「あいつ今何してる?」と言う番組をご存知だろうか。
著名人の旧友、恩師を訪ねると言う至ってシンプルな内容なんだけど、これが実に味わい深い。昨晩のオンエアでは橋下徹さんが出演されていた。

大阪府時代の小学校、中学校の同級生と恩師が出演して当時の橋下さんを語っていた。心温まるエピソードに私の心もほっこりしたが、同時に、私の小学校、中学校時代はどうだったっけと思い返していた。
私は浪岡町立大栄小学校を6年に進級するタイミングで青森市立幸畑小学校に転校した。
登校初日。家を出るときに親父から言われた。「いいか。転校生はいじめられる。一発かませ。お前が舐められると弟たちまで舐められる。学級委員長に立候補してこい。」
心の中ではマジっすか、と思いつつ絶対君主だった親父の命令には逆らえず、登校初日に私はとんでもないことをやらかすことになる。

全校集会で「今日から皆さんの新しい仲間になりました転校生の皆さんを紹介します。」と教頭。
ステージに私ら中田兄弟全員が上げられて一人一人紹介された。もう1人同じ学年に転校してくる男の子も紹介されていたけど4人兄弟のインパクトが強くて霞んでしまっていた。申し訳ない。

全校集会後の学級会。
担任の若い女性教師、佐藤恵美先生が私を改めて紹介する。
「中田くん、黒板に名前書いて。」
「はい。」
ここで私は一発目をかます。
黒板いっぱいに自分の名前を書いてやったのだ。クラス中の空気が一気に冷えて私に対する向かい風をヒリヒリと感じることになる。
席に戻ると学級委員長を決めるくだりが始まる。

「誰か学級委員長をやりたい人はいませんか?」と佐藤先生。
普通ならここで立候補する人がいないので「じゃあ、誰か推薦してもらえますか?」となり、「〇〇さんがいいと思いまーす」「(一同)賛成!」と言う流れ。
二発目を私はかます。
「誰か委員長やりたい人は、、、。」のあたりで「はい!」と勢い良く手を挙げた。
クラスの中に緊張が走る。「えーーー」と心の声を抑えきれずに漏らす人もいた。すると、中橋環さんというとても優秀な女の子が手を挙げて「中田くんは転校してきたばっかりでクラスのことを何もわからないのでダメだと思います。」と正論を言うと「(一同)賛成!」となった。転校生は一瞬でアウェイを味わう。私は書記をやらされることになる。
この事件がガキ大将グループの耳に入り呼び出しを受けることになる。
放課後、体育館裏手。囲まれて小突かれるなどしたが引き下がるわけにはいかないのであくまで冷静に立ち向かう。私の記憶では殴り合いまではいかなかったはずだけど(あくまでも記憶)初日で私のポジションは確保できた。

その後も「50メートル走で勝負しろ」とか「サッカーで勝負だ」とか「野球で勝負だ」とか毎日色んな勝負を挑まれた。これがまた悉く勝利した。たぶん、男子達からは煙たがられたと思うけど女子からは黄色い歓声が上がった。
体力的には自信があった。大釈迦の山の中を毎日走り回っていた野生児である。腹が減れば山奥に入って山葡萄を食べたり、暇さえあれば木の枝を使って蛇を捕まえたり、天然記念物のニホンカモシカを見つけに山の中に分け入ったりしていた。そんな幼少期を過ごした私から見れば都会の子は華奢に見えた。
そもそもの気性の荒さと、体躯の違いにより、ガキ大将グループだった根津、猪股、成田、小泉、柿谷らと平和協定が自然と出来上がった。
「あいつ、なんかわからねーけどスゲーぞ。」と言われるようになる。
そして、その勢いは止まることを知らず応援団長にまで登りつめることになる。
4月に転校してきた男が、翌月5月に開催される運動会の応援団長になるのだ。短期間で政変を起こし勢力図を変えたことになる。

弟たちは安泰だったはずだ。
誰1人として弟達をいじめる者は居なかったはずだ。いや、もしかしたら弟達なりに何らかの勝負はしてたのかもしれないけど。

親父の言っていた「舐められるな。お前が舐められたら弟全員舐められる」の意味が理解できた。
一つ下の弟の代、二つ下の双子の弟の代、いずれも中田兄弟が幸畑小学校の児童会会長をすることになる。
その道筋を作ったのは明らかに私だ。この時の経験が今の政治家の礎になっていると思う。権力闘争、内部闘争など、力による覇権をこの時に学んだ。
「あいつ何してる?」の番組内で、橋下さんが「幼少期の覇権争いが大人になってからの政治の世界でも活かすことができた。」と語っていた。幼馴染の男性は大袈裟だな、と言っていたけど、僕は共感できる。幼少期と言えども、その世界は絶対的であり逃れられない現実社会である。場合によっては命を懸けてでも戦わないといけない。私は、政治の礎を学んだと思っている。

