知恵者は身体を慎み、言葉を慎み、心を慎む。

知恵者とは、実によく、

自己を慎んでいる者たちである。

*ダンマパダ234

 

常に戒めを守り、智慧深く、心を正しく集中し

自己を内省し、気を付けて暮らす者こそが

渡り難い激流を渡るのである。

*スッタニパータ第1-174

 

世俗のことがらに触れても心が動揺しないこと

憂いがなく、汚れがなく、安穏であること。

これが最高の幸運である。

*スッタニパータ第2-288

 

お前達がこの道を行けば、苦を終わらせる事ができる。

私は矢の抜き方を知って、この道を説いたのである。

お前達は自分で努力しなければならない。

如来達は教えるだけだ。

道を行く瞑想修行者は、悪魔の縛りから解放される。

*ダンマパダ275

自分自身を苦悩から救済できるのは自分ということになります。

 

この世間が燃え上がっているというのに、

いったい何が笑いだ、何が歓びだ。

お前達は暗闇に覆われていながら、

どうして明かりを探し求めないのだ。

*ダンマパダ148

 

仏陀は言われた。

「世間は無明で覆われている。

 強欲と放逸のせいで、この世は輝かない。

 私は渇望がこの世の汚れであり、

 苦しみがこの世の大いなる恐怖だと説く」と。

*スッタニパータ第4-1033

 

物惜しみ恵む者の汚れ。

悪行は

過去・現在・未来のいかなる生まれにおいても汚れである。

その汚れよりも、一層汚れた汚れの極み、それが無明だ。

修行者達よ、

その無明という汚れを捨て去って汚れの無い者となれ。

*ダンマパダ242

無明に関して青字で下に記載しました。

 

 

究極の真理へと到達するために精励努力し、

心ひるむことなく行い、怠ることなく足取り堅固に

体力・智力を身につけて、サイの角の如く、ただ独り歩め。

*スッタニパータ第1-68

サイの角に例えた言葉はスッタニパータに連続で記載されていて

複数の言葉があります。

 

眼について制御するのは善いことだ。

耳について制御するのは善いことだ。

鼻について制御するのは善いことだ。

舌について制御するのは善いことだ。

行動を制御するのは善いことだ。

言葉を制御するのは善いことだ。

心を制御するのは善いことだ。

全てにおいて制御は善いことである。

全てにおいて制御した修行者は、あらゆる苦しみから逃れ出る。

*ダンマパダ360

五感の気づきと制御に関する言葉。

 

昔の仙人達は自己を制御した苦行者であった。

彼らは5種の欲望の対象を捨て

自分の求めるところを実践したのである。

*スッタニパータ第2-284

眼・耳・鼻・舌・身の五感から起こる欲望のことです。

 

苦しみが生じてくるのは、

全て潜在的形成力が原因となっている。

そして潜在的形成力が消滅すれば、苦しみは生じない。

*スッタニパータ第3-731

「テーマ気づき内」の「気づきと苦しみ」が参考になると思います。

 

少し前に技術面(修習)のほうに、

慧に関する内容を記載させていただきました。

「真理を見極める力・ありのままを観る力」=「慧」に関する言葉、

慧に気づくように促す意図がある言葉を

抜粋記載させていただきました。

無明は慧が欠けている状態のことを指しています。

 

慧に気づくための自分自身に関する言葉↓

 

自分で自分を叱咤(しった)せよ。自分で自分を制御せよ。

修行者よ自己を護り、正しい思いを持ち続けるならば、

お前は安楽に過ごすことができるであろう。

*ダンマパダ379

 

自ら悪を為せば自らを汚すことになる。

自ら悪を為さなければ、自らを浄めることになる。

綺麗とか汚いというものは、各自のことがらである。

人が他人を浄めることはできない。

*ダンマパダ165

この言葉と1つ下の言葉の本質は似ています。

自分の救済は自分自身にしかできないという意味。

 

自分を救えるのは、自分自身である。

他の誰が救ってくれようか。

自分を正しく制御して初めて、

人は得難い救済者を手に入れるのだ。

*ダンマパダ160

 

戦場において100万人に勝ったとしても、

ただ1つの自分自身に勝つことのできる者こそが、

最高の勝者である。

*ダンマパダ103

 

愚かな者が自分を愚かであると自覚するなら、

彼はそのことによって賢者となる。

愚かな者が自分を賢いと考えるなら、

そういう者こそが愚か者と言われる。

*ダンマパダ63

 

学ぶことの少ない者は、牛のように老いていく。

肉ばかり増えて、智慧は増えない。

*ダンマパダ152

 

他者の目的がどれほど大きなものであったとしても

自己の目的を見失ってはならない。

自己の目的をしっかり理解して、

自分の目指すところに邁進せよ。

*ダンマパダ166

自分の役割は、もしかしたら影から支えるようなもので

感謝や賞賛されることも無いのかもしれませんが、

それでも自分の役割を全うするという意味にも取れます。

 

この身体を瓶のようにもろいものと知り、

この心を都市のように堅固なものとして打ち立て、

智慧という武器で悪魔と戦え。

そして勝ち取ったものは、それに執着することなく護っていけ。

*ダンマパダ40

 

*仏陀の言葉以外にも、修行者の方々が

 修行過程や気づきを自然や植物などに例えて分かり易くした

 禅語というものもあります。

 そちらも順番に説明しながら書いていけたらいいなと考えています。