おはようございます。

 

東京浅草では昨日から三社祭が始まってますね!

 

 

 

この時期になると浅草近辺では法被・半纏を着てる方をよく見かけます!!

 

その姿を目にするたびに”始まったなぁ~”と感慨深く思ってしまうのですが

 東京に来るようになってから1度も三社祭を見に行ったことが無いので

もしかしたら非国民ならぬ、非都民なのかも??

 

でも人混みが嫌いなんですから仕方ないですよね

・・・・・言い訳ですけどね。

 

そんなわたしですが

昨日は近くに行く機会があったのでちょこっとだけ寄ってみました!

 

 

 

 

 

 

伝統と言うものを肌で感じた数十分ですが

とっても有意義な時間を過ごせたのかなと思ってます!

 

なので

今日も行ってみようかな( ´∀` )

 

 

 

 

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本来でしたらGW後半のお話をしようと思ってたのですが

この件を先にお話ししたいと思いますので

しばしの間お付き合いいただけますと幸いです。

お話しの内容とは

このBlogでも何度か登場して頂きました

10数年のお付き合いとなるかなり歳上の友人男性です。

繰り返しとなってしまいますが

友人とはこのマンションに住み始めてマンションの理事会を一緒に担当したことをきっかけに仲良くなり

お互いギターを弾けることから我が家でギター談義に花を咲かせたり

奥さんや娘さんを交えてホームパーティーを開いたり

と家族ぐるみでお付き合いをさせていただいてました。

また、妻が余命宣告を受けた際もいちばん親身に励ましてくれたのも友人家族ですし

わたしが中咽頭がんの治療で長期に渡り入院したときには

週に一回は水回りを中心に清掃してくれたりと感謝しきれない大切な友人(夫婦)なのです!

その友人が1年と数ヶ月前にアスベストによる「肺線維症(はいせんいしょう)」に罹患したと連絡を受けたときには耳を疑うとともに

あまりにもショックで涙を浮かべながらボー然したことは数日前のことのようにはっきりと覚えてます。

みなさんもご存知の通り、アスベストにより症状が発症した場合

現在の医学でも治すことが出来ず

約1年後に訪れる◯をただただ待つだけの酷な病気のひとつでだと思ってます。

その友人とは先日大学病院でお会いしたときのことを以下のBlogのOpeningで触れさせて頂いてるので、よろしければ目を通していただけると幸いです。

 


そして今回

わたしが大学病院での骨髄炎の治療を終えて会計を待っているとき

入院している旦那さん(友人)にお見舞いへ来た奥さんと会い

旦那さんの現状を伺うことが出来ました。

奥さん : 久しぶり~!

わたし : お久しぶりです

毎朝生存確認のためにお互いLINEのやり取りをしてはいますが

実際に顔を合わせるのは今年初めてだったと思います!

奥さん : 体調は大丈夫ぅ~?

わたし : 大丈夫ですよ!

わたし : たぶん( ´∀` )

わたし : 旦那さんはどうなの?

奥さん : この前孫との写真を送ったじゃん!

わたし : うんうん!お花見をしたときのね!

奥さん : そーそー!

奥さん : あのとき、足が不自由だったから車椅子に乗ってたのよ~

わたし : ええええ!

わたし : 歩けないの?

奥さん : 左足の付け根が動かなくてね~

わたし : どういう事なの?

奥さん : 実はね~

と現状について教えてくれます。

要約すると

以前下半身ある部分にできた癌治療の影響と

今回の肺線維症から肺がんを合併させてるからなのか左足の浮腫が酷くなってしまい

(↑ 細かく聞いたのですが、抜けてしまいました・・)

その影響から歩けなくなってしまったという事でしたが

それ以上に胸に突き刺さったのが

骨髄液を通して脳を包むようにあるくも膜に1mm未満ほどのがん細胞が多数付着してるという事でした。

Blogを始めたころに妻のことをお話ししたことがありますが

わたしの妻も骨髄液を通して脳にがん細胞が回ってしまってて

3cmほどのがん組織が3つ、そして、1mm未満のがん組織が複数あることで

徐々に喋る力や考える力が衰えてきて・・・

そのときのことを思い出してしまいました。

そんな数年前のあの出来事を感慨深く思い出してると

 

奥さんから

奥さん : 聞きたいことがあってね

わたし : ?

