もと龍野藩の新在家村と、もと天領の余子浜村の境は、

 

網干の住民にとっても、複雑で分かりにくいです。

 

以前紹介した「浜さき」と「山上写真館」はとなり同士ですが、

 

「浜さき」は余子浜村で、「山上写真館」は新在家村のようです。

 

 

どうやら村の境に、江戸時代には掘割があったようですが、

 

現在その名残の溝のようなものしか、目撃できません。

 

溝がなくなったり、村の境でない溝があったりもします。

 

興味がそそられて、可能な限り溝をたどってみました。

 

国道250号線の下を横切っている溝が、村境になって、

 

西の右が余子浜村で、東の左が新在家村です。

 

 

同じ所から振り返ると、北の垣内村方面に伸びていきます。、

 

西の左が余子浜村で、東の右が新在家村です。

 

 

国道250号線の下を横切った溝が、南方向へ伸びます。

 

広かった掘割を、半分は埋め立てて道になっています。

 

西の右が余子浜村で、東の左が新在家村です。

 

たどってきた溝に、小さな橋が架かっていますが村境ではないです。

 

 

途中から溝は再び村の境になり、電車道と平行に流れてます。

 

掘割の溝をはさんで、右の東側が新在家村で左が余子浜村です。

 

 

同じ場所から振り返ると、溝の右が余子浜村で左が新在家村です。

 

 

たどれなくなった溝は村境でもなく、住宅の中を流れていきました。

 

行き着く先を確かめることは、今日はやめておくことにします。