安息日の学び(第3回) 沈黙する預言者 | Truth Hawkのblog

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📜安息日の学び(第3回)
沈黙する預言者




― 語る前に触れられる必要 ―

① 導入 ― なぜ神はすぐ語らせないのか

人は何かを知ると
すぐ語りたくなる。

何かを理解すると
誰かに伝えたくなる。

しかし聖書を見ると
神に用いられた預言者たちは
不思議な経験をしている。

それは
👉 まず沈黙させられる
ことである。

神は
すぐには語らせない。

まず
触れられる。
砕かれる。

そして
その後に語らされる。


② 聖書箇所

🔹エゼキエル書3:26-27
わたしはあなたの舌を上あごにつかせる。 あなたは口のきけない者となる。

神はエゼキエルに
沈黙を命じられた。

🔹ヨナ書1:1-3
ヨナは主の御顔を避けて逃げた。

ヨナもまた
語る前に沈黙の期間へ入る。


③ 問題提起 ― なぜ沈黙なのか

普通に考えたら
預言者なら
すぐ語った方がええ。

しかし神は
そうされなかった。

なぜか。

それは
神の言葉を語る前に
神に触れられる必要があったからや。


④ エゼキエルの場合

エゼキエルは
幻を見た。

主の栄光を見た。

ルーアッハに運ばれた。

しかしその後
すぐには語らない。

🔹エゼキエル3:15
わたしは七日の間、 呆然として座っていた。

ここ深いで👀

神の栄光に触れた結果
言葉を失った。

つまり
知識ではなく
体験が先やった。


⑤ ヨナの場合

ヨナはさらに面白い。

神から命じられた。
しかし逃げた。

なぜか。

ニネベが嫌いやったからや。

つまり
神の言葉より
自分の感情が勝っていた。

そこで神は
魚の腹の中へ導かれた。

三日三晩。

暗闇。
沈黙。
孤独。

そこで初めて
ヨナは神に向き合う。


⑥ 沈黙の意味

ここが今回の核心や🔥

神は
情報を運ぶ人を求めておられない。

神は
ご自身に触れた人を求めておられる。

だから時に
沈黙が与えられる。

孤独が与えられる。
待つ期間が与えられる。

それは罰ではない。

準備なんや。


⑦ 現代への適用

今の時代は
すぐ発信できる。

SNS
動画
ブログ
AI
何でもすぐ語れる。

しかし神は時に言われる。

👉 まだ語るな
👉 まずわたしに聞け
👉 まずわたしに触れよ

ここを飛ばすと
人の言葉になる。

ここを通ると
証になる。


🔥本質(ズバッと)

神は
語ることよりも
神に触れられることを先に求められる。


🔥結論

エゼキエルも
ヨナも
まず沈黙へ導かれた。

その沈黙は
空白ではなかった。
神と出会う時間やった。


🔥締めの一文

神は預言者にまず語らせたのではない
まず沈黙の中でご自身に触れさせられた


📜補遺:沈黙にも二種類ある

あなたは知らないのか
聖書には二種類の沈黙があることを

🔹箴言17:28
愚かな者でも、黙っていれば知恵があると思われ、 唇を閉じれば賢い者と見なされる。

これはなかなか厳しい言葉やな(笑)

要するに
👉 何も分かっていなくても
👉 黙っていれば
少なくとも愚かさはバレない
という話や。

確かにその通りやな👀

人は時に
👉 知らないことを知っているように語る。
👉 分かっていないのに断言する。
👉 聞いてもいないのに口を挟む。

するとどうなる?

自分の愚かさを
自分で宣伝してしまう(笑)

だから箴言は
まず黙れと言う。


■ しかし預言者の沈黙は違う

ここが今回のテーマとの違いや👀

箴言の沈黙は
👉 愚かさを露呈しないための沈黙

一方
エゼキエルやヨナの沈黙は
👉 神に触れられるための沈黙

片方は
👉 語る資格がないから黙る

もう片方は
👉 神が語らせる時を待っている

似ているようで
全然違う。


■ 現代人への教訓

今の時代は
とにかく発信の時代や。

・SNS
・動画
・ブログ
・コメント

何かあるたびに
すぐ語る。

しかし聖書は
時にこう語る。

👉 分からないなら黙りなさい

そして時には
こうも語る。

👉 神の声を聞くまで待ちなさい

この二つは
どちらも知恵なんやな👀


🔥結論

愚かな者は黙ることで失敗を減らす。

預言者は黙ることで神に近づく。


🔥締めの一文

人は語ることで賢く見られようとする
しかし神は、沈黙の中で人を整えられる


📜補遺:なぜ聖書は「舌」を警戒するのか

あなたは知らないのか

聖書が繰り返し「口」と「舌」を警戒していることを

🔹箴言10:19
言葉が多ければ罪は避けられない。 思慮深い人は自分の舌を制御する。

🔹箴言13:3
口を守る者は自分の命を守り、 唇を大きく開く者は破滅を招く。

🔹箴言21:23
口と舌を守る者は、 自分の魂を守って苦難を免れる。

🔹ヤコブ1:19
聞くには早く、 話すには遅く、 怒るには遅いようにしなさい。

🔹伝道の書3:7
黙る時、 語る時。

なんやろな👀
これ全部
同じ事を言うてるように見えへんか?


