武蔵野の新参者こと中年税理士―中小企業の「ホームドクター」

武蔵野の新参者こと中年税理士―中小企業の「ホームドクター」

中小企業支援、特に不動産賃貸業に関連する相続対策 民事信託、遺言書の作成、遺言執行者等多く関連分野を手掛けています。安村税理士オフィス

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割と良い天気の日曜日。テニスには行かず仕舞い。

 

新聞記事。お隣中国は、車の3台に1台はEVになったという記事。いつのまにか日本の強みだった自動車産業においても技術面もコスト面も追い抜かれたようです。日本から進出したメーカーの技術も盗まれ、研究者も引き抜かれ、比較劣位は決定的になるかもしれません。

 

目をアメリカに転じると、自国の自動車産業を守るため、税制優遇措置を取ると紹介されています。

日本。以前のように幼稚産業保護政策をとる時期かもしれません。そうでなければアメリカのように税制優遇措置を取る、いずれかでしょう。自由競争の観点からは税制でやるのが無難かもしれません。貿易摩擦にはならないですから。

 

しかし、日本の強みであった自動車産業でこのような事態になるとは予測は出来なかった訳ではありませんでしたが、時期が早すぎでしょう。

 

 

 おはようございます。私には肌寒い朝。

 

 ニュース。まずは良い方。農地の多い練馬区での話し。アスパラガス。一つの農家てま茎の廃棄は800キロ。それを用いてアスパラ茶を。福祉作業所などに作業を委託して製品化し、販売。目のつけどころの良い良心的なコンサルタントからの提案を受けて生産者の同意を得て製品化。生産者や働く方々、消費者、コンサルタントが喜び、さらには地元農業の発展に繋がった具体例。廃棄物処理の活用を通じて環境対策にも資する実現もので素晴らしい。四者総得!自利利他になるとともに、環境保護にもつながるある意味渋沢栄一の言葉「道徳経済合一」にも合致する取り組みですね。

 

 悪いニュース。chatgptに対して松野官房長官は現状では規制しないと。色々弊害も指摘され、それは将来的にも問題が繋がる。各国でも問題意識があり、規制が始まっている。日本に社長が来て日本で事業展開したいということで一時的には経済的には良いのかもしれないし、利用のメリットもある。規制はしないと明言したのは何らかの利権の話しでも出たのかもしれないが、薮の中。取り返しのつかないことにならないように、国会議員は法規制を考えてもらいたい。シュワチャンのSF映画を観ていた時の脅威を感じるのは錯覚に過ぎないのだろうか?!

 

 ラッタイト運動で機械を破壊した歴史を紐解くまでもなく、規制を適切にしなければ究極的には機械が人間を支配する時代来たとしても不思議ではない。

 

  おはようございます。昨晩のNHK。博物館の地味な特集。日本の文化予算にかける割合が先進国に比較して余りに少ないのがより鮮明にされた。

 

 日本国(人)を歴史的文化的に、世界的にも誇らしいとする文化立国を目指す政府。それならば、次世代以降未来永劫にまで繋がる文化政策の重要な位置づけとして文化遺産を残すべくような政策立案を勘案してもらいたい。

 

 国威発揚スポーツ振興としてオリンピックなどにかける予算や表参道の再開発の名をかたる政策。自然破壊、利権のばら蒔きにしか過ぎないのではということは、今訴訟の中で責任も一部明確になり、その概容が明らかになりつつある。

 

 不動産をはじめとして利権の構造に予算を割くくらいなら、文化を守り継承し、環境を守り、次世代によりよい社会を継承することこそ政治に課された責任であると浅学菲才な私には思えて仕方ならない。財政困窮の今、これ以上の増税など許されないという認識の下で、もう残された時間はそれほどないのではないだろうか。

 

 久しぶりの投稿。ブログにすぐは入れないほど。

 

 

 昨日の新聞報道。社会保険料が30%を超えるという。財政収支も赤字続き。国民1人当たりの借金も拡大続き。年金の支給年齢も上がる一方で支給額は下がる。責任ある政治家の発言「年金を当てにするなどさもしい」と。戦後ほとんど責任政党であり続ける政党。今衰退途上国にある日本はまさにその政党に責任があると言うしかない。

 

 その上、海外からの幅広い投資をよりやり易くするような政策を取ると言うから何をか言わんや。日本は不動産も会社も乗っ取りに合うようなものだ。小国は何らかの適切な保護政策をとっているのが実状。会社も国際化したらitや金融等は特に人員整理の荒らしが吹き、超二極化と大不況にならないことを希うしかない。不動産関係だけが好調だが、富裕層の投資屋の財産増加以外何も産まない業界で環境負荷が高い業界で利権構造のただ中にあうるから嬉しいはずもない。