小学校の時に転校生の私を敵視していた猪股は、今ではバンド活動で繋がっている。35年ぶりに会っても「おお。久しぶりだね。」と話せたし共感しあえる仲間となった。

皆さんにもあるはずだ。良くも悪くも人生の中のターニングポイントとなった時期が。私のそれは幸畑小学校の6年生1年間である。
「あいつ今何してる?」を観て小学校時代を思い出した話でした。

さて話は急激に変わる。
最近、衝撃を受けた詩人のことを書く。

松村信人(まつむらのぶと)という詩人をご存知だろうか。

関西学院大学文学部出身。株式会社澪標社 社長。

この人の書く詩がとにかくすごい。

詩ですよ詩。ポエム。

けど、ポエムなんて生っちょろいもんじゃない。短い散文詩の中に人生の残酷さを閉じ込めた作品群は寒気すら覚えるほどのハードボイルド仕様となっている。

いや、ホントこれが詩なのか?って疑いたくなるほどである。

詩といえば、高校時代に銀色夏生にハマって以来だ。銀色夏生。知ってる人いるかな。大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」の作詞をした人でもある。

「悲しがる君の瞳」って詩集も良かったな。

10代の多感な僕にとってはとても切ない詩集だった。挿絵も良かったな。

話戻す。

松村信人の書く詩は、普通の抒情詩の様相を呈しつつ叙事詩の要素も取り入れているせいか妙にリアリティがあって胸に迫る。


ここからは私の想像。

松村信人の作品軍は、全て彼の体験談。

なんだけど、若干アレンジを加えてドラマ性を高めているのではないのかなと。


何故そう思うのか。

それはですね。登場人物があまりにも死ぬからですよ。それもホント悲しくなるほど呆気なく。パタリと死んでいくのです。


短いセンテンスでグイグイ引き込み、聞いたことのある地名で想像しやすい環境を作り、行間でドラマを展開するかと思いきや、いきなりハンドルを急に切って着地する。

残酷なラストを見せつけて余韻を残して終わる。

まるで戦後のフランス映画のような儚く悲しく切ないエンディングだ。哀愁なんて言葉じゃ足りないぐらいの突然のラスト。

久しぶりに掴まれたな。この人の作品に。


作品をこの場で載せることは著作権侵害にあたるので不可能。

なので、私なりに松村信人風に一つ作ってみる。ご参考までに。

あ、それと以下の作品は、私の過去の体験とドラマを混濁して作り上げた創作物であることを忘れずに読んでもらいたい。ドキュメンタリーではありませんので悪しからず。




笑うマンタロウ


池袋西口のパチンコ屋で待ち合わせたのが幼馴染のマンタロウだった

地元を捨てて東京で極道として生きた男だ


池袋の喫茶店で久しぶりに会うと

彼はよくしゃべった

真っ白のTシャツを捲し上げると

腹には所属団体の名前が刻印されていた


今日は浅草で飯でも食いましょう

マンタロウはそういうと舎弟に運転させて私を連れて行った

後部座席には真っ赤な革のバッグが投げ捨てられていた


新宿、池袋、六本木に連れて行く

普通の人間は入れない怪しげな場所に彼は私を連れて行く

深酒でドロドロになったマンタロウは歌舞伎町の黒服をゴミのように殴り倒した


お願いですから帰らないでください

と懇願するマンタロウを尻目に、また会おうと約束して帰路についた


風俗呼び込み、裏DVD販売、人材派遣業、探偵業、不動産仲介、サラ金取り立て代行

色々な仕事をしたマンタロウは歌舞伎町のボスになった


地元にいた頃、彼は私に噛み付いた

俺がどれほど大変かあんたが知るわけがない

行き場のない怒りを私にぶつけたことがある

私は冷静に「オモテに出ろ」と呟いた


程なくして彼の舎弟から連絡があった

マンタロウが下手打ちました

ご迷惑をかけていませんか

いや何も。何があったんだ


タバコを燻らせるマンタロウが目に浮かんだ


舎弟が運転する車の後ろにはいつも真っ赤な革のバッグが投げ捨てられていた

隙間から覗く 何冊もの札束は、現実と仮想世界を行ったり来たりした

その札束は、ふわりふわりと浮かびながら深い暗闇へと彼を誘う


数ヶ月後、真夏の盛りに食堂で昼食を摂っていた

隣のテーブルに4人組の男が座った

カツ丼を頬張りながら話を聞いた

西新宿公園でこめかみを撃ち抜かれた身元不明の死体が発見されたってよ

傍には空っぽの赤い革製のバックが転がっていたそうだ







如何でしたでしょうか。

真似た作品なので、松村信人ほどのインパクトを与えることは出来ないけど、雰囲気は伝えられるのではないだろうかと思う。

なんとも言えない、饐えた、底冷えのする余韻が残る文章なんだよね。

淡々と起きた事象を述べていくんだけど、ラストがズシリと重い。

アマゾンでも購入できるけど、図書館でも貸し出しあるはず。是非手にとって読んで欲しい。

文章、言葉に対する自分の感性を試してみてはいかがでしょうか。