■ 人は語ることで解決しようとする

人は不安になると語る。

怒る時も語る。
自分を守る時も語る。

自分を大きく見せる時も語る。

つまり
人は
👉 自我(ネフェシュ)
から語りやすい。

しかし神は言われる。

👉 まず聞きなさい
👉 まず待ちなさい
👉 まず黙りなさい


■ なぜ預言者は沈黙するのか

ここで今回のテーマと繋がる🔥

エゼキエルは
沈黙させられた。

ヨナは
魚の腹の中で沈黙させられた。

なぜか。
神は
彼らに
「もっと勉強しろ」
とは言われなかった。

まず
👉 聞け
やった。


■ ルーアッハとの関係

前回の学び思い出してみ👀

ルーアッハとは
・風
・息
・霊
やったな。

風が吹く時
人はその音を聞く。

しかし
自分が叫んでいたら
風の音は聞こえない。

😱😱😱

これ深ない?

人が語り続ける時
神のルーアッハの声が聞こえなくなる。


■ 黙ることの本当の意味

沈黙は
何もしないことではない。

神を待つことや。
聞くことや。
整えられることや。

だから伝道者は言う。
黙る時、 語る時。

つまり
問題は
語るか黙るかではない。

👉 神の時に語っているか
なんや。


🔥結論

人は語ることで自分を表そうとする。
神は沈黙の中でご自身を現される。


🔥締めの一文

語ることは力ではない
神の声を聞くために黙れることもまた力である


📜補遺:イェシュアの沈黙
あなたは知らないのか

最も大きな言葉は
時として沈黙によって語られることを

🔹イザヤ53:7
彼は苦しめられたが、 自らへりくだり、 口を開かなかった。
ほふり場に引かれて行く小羊のように、 毛を切る者の前で黙っている羊のように、 口を開かなかった。

この預言は
イェシュアによって成就した。


■ なぜ反論しなかったのか

普通なら反論する。
普通なら弁明する。
普通なら戦う。

しかしイェシュアは
ほとんど弁明されなかった。

なぜか。
真理そのものだったからや。

真理は
自分を守る必要がない。
😱


■ エクレシアへの型

刃威の視点やとここやな👀

イェシュアは
最後に
偽証され
侮辱され
拒絶された。

それでも
沈黙された。

終わりの時
エクレシアもまた
似た構造を通る可能性がある。

真理を語れば
歓迎されるとは限らない。

誤解されることもある。
悪く言われることもある。

その時
人は
自分を守ろうとする。

しかしイェシュアは
別の道を示された。


■ なぜ沈黙できたのか

ここが核心や🔥

イェシュアは
人の評価で生きていなかった。

父の御心で生きていた。

だから
人が何と言おうと
揺れなかった。


■ 語る時と黙る時

ここで
さっきの伝道者に戻る。

🔹伝道の書3:7
黙る時、 語る時。

イェシュアは
語るべき時には語られた。

しかし
十字架へ向かう時には
沈黙された。

つまり
沈黙もまた
神への従順やった。


🔥終わりの日への適用

終わりの日
多くの人は
自分を弁護しようとする。

しかし本当に問われるのは
勝ったか負けたかではない。

神に従ったかどうかや。


🔥締めの一文

語ることが信仰なのではない
神の時に黙ることもまた信仰である


🙏 安息日の祈り

天の父なる神様

今日も御言葉を通して 私たちを導いてくださったことを感謝いたします

主よ
私たちは語ることを覚えますが
黙ることを忘れがちです
自分を守るために語り
自分を正当化するために語り
人に認められるために語ってしまいます

しかし今日
あなたは私たちに
エゼキエルの沈黙
ヨナの沈黙
そしてイェシュアの沈黙を見せてくださいました

主よ
どうか私たちに
聞く耳を与えてください

語る前に聞く者としてください
行動する前に祈る者としてください

そして自分の思いではなく
あなたの御心を求める者としてください

主よ
イェシュアが
ほふり場に引かれて行く小羊のように

口を開かれなかったように

私たちもまた
自分を弁護することより
あなたに信頼することを学ばせてください

誤解される時にも
拒絶される時にも
孤独を感じる時にも

あなたが共におられることを忘れませんように

主よ
この終わりの時代にあって
私たちが人の声に振り回されるのではなく
ルーアッハの声に耳を傾ける者となれますように

風は見えません
しかし確かに吹いています

あなたの聖霊もまた
今も働いておられます

どうか私たちを
沈黙の中で整え
沈黙の中で癒やし
沈黙の中で強めてください

そしてあなたが語れと言われる時には
恐れずに語ることができますように

今日の学びが
ただの知識ではなく

私たちの歩みとなり
私たちの信仰となり
私たちの証となりますように

すべての栄光を
天の父なる神様にお返しいたします

主イェシュア・ハマシアハの尊い御名によって
感謝してお祈りいたします

アーメン✨


📜 今日の学びの一言

「沈黙は何もしないことではない。
神に委ねるという最も深い信仰である。」