長谷川白紙聴いて思い出した | 不可思議?

不可思議?

不定期に面白い不思議ネタを書けたらいいな。

長谷川白紙のGoogleのCM曲を聴いて、思い出した。


時に、世の中ウォークマン持ってる人があっちこっちで溢れ出して、Brian Enoがアンビエントミュージックを作って、細野晴臣が独特な音楽環境と歌謡曲を同時並行で作り上げていた頃の話だ。



その頃、ふと思ったのは、これからの音楽にはいくつかのいらないものが生まれるなということだった。
そのいくつかのものとは
①音圧頼みの制圧
②単旋律での叙情や泣き
③単一のノリ(groove)

こういうのはいらなくなると思った。

そのあとも、ビート文学(バロウズやら、キングズバーグやら)を読んだり、JazzのBebopとCoolJazzの端境期を聴いたり、HipHopや特にBassBoostedな曲を聴いたりしながら、普通にJ-POPに埋もれながら半分忘れて、半分思い出していた。






ただ、これはSwingJazzがBebopになり、CoolJazzに展開する過程や、ジョージ・ハリスンやビートルズがインド音楽に傾倒し始めたあたりで確定的になっていたことだ。


音楽を拘束しているのは、大ホール志向(大音量で大衆に聴かせる)であったり、そのために構築した音楽理論であったりするのだが、歌自体は誰かの耳元で囁いても、小部屋で小集団に向けて歌っても成立するのに、教会で雨降らすような恩寵の音楽を志したところから、人間の生理の手元を離れていたのだよ。
大ホール志向と効果よりも原因を突き詰めたいヨーロッパ的発想


    

ちょっとしたたとえ話をすれば、秘教の魔術を目にした時に、その魔術を直接身につけたいと思うか、それらは宗教者やシャーマンの仕事と割り切って、教学の構築に精を出すかの差があるように感じる。

他の文化が魔術の習得に精を出していた折にヨーロッパはなぜ魔術が成り立つかの教学または外部者としての文学を作っていたのだろう。

そうは言っても、私たちはブラックホールの中にいる異次元の意識体に出会うことはできないし、宇宙外の存在を直接認識することはできないし、地球の自転速度が1700km/hであることに本当に驚くのは、地球崩壊の時だという意地の悪い警句を見てニヤリとすることはロジック優先の現代を生きる上で必要だと思う。


が、楽器から揺らぎや唸りを取り去り、大合奏を主たるメディアにしてしまったことは、実際には不幸なことで、この呪縛が綻ぶのも同時代の、文化人類学の台頭と共に紹介され始めたワールドミュージックという棘だったりする。

太鼓には鈴や金輪がつき、フレットのない楽器をチョーキングやスライド演奏するような揺らぎや、雑踏の音の中、自然の音の中で奏でられる、環境音を厭わない音楽のあり方や、即興性のうねる合奏などは、西洋音楽の楽理に沿うことを求めるそれとは大きく違っていた。
音楽の規則もその音楽の底流の生理に沿っていて、奇妙な半音階(正確には1/4音階や1/8音階かもしれない)や上りと下りで音が異なるスケールやら、なぜを問わない規則に従っている(しかし、場合によっては極度に数学的でもある)。

ちょっと余談。
よく中学校や高校の英語の先生が、「日本語は非論理的だからダメなんだ!」みたいなことを言い始めるが、論理性というものは、原因や原則を求めることで、神の恩寵を理解しようという西欧独特の視点なんだよね。
それが人類にもたらした恩恵も害悪もたくさんあるけれど、実際に人間が論理性だけで判断している時って、数学の計算式の解法に没頭している時ぐらいで、日頃は感情や感覚やインスピレーション(霊感や直感)がスープのように配合されて滴っている(本体は鍋の中)だけなのが普通なのだから、実際にはそれで黒白が明瞭になることも、普遍的な勝ち負けが生ずることもない。
もうそんなアホなこと言う先生は少ないかもしれないけれど、「日本語は非論理的だ!」と言われたら、「英語には侘び寂びがない!」「英語をはじめ表音文字には字義を視覚的に伝える術がない」などと言ってみるのもいいかもしれません。

閑話休題
外部にシャカシャカ言わないくらいの音量でイヤフォンをつけていると、街の音(音楽を含む)は自然と入って来て、ある時無関係なgrooveがイイ感じに混ざるパーソナルな時間(パーソナルな時間は固有の時間ではなく、イイ感じの共感を伝え得るくらいに開いて、かつ閉じている)が来るが、これからの音楽って、手持ちの情緒性や音圧に頼るのではなくこの「イイ感じ」ベースになるだろうね。
AirPodsとリンクするボディスーツがあって、必要な振動が身体にくるようになるのはそう遠くないのだろうし、その時に自分の聴いている音楽のgrooveに引きこもらずに、外界にコミットした時に、意図的に支配せず、開くことでできあがる音楽の、新しい端緒のような気がする。それを感じさせてくれるのが長谷川白紙さんの音楽のように感じた。

この記事も面白いですよ。