 

 

 相続税の計算。お父さんの相続の時には相続税がかからず、申告もしていない場合に、お母さんの相続が発生した場合、移転登記されていない土地についてまず考えてみましょう。学生との会話形式で見ていきます。相続人は息子さんが二人とします。

 

 先生(以下t) 君ならどう考える。

 

 学生(以下s) そうですね、名義変更していないとすると、共有と考えるのでしょうか。

T そうだね、そうとも考えられるね。まずは経済的実体をみないと。

 

S というと、誰が利用しているかということが関係しますよね。

 

T そうそれは関係してくる。でも、固定資産税の名義人とその税金の負担視野がどうなっているかが、一番重要になってくるよ。

 

s ということは、お母さんが住み続け、名義人として課税され、それを支払っていれば、お母さんがすべて相続したと考えるわけですね。

t 君は筋が良いね。その通りだ。であれば、今回の相続財産にすべてなるというわけだ。

 

s はい、よくわかりました。

 

T まだよくわかったというのは早いよ、君。

S どうしてですか。

 

T 判例で次のようなものがあるんだ。公正証書による贈与契約があったとしても、登記がされていない場合には、贈与契約が成立しないで、相続財産とされた判例があるんだ。

 

 今回のケ-スで仮に、遺産分割協議書が作成され、登記未了の場合を考えてみるとよくわかる。ただ、相続登記も義務化されそうな・も注意が必要だ。

S うーん。このような場合は、どう考えるのでしょうか、ちょっとわからないので。先生教えてください。

 

T 遺産分割協議書で法定割合いで取得と記載があった場合。登記がされずにいて、住んでいるお母さんのところに固定資産税の支払い通知が来て、支払いをしていたら、共有ではなく、お母さんのものとして、相続財産の計算をしなくてはならないこともある、ということだよ。

 

S ということは、お母さん12、息子さん1/4ずつではなくて、すべてお母さんの相続財産として計算する、ということになるわけですね。

 

T そういうことだ。ただ、私が担当税理士をしていたとしたら、配偶者は、今のところ、相続財産の1/2あるいは一億六千万のいずれか多い金額までは、申告を条件に、相続税がかからないことになっているから、納税額全体を少なくするように、かつ、みなさんが納得するようなところまでお母さんに財産を相続させるようにするよ。配偶者居住権の話は家族の関係が色濃く反映するからとりあえでおいておくけど。

 

S 先生さすがですね。

 

T 褒めるのは早すぎ。それだけではなく、二次相続のことも考えて、財産配分を考えることもわすれないようにしないといけないよ。

 今は信託を考えたり、民法改正による配偶者居住権を取り入れるかどうかとか考慮することが多いのにも気を付けるように。この場合、とても複雑で将来にわたっての計算だから慎重に考える必要が一層あるからね。

 

S はい、ありがとうございました。

 

    

  経済学。いかにも数学的統計的手法を用いとつつきにくいイメージは確かにあるでしょう。実際学者、研究者になろうとしたら相当高度なそれらをパソコンの活用とともに必要になってくるのも間違いないことです。

 

 この時期様々やられている公共工事を例にしよう。これは経済学で確立した理論であるゲーム理論における囚人のジレンマを適用することによって社会的利益の増大が図られることになる典型例だから。単純化にしてみていこう。

 

  プレ-ヤ-は二人、利得は、下記のように一般的な教科書通りにしてみよう。

       

         囚人のジレンマ

                       

 

        

B  君

 

 

 

 

黙 秘

自 白

黙 秘

2,2

-1,3

自 白

3,-1

0,0

 

 

 談合して価格を設定した場合、二人とも黙秘するならば利得は四になる。片方のみ自白すると出し抜き行為の利得が対照的に3と-1、(これが課徴金行政罰)になる。しかし、信頼関係がないとすると、あるいはどこかから情報が洩れることを恐れると、二人とも自白して0になる。談合工事を防止するためにはあらかじめ自白した方が-にはならないという制度設計だ。

 

 こうすることによって公益通報的な制度があると社会的には、工事が適切な価格で行われることが理論的には担保されることになる。換言すると経済的損失が減ることになる。

 

 実際、様々な分野で公益通報者保護法、直接的な経済的利益だけではないものの、の制定により、よりプレ-ヤ-の自白だけではなく、市民やその他の利害関係者による違法行為的な情報の提供がしやすくなり、様々な社会的不利益の防止に資することになっている。

 

 上で述べたのは、経済学が直接的に社会に役立っている一つの例だ。新聞などでよくこの手の不正受注の例が出てくるようになったのは、囚人のジレンマという経済学の一つの理論による課徴金制度の導入適用の結果、今回の例では-1、双方の利得が0という経済的損失なしということになる。