わたし : なんざんしょ!

奥さん : 緩和病棟ってお茶の水駅から近いあの病院だったよね

わたし : はい!

わたし : たしか余命宣告されて3ヶ月ほど経ったときに、担当医からここ(大学病院)の地域医療を専門に扱っている部署を案内されていくつか紹介してもらいました

わたし : そのうちの2つの病院に見学へ行ったんです

わたし : 妻といっしょに

奥さん : いっしょに?

わたし : はい

当初はわたし1人が緩和病棟のある病院(都合上、緩和病院と記載しますね)へ行って面談しても良かったのですが

病院から出来れば本人参加の上面談したいということと

わたしの妻も見に行きたいという気持ちもあったためいっしょに訪れたのです。

わたし : ひとつはさっき話したお茶の水の病院で、もうひとつはマンションからも行きやすいあの大きな病院なんですが

と2つの病院に訪れて

わたしたち夫婦が見て感じたことをそのまま伝えました。

※ メリット・デメリットを記載すると病院に迷惑が掛かるかもしれませんので、詳細は割愛しますね。

奥さん : なるほどね

奥さん : 実はお父さんからそろそろ考えたほうが良いかもしれないから、〇〇さん(わたし)と話をして欲しいって言われてたのね

奥さん : LINEよりは会ってちゃんと聞いたほうが良いと思ってたから、会えて良かった~( ´∀` )

わたしは本人の口から緩和病院への入院を考え始めたということを聞いて

あまりにもショックを受けて涙を堪えるのに必死です。

それを察した奥さんを見て

わたし : ごめんなさい

わたし : 〇〇(妻)といっしょに緩和病院へ行ったことや最後の1週間を緩和病院で過ごしたこと思い出しちゃって

すると奥さんも涙を流しながら

奥さん : そうだよね。そうだよね。

と会計待ちの方や付き添いで外来に来られた方

面会まで時間をつぶしため待合室に居る方など数百人は居るだろう待合室で寄り添うように座り

涙してる様は異様に映ったかもしれませんが

自然と溢れてくる涙を止めることが出来ません。

自分に”落ち着け!落ち着け!”と言い聞かせながら

わたし : たった1週間だけどお茶の水の病院にお世話になって良かったと思ってます

わたし : 駅から近いし、看護師さんはベテラン揃いで優しいし!

そのときのことは

以前のBlogでお伝えしてるのでお時間のあるときに目を通していただけますと幸いです。

 


奥さん : うんうん!

奥さん : 辛いことを思い出させちゃったね

と反対に慰められてしまいました( ´∀` )

その後、緩和病院への手続き方法や誰が転院のジャッジメントをするのか

障害者認定の方法など

わたしが妻と最後を迎えるまでの時間をどのように過ごしたのか事細かく伝え終えると

奥さん : そろそろ面会の時間になるから

わたし : はい!

わたし : 旦那さんによろしくお伝えくださいね~

奥さん : ありがとうね!!

と席を立とうとしたとき

わたし : あ!!ひとつ聞いても良い??

奥さんは再び椅子に腰かけ

わたし : この病院の食事は美味しくないけど食べれてる??

奥さん : マズイマズイ!!って言いながら、ふりかけを掛けて口に入れてるよ~( ´∀` )

わたし : この後月島方面に行くんだけど、佃煮は食べられるかな??

奥さん : 食べる!!食べると思うよ!!

と即答していただいたので

わたしは奥さんと別れた後、会計と薬局でお薬を頂き

その足で月島に行ったのでした!!

〇 月島の老舗佃煮屋さん、天安さんです!

※ 文字化けしてちゃんと表示されないかもしれませんが、公式HPのようです。



現在の医療ではぜったいに治ることのない肺線維症

そして、そこから発症した肺がん。

辛いとは思いますが

一日でも多く奥さんや娘さん、お孫さんに笑顔を見せ続けてくれるよう神さまにお願いして来ようと思います。
 

最後に亡くなる数週間前に妻が言ってった言葉を借りて

【細く、長く生きて欲しい!】

そんな気持ちで過ごした奥さんとのひとときでした。