ねぇ、私の腕時計、知らない?
リビングでコーヒーを淹れていると、キッチンのほうで妻がそう言う声が聞こえる。今日は日曜日の午後で、つまりそろそろ明日に向けた気持ちの準備をしなければいけないんだけれど、でもまだ日曜の夕方から夜というちょっとした祝祭的な時間が残されている、心がどっちつかずになる微妙な時間だ。
コーヒーは、口に入れたときに、同時に鼻からそのコーヒーらしさともいえるほのかな香りが吸い込まれて、その2つが混ざり合って頭の奥のほうと喉がキュッとしまるような感覚がするときがいちばん心地よい。日曜日の午後のコーヒー。窓の外では太陽がやや疲れた顔を見せてそれでもまだがんばれる、とでもいいたげにせっせと我々にあたたかい光を差し出してくれている。
ねぇ、聞いてる?ほら、むかしあなたが誕生日だかのプレゼントでくれたやつ。これから友人と夕飯を食べに行くの。あれ、わりと気に入ってるんだから。
コーヒーはきっかり8口で飲み終わる。それ以上でもそれ以下でもない。そして私はゆっくりとソファに身を預けて、日曜の午後的なまどろみの中に入っていく。その世界では、私と時間とはそれほど大きなかかわりを持たない。まぁ、世の中には時間なんていうものも確かにあることはありますね、その程度の距離感をとって、私は時間というものと折り合いをつける。だから私の世界には腕時計は必要ない。なんだって人は時間を私有するようなことになったのだろうか。どちらが主でどちらが従なんだろう。時間が私たちを縛っているのか。それを象徴するのが腕時計なのだろうか。だとしたら腕時計なんて買うんじゃなかった。
やだ、寝ちゃってるの?あなたはいつもこうね。朝から長い距離をランニングして、それで午後は寝ちゃうんだから。ほんと、退屈な人。
妻が何かを言っている。何を言っているのかまではわからない。私は私のささやかな世界で日曜日の午後を過ごし、そして来る明日に備えているのだ。そしてそこでは時間は大きな意味を持た・・・
もういいわ。いきましょ。腕時計はまたあとで探すわ。
妻はそういって家を出ていった。外では太陽が行き場を失った猫のように丸くなっている。そういえば太陽も腕時計をしているんだろうか。