 

 少しは経済学のイメージが柔らかくなっただろうか。

 

 

 

 

 格差社会が問題として社会的に取り上げられるようになり、問題視されるようになってからずいぶんと時が経てしまったような気がする。

 

 吉本隆明のほぼ十年前の著作『第二の敗戦期』の中で格差社会を乗り越えるために必要なこと、という節とそれに続くよりよい理想社会ををつくるためには、という節を簡単にみていこう。

 

 彼はあまりに格差がひどくねそれが個人的な理由ではない場合に以下のように言う。

 

 これは国家の法律その他でもって、不利な条件になったことに対して、ご当人がこれでは生きてはいけない、生活していけないということであれば、明らかに法律でもって最低限保するし、政府が保証できないのならば、儲かった人の分やむを得ず公共的に削って、公正に贈与をしていくというように、法律的に国家や社会の共同体の責任者が決めるべきだと思います。

 

 彼がここで言う贈与とは、税法で言うところの所得・財産の再配分のことを意味しているが、現行の税法システムでは実現できていない状況であれば、税法の改正で対応するしかない、ということだ。

 

 次に彼は次のように続ける。

 

 もちろん輪をかけて特定の誰かだけを助長するようなことは、いい社会でもいい政治でもないのだとということになるとぼくは思います。

 

 彼が言いたいのは個別的、個人的に助けるというのが政治の役割ではなく、あくまでもシステムとして存置改定していくべきということでしょう。

 

 もちろん私は賛成です。というのも、特に所得・財産の50%以上を世界の50家族、会社も含む、で所有している、という数年前のデ-タと最近その差がより開いたという記事からすれば当然なことのように思います。

 

 彼は最後の節で次のようなことを述べています。ここは要約します。

 

第一に、政党を作ってその政党に引っ張ってもらうというのではなく、三人以上の、同人誌のような集団で関心のある日常的な事柄を話し合い、色々な問題を解決していくねということからはじめるのがいいとしています。

 

第二に、戦後の農地改革を引き合いに出して、「一定限度額以上の利潤を上げている企業や個人のところを少し削ってもらって、それを困窮している中小企業とか個人産業のところへ贈与するということをするべきだと思います」と。

 

 彼の言うところは、コロナ対策としての補助金などに類似する考え方ですが、儲かりすぎているところの、税金を引き上げその分で補助するということと基本同じです。ただ、現実の政策的においては国債を増発して、その分で出す補助金なので、出し手が異なっている点にには注意が必要でしょう。

 

 いずれにしても現実を直視して、理論的思想的な世界から考えをスタ-トさせた、格差矛盾を解消しうる手段のこの種の提言は、いつの時代にも役立つ汎用性を持ちますね。

 

 

  

 私の尊敬する文学者の一人に吉本隆明がいます。数ある著作の中で『戦争と平和』という本があります。2002年ですから、ほぼ二十年前に書き記されたものです。

 

その中で憲法について鋭い指摘があります。平和を維持するための指摘ですが、少し長くなりますが引用してみましょう。

 

だけれども憲法をみますと、国家主権は国民にあると言ってます。(中略)

国民が主権を行使する場合には、選挙をやって選んだ代議士なら代議士を介して行使するというふうに現在なっている。

 そこに、ただ一カ所条項を設ける。それは、国民が主権を直接に行使したいと考えた場合には、過半数の署名を集めて、無記名の直接投票によって過半数を占めた場合には政府を取りかえることができるという条項を設ければ、戦争は防止されるとは言わないまでも、どんな政府ができても大衆の同意なしには戦争はできないということになるんじゃないかとおもうわけです。(以下略)

 

 吉本の提案。彼が意識しているかいないかは別にして、地域行政の首長についてのリコ-ル請求と類似の色彩を帯びた考え方になります。

 日本でも愛知県知事のリコ-ル問題でいろいろあったのは記憶に新しいものですし、弊害に気を付ける必要はありますが。

 

 吉本の言う政府を仮に首相だと仮定してみましょう。無理な仮定ではないでしょう。首相の直接公選制が導入されるとしたらそれと同時に首相のリコ-ル制度も併存させるというのはどうでしょうか。選任できるのなら解任もできるというのはアナロジ-としては無理ないものでしょうから。

 

 今までの話はあくまでも理論的なものに過ぎません。実際的には段階を踏んでの法的手続きで制度の公正さを担保する仕組みを慎重に考えないといけないということは当然のことになります。

 

 憲法改正を緊急事態の今、あるいはその後すぐに提案するかもしれないという感じがしないでもない私としては吉本の意見に賛成です。

 

