📜補遺
教会は「体」の神学
パウロは教会を、
建物とは呼びませんでした。
組織とも呼びませんでした。
会社とも呼びませんでした。
パウロが用いたたとえは、
「体」
でした。
📖 コリント人への第一の手紙12章
あなたがたはキリストの体であり、 一人ひとりはその部分である。
🌿体には無駄な部分がない
私たちの体を見ても、
不要な臓器は一つもありません。
心臓は、
「自分だけあればいい」
とは言いません。
肺も、
腎臓も、
肝臓も、
脳も、
それぞれ違う働きをしています。
もし心臓が、
「私は目になりたい」
と言い始めたら、
体は機能しなくなります。
神は、
違いを失敗として造られたのではありません。
違いを必要として造られたのです。
🌿役割に優劣はない
人は、
目立つ働きを尊びます。
話す人。
教える人。
前に立つ人。
しかしパウロは、
体の中でも
「弱く見える部分ほど、なくてはならない」
と語っています。
神の国では、
目立つことが価値ではありません。
忠実であることが価値なのです。
🌿一人で全部は出来ない
神が教会を体にたとえられた理由は、
一人では完成しないことを教えるためでもあります。
誰にも得意なことがあります。
同時に、
誰にも限界があります。
だから互いに補い合うのです。
助け合うのです。
委ね合うのです。
そこに、
神の国の美しさがあります。
🌿頭はキリスト
ここでもう一つ大切なことがあります。
体には、
頭が一つしかありません。
教会の頭は、
牧師でも、
長老でも、
有名な説教者でもありません。
🔥頭はキリストです。
だから私たちは、
人について行くのではなく、
キリストにつながることで、
それぞれの役割を果たしていきます。
🌿現代への適用
教会だけではありません。
家庭も、
会社も、
地域社会も、
一人が全部を抱えるのではなく、
互いに役割を果たし、
互いを信頼することで、
健全に成長していきます。
それは、
神が人をそのように造られたからです。
🔥補遺の核心
神は、
同じ人をたくさん造られたのではありません。
違う賜物を持つ人々を集め、
一つの体として歩ませようとされました。
だから、
比較する必要はありません。
競争する必要もありません。
自分に与えられた役割を、
神に感謝して果たす時、
体全体が健やかに成長していくのです。
✨締めの一言
「神は私たちを同じようには造られなかった。」
「それぞれに違う賜物を与え、一つの体として生かされるためである。」
だから本当の成熟とは、自分だけが強くなることではなく、互いを生かし合い、キリストという頭のもとで一つとなることなのである。 🤲📜✨🔥