📜 補遺2:賛美から始まり、顔を上げる祈り
サラは深い悲しみの中にあった。
七人の夫を失い、人々から辱めを受け、生きる望みさえ失っていた。
しかし、その祈りは意外な言葉から始まる。
「憐れみ深い神よ、あなたとあなたの御名を永遠にほめたたえます。」
彼女は、自分の苦しみを語る前に、まず神をたたえた。
これは聖書に繰り返し見られる祈りの姿である。
詩編でも、多くの祈りは神への賛美から始まる。
イェシュアが弟子たちに教えられた祈りも、
「天におられる私たちの父よ、御名が聖とされますように」
という神への礼拝から始まっている。
賛美とは、問題が解決したから神をほめることではない。
問題の中にあっても、神がなお神であられることを認める信仰の告白なのである。
そしてサラは続けて、
「今わたしは、あなたに向かって顔を上げ、あなたを仰ぎ見ます。」
と言う。
絶望すると、人は自然と顔を伏せる。
目の前の苦しみだけを見つめるようになる。
しかしサラは、自らの視線を神へ向けた。
彼女の状況は何一つ変わっていない。
それでも、見る方向だけは変わったのである。
ここに信仰の第一歩がある。
環境が変わる前に、心の向きが変わる。
神はその祈りを聞かれ、次の場面で御使いラファエルを遣わされる。
神の救いは、顔を上げて神を仰ぐ者のところへと静かに始まっていくのである。
◆ ショート補遺メッセージ
信仰とは、現実を見ないことではない。
現実の中で、なお神を見上げることである。
賛美は、神へ心を向ける扉であり、
顔を上げることは、希望へ向かう最初の一歩である。
だから神は今日も、
うつむいた者に「顔を上げなさい」と静かに語りかけておられるのである。
ここでさらに一つ繋がる御言葉があるんや👀
詩編には何度も、
「私は山に向かって目を上げる。」
(詩編121:1)
とか、
「あなたに向かって私の目を上げます。」
(詩編123:1)
という表現が出てくる。
つまり聖書では、
**「顔を上げる」
「目を上げる」**は、
単なる動作やなく、神へ信頼を向ける姿勢として繰り返し描かれてるんや。
サラの祈りも、その大きな流れの中に置くと、さらに味わい深く読めると思うで(✧д✧)📜✨