仏陀関連の本や資料を参考にして、

欲求の観察に関する内容を記載していきます。

用語や分かりにくい表現は言葉を換えて記載しますので、

僕の解釈も入ります。

 

最初に、瞑想の技術面の内容(正定)にも通じてくるのですが

欲求を抑えることで、喜びの感覚が身体に湧いてきます。

更に喜びに対して平静になることで、

幸福感が湧いてくるということになります。

 

欲求の定義として、

「不健全な願望にとらわれていること」とされています。

形、音、匂い、味、感触、富、性的快楽、名声、美食、睡眠の欲求

の、5つの感覚的欲求の対象とされています。

5種の欲求は心身の苦しみを作り出し、瞑想を妨げるとされています。

 

仏陀の言葉を1つ記載します。

 

たとえお金が雨となって降り注いできたとしても

人は欲望を満足させることはできない。

賢い人は、欲望とは味わいのない楽しみだと知る。

*ダンマパダ186

 

例えはお金になっていますが、

欲しいものを入手して欲求を満たしても

次のものが欲しくなるので、延々欲求は抑まることはない

ということが表現されています。

 

欲求は種類によっては生存のために必要な信号でもあると思います。

 

例えば、北海道と沖縄では生活に必要な衣類は異なりますし

食事などは人の体型・体質によって必要な量が異なるので

どこまで必要で、どこから不要なのかなどのラインは

自己観察して見定めていく必要があると思います。

 

具体的な観察について。

 

何かを欲しいと思うとき「心は欲しがっている」と気づき

欲しいと思わないとき「心は欲しがっていない」と気づく。

 

気持ちや思考が欲求にとらわれたときは、

欲を持った心に気づきを向けてください。

「これは富を求める心。これは性的な欲求。これは名声を求める心。

 これは富を求める心が生まれる原因。

 これは性的欲求が作り出す苦しみの感覚。」というように。

欲求が存在しないときにも、その不在を観察する必要があります。

「今は富を求める心は存在しない。今は性的欲求は存在しない。

 今は名声を求める心は存在しない。

 これは富を求める心の不在の原因だ。

 これは名声を求める心の不在の原因だ。

 これは富を求める心の不在にともなう安心感だ。

 これは名声を求める心の不在にともなう安心感だ。」

 

普段から身近に欲求は存在するので、

在るときに在ると気づくためには、

無いときに無いという自覚を持って知ることも大切だと思います。

無い状態を白い紙、欲求が強いほど濃い黒い紙になるとしたら

弱い欲求の、うっすらとした灰色を見分けるためには、

真っ白な状態を把握しておく必要があるということになります。

 

また仏陀の言葉を1つ記載します。

 

親密になることから恐れが生じ、家庭生活から汚れが生じる。

親密になることもなく、家庭生活もない、

これが賢者の悟りである。

*スッタニパータ207

 

今回の場合は、この言葉は慣れや親しみの意味が当てはまります。

慣れ親しむことで、当たり前のように「自分のもの」と錯覚してしまう

という意味があります。

 

「当たり前のように在るもの」・「自分のものと認識しているもの」

所有欲などの欲求に慣れることによって、

欲求が在るということに気づくことが難しくなるということになります。

 

バッディーヤという僧の逸話が記載されています。

 

バッディーヤは元高官で絶大な権力と影響力を持っていました。

出かける際も連隊兵が護衛につき、自宅も昼夜兵に護られていました。

それでもバッディーヤには心配・恐れ・不安がつきまとっていました。

出家してからは、

一人で森へ行き敷物も無しに座ったり寝たりしていますが

不安や恐れは全く感じなくなりました。

高官だった頃には得られなかった

安心・喜び・安らぎを感じられるようになりました。

盗まれる物も、奪いあう物も無いので、

暗殺や窃盗を恐れることもなくなりました。

 

欲をほとんど持たずに簡素な生活することで、

喜びと安心を得たという逸話です。

 

零か百かという話で、分かりにくいかもしれないので

現代の生活に置き換えてみると

豪華な家・高級車・役職・容姿(服など)・お金などへの欲求を

少し落としてみたら自分の気持ちが楽になるかもしれない

というふうに考えると分かり易いのではないかなと思います。