10ヶ月程前に書いた「正定」の内容に少し補足を加えます。

今回の内容自体は短いです。

 

正定は、正しい精神統一・瞑想のことになります。

 

以前書いた正定前半の流れです。

 

①呼吸に集中する 呼吸は集中が上がると徐々に静かになる

②禅相が生起する

③心臓の意門の似相を知覚する

④↓更に続いていきます

 

この③心臓の意門の似相を知覚するの箇所を補足します。

 

↓以前書いた③の箇所の文章の抜粋です。

 

(実際には、この前に呼吸と禅相の説明があります)

心が似相において干渉を受けること無く、

一時間または二時間程度専注を持続できるようになったら、

心臓の中に在る心所依処をよりどころとする有分識(意門)を

知覚できるかどうか試してみるとよい。

何度も続けてチャレンジしていると心所依処をよりどころとする有分識と、

意門に顕現する似相を知覚することができるようになるであろう。

↓更に続いていきます

 

以前の説明と重複してしまいますが、禅相の簡単な説明になります。

 

禅相(取相・似相)・・瞑想で集中が高くなった際に、生起する感覚

   取相が光ると似相となりますが、似相という名前は光全般に使われています。

 

*よければ右側のテーマ”【正定】行程の資料抜粋記事”内に全体の記載があります。

 僕が東南アジアに滞在していた際にいただいた資料です。

 

ここまでが前置きで、ここから今回の補足になります。

ルドルフ・シュタイナーの著書に、この箇所の詳細な解説があるので

そちらを抜粋します。

 

高次の自我の中で生活するようになると

(あるいは既に高次の意識を獲得しようと努力しているあいだに、)

神秘学の学徒は、霊的な知覚能力を心臓の付近に生まれる器官の中に目覚めさせて

これまでの章で述べてきたような(蓮華育成に関する記事)流れを通して

霊的な知覚能力を制御する方法を習得します。

心臓の付近の器官から生じ、美しく輝きながら活動する蓮華を通って

(あるいは発達したエーテル体のそのほかの水路を通って)

流れていく高次の素材と関わる要素の中で、この霊的な知覚能力は生じます。

この要素は外に向かって、周囲の霊的な世界の中に光を送り込み

このような世界を霊視できるようにします。

それは太陽の光が外から当たることによって、

物体が目に見えるようになるのと同じなのです。

心臓の器官の知覚能力はどのようにして生み出されるのか、という点に関しては

私たちは自分でこのような知覚能力を形成していくことによって

少しづつ理解するようになります。

自分自身で霊的な光を事物に投げかける場合にのみ

私たちは霊的な世界の事物を完全に意識化できることが分かります。

このような知覚器官を生み出す「自我」は

人間の物質体の中にではなく、物質体の外に存在しています。

心臓の器官は

人間が外からこの霊的な光の器官を燃え立たせることができる唯一の器官です。

もし人間が心臓の器官とは別の箇所で光の器官を燃え立たせるならば

光の器官を通して生じる霊的な知覚は

物質的な世界と結びつくことができなくなります。

私たちはあらゆる高次の霊性を物質的な世界と関連づけ

自分自身を通して物質的な世界の中に作用を送り込むようにしなくてはなりません。

高次の自我は心臓の器官を通して感覚的な自己を道具として使い、

心臓の器官の中から感覚的な自己を操作するのです。

 

*後半の部分は物質的な体は、霊的な自我が操作する道具であり

 そのことを心臓の器官を通し認識して、自分自身を操作するという内容ですが

 少し分かり易く表現されている箇所があるので、そちらも抜粋します。

 (物質的な自分自身を客観的に捉えるとも表現できます)

 

学徒は高次の自己を自分自身の本質と見なし

「私の物質体と、私がいままで『私・自我』と呼んできたものは

 高次の自我の道具である」ということを

生き生きとした感情とともにイメージするようになります。

感覚的な世界で生活している人間が、

自分が使用する道具や乗り物に対して抱くのと同じような感情を

学徒は低次の自己に対して育てていきます。

 

*ここから少し内容が逸れます。

 

Rシュタイナーの著書テオゾフィー(神智学)に

霊体・物質体などに関する詳細な解説があります。

Rシュタイナーはこれらの解説をするために、便宜上独自の用語を使用しています。

自身の認識を解説するためには、一般的に存在しない用語を使用する必要もあるため

例えばテオゾフィーに登場する「魂」という言葉の意味が

一般的な「魂」の言葉の意味の認識と同じではなかったりします。

(読み手の認識にもよると思いますが)

この認識が異なるかもしれないので気を付けて下さいという趣旨の記述は

著書の中にもあります。

(ある特定の言葉の意味に関する、一般的な認識が間違っているというわけではなく

 Rシュタイナーは「ある特定の言葉」をこのような意味で使用していますよ。

 というふうに考えていただけるといいかなと思います。)

そのため、テオゾフィーなどのRシュタイナーの著書の内容を理解するためには

まず使用されている用語を覚えて意味を理解する必要があります。

僕の場合ですが、用語とその意味をノートに書き出して、

著書内に用語が登場した際に、辞書のようにノートを見ながら読み進めました。

そのためRシュタイナー著書の「ある箇所」を説明するためには

その前に用語の説明をする必要があるので

ここからの内容は凄く簡単にザックリと書きます。

 

あの世に行ったり、生まれ変わったりする自分を「霊体」とします。

この世で活動していて霊体が宿っている物質的な自分を「肉体」とします。

この霊体と肉体を繋げて仲介している中間の器官があります。

この物質的な目では見えない中間的な器官を

瞑想や集中によって知覚して霊体と肉体の認識をハッキリさせましょう。

というのが瞑想や器官などの説明になります。

 

実際には上記のような説明をするために、たくさん用語が登場します。

物凄く簡略化して書きました。

 

どうもありがとうございました