」で良いと思う。聞いたフリを上手くできない首長は深い深い恨みを買うことになり、寝首を掻かれるが。

議会との良好な関係を構築した上で、首長は独断で決定することができる。


要は、議会意見を聞いたフリが上手くできた首長は、議会からの信任を取り付けた上で、自由に行政運営を任期中にすることが叶う、ということだ。


首長に求められるのはスピード感のある結果、成果だ。


議会から噴出する意見を一つに集約するのが難しいのは、火を見るより明らかなので「市民意見を聞かないのか!」と叫ぶ反対勢力の議員に対しては「答えを決めるのは私だ。それも含めて選挙で有権者から信任を得たのだ。ダメなら選挙で落としてください」と言えば良いだけの話。


議員サイドは、任期中の首長の立ち振る舞いを近い距離で観察し、この人に次の任期も任せるべきかどうかを判断すれば良い。

仮に合格しなかった場合は、対抗馬を立てて反対勢力となって対峙し選挙で戦うことになる。


選挙は残酷だ。

優秀な政治家同士の戦いでも選ばれるのはたった1人である。落選した人間には次のステージは用意されていない。即刻退場となる。

それが政治の世界だ。


先程お話しした石原慎太郎も、橋下徹も政治を引退してからは全く違う土俵で生活している。

石原慎太郎氏は作家として。

橋下徹氏はコメンテーター、タレントとして。


このお二人は良く似ている。

だからこそ、いっとき近づいて政党を立ち上げたりもした。けど、破綻した。

なぜか。

お二人は自分の思いをありのままに、正直に、的確に、ストレートに発信したからぶつかり、空中分解した。政治は人間の集合体であり、様々な思惑が蠢く中で自分の信念を貫かなくてはならない。


どの地域でも、首長になれるのはたった1人である。そして、適任と言われるのは独裁が似合う人間だ。

人たらしができて、聞いたフリが上手な人間が選ばれる。議会を舐めちゃいけない。小さなチリも積もれば大きな勢力となる。

6月に青森県知事が決まる、と同時に青森市長も決まる。我々の街の舵取りを任せるに足りうる人物が神の啓示の如く、このカオスの中から浮上してくると思われる。


政治家は生き様であり職業じゃない。

新しいステージは自らの力で勝ち取るものだ。