自分と他者を同じように大切に思いましょう

という仏陀の言葉です。

*仏典内では会話の一部分です。

 

心によってあらゆる方向を探し求めても、

自分より愛しい者はどこにも見つからなかった。

他の人たちにしても同じである。

みなそれぞれに自分が愛しいのだ。

だからこそ、自己を愛する人は、他者を害してはならない。

*サンユッタ・ニカーヤ第三篇第1章-8

 

以前記載した資料の内容で、

自分・好きな人・嫌いな人・好きでも嫌いでもない人の

誰に対しても、同じように慈悲の心を抱けるようにしましょう

というものがありました。

思考や言葉遣いも含めて、常に実践するのは中々難しいと思います。

 

人だけではなく、全ての生き物に思いやりを持ちましょう

という言葉もあります。

 

この世の全ての生き物は、みんな攻撃されるのを怖がっている。
全ての生き物は、死から逃れる生存本能に支配されてあがいている。
君もまた「死にたくない」という
思いを胸の奥底に隠し持っている。
「実は他の全ての生き物も同じ思いを隠し持っているのだろうな」と
目を閉じて思いを馳せたら、
どんな生き物もわざと殺さず、そして殺させないように。

*法句経129

 

人間関係などに関する禅語を、まとめます。

*解釈は諸説あるものもあります。

 

喫茶去(きっさこ)

「まぁまぁお茶でも召し上がれ」という意味なのですが、

相手を思いやるという気持ちと、

嫌いな人に対しても、お茶を差し出せる余裕がありますか?

という意味が含まれています。

 

誰家無明月清風(たがいえにかめいげつせいふうなからん)

誰の家にも同じように月明かりが射し、清らかな風が吹く。

誰の心の中にも同じように、善の仏の心があるということで

(現代的に言うと内在神・ハイヤーセルフなどでしょうか)

外見や表面的な性格・態度などで人を判断してはいけない

という意味になります。

不真面目な人や、悪事を働いてしまった人の中にも

善の仏の心は在りますよ(内在心はいます)という言葉です。

 

落花流水を送る(らっかりゅうすいをおくる)

*従容録

散った花びらは川の流れがどこかに運んで行くが、

川は運ぼうとしているわけではなく、ただ流れているだけ。

頼んだわけでもなく、恩を着せるわけでもなく

双方が無心に自分の為すことをまっとうするから美しいという意味。

人間関係も作為が無い関係がいいですねという言葉です。

 

花枝自短長(かしおのずからたんちょう)

同じ木の中にも枝には長短があって違いがあるから

バランスがとれていて美しいという様子から、

お互いの違いを認めて調和しましょうという意味です。

人間の個性や、国には文化の違いがあるのが

自然なことで美しいという言葉です。

 

風従花裏過来香(かぜかりよりすぎきたってかんばし)

*古尊宿語録

花の間を吹いて来た風が、花のように香る。

元々、香りの無かった風が花の影響を受ける様子から

出会って、運んで影響しあって人生があるという意味です。

良い影響も、そうでない影響もありますが

自分が影響を受けることも、与えることもあり

お互い影響が人生を形成していくという言葉です。

 

元気(げんき)

*諸方門人参問語録

全ての物や人には「気」が宿っているということです。

気は強い時も弱い時もあり、元気は気が好調な状態を指しています。

「元気ですか?」は気は好調ですか?という意味になります。

気は伝染させることができるので、

元気が無い人に、自分が元気に接すると

相手を元気にすることができるということです。

 

僕の場合なのですが

禅語を読むと、自然に自分を内観することに役立っている

という感じがします。

 

禅語は、色々な視点や角度から表現されているので

仏陀の言葉とは、また別の教訓の感じ方があって良いと思います。

 

*GW中、更新が不定期になるかもしれません。

 よろしくお願いします。