心に引っ掛かる嫌なCM | yaso-haruyaのブログ

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国や民族等の違いによる優劣をつける、言わば国家レベルの差別があったし、今も続いている。東アジアの悲劇は、近隣諸国同士の差別史観により、史実が歪められている事にある。史実を探り、失われた日本人の誇りを取り戻すことが世界の安定に寄与すると訴えたい。

   先ずは、次の文章をご一読願いたい。

 

もしも最強の敵が現れたらどう闘うか?

格闘家は、こう答えることがある。

「はい、逃げます。」

本当にヤバかったら、逃げるが勝ち。

「負けないために」

言葉と生きていく聖教新聞

 

   ラジオCM、言葉と生きていく聖教新聞シリーズの「格闘家の言葉編」である。

 数多ある偽善的な匂いプンプンの聖教新聞CMの中でも、これはやけに心に引っ掛かった。

   まるで闇の中に蠢く怪しげな、敢えて言えば悪意に満ちたものを感じるのである。

 

 CHINAが台湾やその他、日本を含むアジアにおける覇権を、強大な軍事力で威嚇しながら拡げようとしている。

正にこの危機極まる状況において「逃げるが勝ち」だと! ふざけるな!

 

 

 「逃げるが勝ち」は、その場を逃れることが次につながる場合には有効だ。

 

 格闘家とあるから、それは一定のルール内で行われる格闘競技内の事であろうから、普通に考えれば、逃げることを選択した時点では“負け”なんだと思うが、CMで格闘家は“負けないために”と述べる。ここに矛盾がある。

 或いは、喧嘩のように一定のルールがあるとは言えない状況に挑む格闘家であれば、少しその矛盾は薄まるが、それでもやはり“負け”に近い状況が逃げるということであろう。

 

 対戦から逃げる。

一時的に避難して体制を立て直すことで、次の対戦で勝つということはあるかもしれない。逃げるが勝ちは、本来的には、そのように用いられてきたはずである。

 

 CMの逃げる格闘家、そのうち最強の相手に勝つことがあるのだろうか?

 

 

   彼のCHINAとは、どういう国かを知らないか、真実を認めたくない、日本国内の一定勢力は、日本国や日本人を守ることより大事な他の価値観があるらしい。

 

   それは、ほとんどの野党であれば、安全保障の分野とはかけ離れた、出来るだけCHINAと無関係のどうでも良い内容で政局を敢えて生み出し、その存在感を示そうとする事であり、創価学会・公明党や媚中派議員と財界の一部であれば、CHINAとの経済的な結びつきで、これまでに培った錬金術を守る事の方が大事ということにあるようだ。

 

   ウイグル・チベットに対する中共政府の手口は悪辣だ。

   逃げることさえ出来ず。愛する土地を侵奪され、民族の誇りや伝統・歴史、血脈をどんどん閉ざされている。無抵抗な相手には、より苛烈な仕打ちをするのがCHINAの特性である。

 

「水に落ちた犬は打て」はCHINAの作家魯迅がその作品の中で弱ったライバルを打ちのめすCHINA人を表現し、その後韓国では「川に落ちた犬は棒で叩け」と少し転じて用いられている言葉であるが、CHINAや韓国の特性を言い表している。

 

 逃げれば必ず負ける。相手がCHINAである場合、そうなる他はない。

 

 日本が負けるとは、世界でも稀有な文化・文明・歴史・伝統、世界に誇る平和を維持し続ける智慧が破壊されることである。

 人類がこれまでに経験したことが無い、取り返しのつかない損失と言って良い。

 

 目前の敵から逃げるのではなく、日本には、人類史上の敵になり得る勢力と正々堂々と対峙し、守り抜く使命がある。

 

   これを肝に銘じて、我が国は、今や世界一危険な地域と言われているこの東アジアで生き延びなければならない。

 

八十玄八