第8回「隠されていた神」主要聖書箇所 | Truth Hawkのblog

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📖 第8回「隠されていた神」主要聖書箇所


ルカ24:13–35 ― エマオへの道。イェシュアが共に歩かれていたのに弟子たちは認識できず、御言葉が開かれ、心が燃え、パンを裂いた時に目が開かれる。今回の中心聖句。

ヨハネ1:1–3, 9–14, 18 ― 「言は神であった」「言は肉体となった」。見えない神が人となって人間の間に住まわれた。

ヨハネ14:6, 8–9 ― 「わたしを見た者は、父を見たのである」。イェシュアにおける神の自己啓示。

創世記28:10–19 ― ヤコブのベテルでの体験。「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった。」

ヨハネ1:51 ― ヤコブのはしごを思わせる「人の子の上に神の御使たちが上り下りする」。天と地を結ぶイェシュア。

ヨハネ3:16–21 ― 御子を信じない者は「すでに裁かれている」。光が来たにもかかわらず、人が闇を愛するという裁き。

出エジプト記4:10–12 ― 見る目、聞く耳、人間の身体的能力そのものが創造主の主権の下にある。

申命記29:2–4 ― 神の御業を見ながらも「悟る心、見る目、聞く耳」が与えられていなかったイスラエル。

イザヤ6:9–10 ― 心が鈍くなり、耳が重くなり、目が閉ざされるという裁きとしての霊的硬化。

ローマ11:7–8 ― 「神は彼らに鈍い心と、見えない目と、聞こえない耳とを与えられた。」

📜 参考聖書箇所

神が人となり、私たちの間に住まわれたこと

出エジプト記25:8 ― 神がイスラエルの中に住むための聖所

マタイ1:23 ― インマヌエル「神われらと共にいます」

Ⅰヨハネ1:1–3 ― 聞き、目で見、手で触れた「命の言」

ヘブル2:14–18 ― 血肉を共にされ、死を通して人を解放されたイェシュア

ヘブル4:14–16 ― 人間の弱さを思いやることのできる大祭司

Ⅰテモテ2:5 ― 神と人との唯一の仲保者

黙示録21:3 ― 「神の幕屋が人と共にある」
見る目・聞く耳・霊的認識

詩篇94:9 ― 耳を植え、目を造られた方

箴言20:12 ― 「聞く耳と見る目とは、二つとも主が造られた」

エレミヤ5:21 ― 「目があっても見ず、耳があっても聞かない」

イザヤ42:18–20 ― 見ても認めず、耳を開いても聞かない僕

マタイ13:10–17 ― 見ても見ず、聞いても悟らない

マルコ6:1–6 ― 「この人は大工ではないか」―近すぎるイェシュアを認識できなかったナザレ

マルコ10:46–52 ― 肉眼では見えないバルテマイが「ダビデの子」を認識する

ヨハネ9:1–41 ― 肉体的な盲目と霊的な盲目

Ⅱコリント3:14–18 ― 主に向く時、心の覆いが取り除かれる

Ⅱコリント4:3–6 ― 心の目をくらませることと、キリストの栄光の福音の光

エペソ1:17–18 ― 「心の目が明らかにされる」ことを求める祈り

黙示録3:17–20 ― 「目にぬる目薬」と、戸を叩かれるイェシュア

拒絶・硬化・裁き

出エジプト記7–14章 ― ファラオ自身の頑なさと、主による心の硬化

ヨハネ5:36–40 ― 聖書を調べながら、その聖書が証しするイェシュアのもとへ来ようとしない

ヨハネ12:37–43 ― 多くのしるしを見ても信じなかった人々とイザヤ6章の引用

ローマ1:18–28 ― 真理を押さえつける人間と、「神は彼らを引き渡された」という裁き

Ⅰテモテ4:1–2 ― 良心に焼き印を押されたような状態

ヘブル3:7–15 ― 「きょう、み声を聞いたなら、心をかたくなにしてはいけない」

伝道の書8:11 ― 裁きがすぐ行われないため、人の心が悪へ傾くことへの警告

エマオ・復活後の「認識」

ヨハネ20:11–18 ― マグダラのマリヤは最初イェシュアを園の番人だと思ったが、名を呼ばれて気づく

ヨハネ20:24–29 ― トマスと「見ないで信ずる者はさいわい」

ヨハネ21:1–14 ― 岸にイェシュアがおられても、弟子たちは最初それと分からなかった

列王記下6:15–17 ― エリシャの祈り「主よ、彼の目を開いて見させてください」

パンを裂く・命のパン 

ルカ9:10–17 ― 五千人の給食。「取る→祝福する→裂く→渡す」

ルカ22:14–20 ― 最後の晩餐。「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだ」

ヨハネ6:26–40, 48–51 ― 「わたしは命のパンである」

使徒2:42–47 ― 初代エクレシアの「パンを裂く」交わり

使徒20:7 ― 弟子たちがパンを裂くために集まった場面

神の臨在と「気づかなかった」

列王記上8:27 ― 天も神をお入れすることはできない

詩篇139:1–12 ― どこへ行っても神の御前から離れることはできない

創世記3:8–10 ― 神から隠れる人間と「あなたはどこにいるのか」と呼ばれる神

ルカ15:1–10 ― 失われた羊・銀貨を探す側として描かれる神

ヨハネ10:7–9 ― 「わたしは門である」

使徒17:24–28 ― 神は人間から遠く離れておられる方ではない

今回の最重要5箇所だけ絞るなら、

ルカ24:13–35
ヨハネ1:1–14
ヨハネ3:16–21
創世記28:10–19
イザヤ6:9–10
この5本🔥

特に今回を一言で象徴するなら、やっぱり ルカ24:31「彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった」 と 創世記28:16「主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。

この二つが旧約と新約から向かい合って、第8回「隠されていた神」を挟んどる感じや(✧д✧)📖✨