 

 

 

 

 

 

 ますますひどくなるような報道も多い格差社会。このことが言われて二十年くらい経つでしょうか。その格差の要因は、親の所得・財産や学歴、教育に対する理解や文化水準や本人の地頭などがよくとりあげられていますが、究極の要因は、親の所得・財産と環境の相関関係にあると言っても良いのではないでしょうか。

 

 先日読んだ経済学の橘木俊詔『教育格差の経済学』。その最終章の結論とその前提を簡単にまとめるとすれば次のようになります。一部引用

 

前提1 引用します。教育はすべての人に平等に与えられるべきという原則である。なぜならある程度の知識はねその人が市民生活を送る上で必要だからである。(途中略)

その原則に忠実にあるため、先進国はすべての国義務教育(日本では9)を求めており、全国民の税負担によってそれを実行している。中略

そして最も避けなければならないことは、貧乏な家の子弟が大学に進学できないことの発生である。

 

2 社会的効率性と称されるものである。先に述べた自由と平等の原則とはやや異なるのだが、教育を受けた者は高い生産性を獲得するし、所得も高くなるので、社会経済の活性化に寄与するるそうすると有能な人材にもっと教育を、という発想が生まれても不思議ではない。これが公費による高等教育費支出を増加せよ、という根拠の一つになっている。以下略

 

3社会移動が硬直化・固定化するのを防ぐ手段としての役割である。中略

教育次第で子供は親の職業とは異なる職業を選択できる、というわけである。

 

 結論として筆者は言う。

良識ある濃く市民を世の中に送り出すめにも、また社会と経済の発展のためにも、教育は重要であり、それは個人においても職業選択の自由をもたらしうる、ということである。

 

 そのためには、やはり社会の側が、教育がすべてのの人に平等に与えられるべきという原則に基づいて、希望する人が自由に教育を受けられるような制度づくりと政策を講ずる必要がある。以下略

 

 長々と引用してきたが、私も同意見だ。税理士的には税法的な政策提案できうる。負担能力主義に基づき所得・財産の再配分によって格差を少なくすることによって教育を受ける権利の平等化に資することが、それだ。

 

親の所得・財産の格差が子供たちの学歴に得た大な影響を及ぼし、これ以上の二極化が続くことのない社会にするための政策の一助が税だ。

 

とすればね高額所得者や高額財産の所有者の課税を合理的な方法で強化することこそ急務の課題ではなないだろうか。

 

 

 

 

 

久しぶりに、ブログを書きます。私の文学史。というか、読書遍歴、について。

 

「生まれてきてすみません」は、私の信奉する太宰治の言葉。「生まれてきた以上生きねばならぬ」は、これまた私の敬愛する夏目漱石の言葉。これに芥川龍之介と、宮沢賢治までが、明治の文学者で今でも読み続ける示唆深い作家。これに森鴎外を加えないといけないな。宮沢賢治のSF小説。彼のロマン、自然観、いや、宇宙観にはとにかく感銘を受けた。

 

 その後、思想・哲学関係に興味が広がり、三木清、森有正、小林秀雄、埴谷雄高、加藤周一、吉本隆明、高橋和巳、大江健三郎あたりまでも、三木清は除き、同時代的に読んだ。これに三島由紀夫を加えないといけない。ただ、小林と三島は思想的には相容れない部分は確かにある。

 

 明治期から昭和にかけての私の好きな作家群。政府とは独立した価値観を融資、政府に物申すという反骨的精神、あるいは、文学者としての使命感を、小林を除き、有していた点でも、その作品群の文学的素晴らしさだけではない、共鳴できるものがある。

 

 今は、あまり読書に割く時間もないものの、小説、エッセイをよく読む。浅田次郎、村上春樹。彼らは言うまでもなく秀逸だ。浅田次郎の討論会には二度ほど足を運んだが、ざっくばらんだけれども、思っていたより真面目な感じに見受けられた。彼との距離2m。気が小さくない私だけれども、緊張したのは懐かしい思い出だ。今は他にそれほど好きな、あえて言えば、優れた小説家はいない気がしてならないのは、私だけかな。

 二人には共通点はないようだけれども、反骨精神に溢れ、さらに音楽に造形が深いせいか、リズム感が文章に現れているように感じられて仕方ない、私には。ただ、浅田は、漢文の素養が影響し、村上は、翻訳の経験が影響しているのにちがいない。

 

 新しい作家も読まないわけではないが、追っかけする程の作家は今のところいない。現れては欲しいけれど、本を読まない時代。作家という職業に人が集まらないのも不思議ではない。また、文学系統に予算を咲かない政府の方針が間接的にせよ影響を与えているのかもしれない。