“保守本流”と言えば『宏池会』とされているのが腑に落ちなかった…が、 | yaso-haruyaのブログ

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国や民族等の違いによる優劣をつける、言わば国家レベルの差別があったし、今も続いている。東アジアの悲劇は、近隣諸国同士の差別史観により、史実が歪められている事にある。史実を探り、失われた日本人の誇りを取り戻すことが世界の安定に寄与すると訴えたい。

   昨年、令和3年(2021年)9月に岸田政権が誕生した。

   岸田文雄首相は宏池会(岸田派)の領袖。

   宏池会は、“保守本流”とされる派閥であり、宏池会が政権を担うのは久しぶりである。

 

   昭和32年(1957年)、吉田学校と呼ばれた吉田派の門下生池田勇人(以下、敬称略)が、佐藤栄作のグループと袂を分かち、官僚系議員を中心に宏池会を旗揚げした。

 

   宏池会出身の首相は次の通り

      池田勇人 昭和35年(1960年)7月~昭和39年(1964年)11月

      大平正芳 昭和53年(1978年)12月~昭和55年(1980年)6月

      鈴木善幸 昭和55年(1980年)7月~昭和57年(1982年)11月

      宮澤喜一 平成3年(1991年)11月~平成5年(1993年)8月

      岸田文雄 令和3年(2021年)9月~

 

   自民党ハト派・公家集団と揶揄される宏池会が“保守本流”とされているが、それは何故だろう? と、何となくずっとモヤモヤとしていた。

※  保守本流には、吉田学校から派生した佐藤派(周山会)系の流れ(現在の茂木派・平成研)もあると言えるが、今回は触れない。

 

   特に昨年から岸田政権となって、その運営ぶりを見ていたが、結構早いうち、そう…総選挙が終わった直後には既に失望したのである。…もう少し正確に言えば、自民党総裁選の経過を見ている段階で、岸田氏の発言に一貫性が無く、ただ総理総裁になることが目的であると見透かしていた。だから、そもそも期待はしていなかったのであるが、想像以上に酷い現実があっての失望である。

 

   この国を貶める政権であることは明らかである。

 

   このままでは日本経済をダメにする。

   国民に負担を強いることばかり求めてきた。国内に厳しい姿勢なのは何故だ。

   株式市場では、政権発足後半年も経たないうちに、東京市場の資産をなんと100兆円以上も減らした。明らかに、株式市場が岸田政権とは相性が悪いと判断している。

   電力需給危機の今夏を迎える前に、なぜ、何もしなかったのか?

 

「岸田禍」や「検討使」という言葉が生まれたのを恥と思え!

 

   一方、対外的には大盤振る舞い。特に東アジアの特定の国に対しては、大甘過ぎだ。親中派の林芳正を何故外相に起用したか?

   海外からの留学生を「我が国の宝」とほざいたのは象徴的であり、国民としてはかなりショックが大きい。

 

   我が国の宝は、日本国民である。

 

   宏池会を保守本流と言う時の「保守」とは、一体何なのか?

 

   宏池会が他の派閥と大きく違うことの一つに、外交姿勢がある。

 先の戦争に突き進んだのは、政治の過ちであったとする反省を大前提として、特に我が国が迷惑をかけた近隣諸国とは友好的な関係を築かなければならない。というのが宏池会の外交姿勢なのである。

 

   加えて、宏池会は伝統的に官僚出身者が多く構成する派閥である。

   とすれば、官僚が思う通りに国を支配しやすいような政治を行うことを「保守」と言うのであろうか?

 

   宏池会は近隣諸国と官僚の顔色を見ている。とすれば、それは国民にとっては災禍に等しい。

 

 

   我が国は「君民共治」の国。

   他の国には見られない、そのお国柄は次の通り。

 

   王は民を宝と思い、民は王を親のように思う。

   政(まつりごと)は、民が暮らしやすいようにと行われるのである。

   王が民に暮らしに思いを寄せて統治すれば役人も同様になるのは至極当然である。

 

   聖徳太子の憲法17条は、ともすれば強大な権力を行使し得る統治者や役人の行動を戒めるものであったのだ。

   それが、我が国の伝統であり、永らく続くこの国の智慧なのだ。

 

   保守しなければならないものが何か? それは自明の理であろう。

 

   宏池会が保守本流と言っている間は、我が国の政治は国民にとって不幸なものであり、この国はどんどん衰退していくと理解して間違いないのではないか。

 

   保守本流という言葉に、国民は惑わされている。騙されている。

   保守本流と言えば、安定した政権運営を行ってくれるものだと思い込まされていたと、気付く国民がどれだけいるのだろうか? いや、結構多くの国民が気付き始めたか…。

 

   と、ここまで書き進める合間に見ていたSNS上の動画のうち、この度の参議院選挙のある候補者が街頭演説で発した言葉にハッとなった。

 

『「保守」だとか「革新」や「リベラル」。

そんなものはどうでもいい!

政治が国民の暮らしを守るかどうか! 政治が国民の方を向いているかどうかだ!』

 

『普通の人が政治に関心を持ち、意欲さえあれば、参加できる。

そんな政治のプラットフォームとなる新しい政党を我々はゼロから作ったのです。』

 

 

   政治に参加する形として民主主義と言うものがあり、そのほとんどを選挙における投票で実現していると思う節が一般的にはあるのだが、この現実は何とも心許ない。

   そんな形が民主主義か? との疑念さえ浮かぶが、これに応えてくれる形かもしれない…それが、投票によるものだけではなく、政治に参加できるプラットフォームとしての政党である。これは、なかなか興味深い。インターネットの普及がそれを可能にしているようでもある。

 

   ある候補者とは、神谷宗幣

   彼のネット動画を数年前からよく拝見させていただき、我が国の歴史を見直す切っ掛けのひとつとなったのだが、この度のこの動き、よく実現させたものだと感心させられた。

 

   で、何より衝撃を受けた、「保守」「革新」「リベラル」はどうでもいいという言葉。

   大事なのは政治が国民の暮らしに思いを寄せているかどうかだが、既存の政党ではこれは難しい。

   それは、選挙に勝つために何らかの団体・組織・企業から支援を受けているからだ。だから、一般国民よりもご支援いただく皆様の利益になることが優先されがちだ。

 

   戦後の保守合同、いわゆる55年体制は、その頃大きな脅威となりつつあった社会主義勢力に対抗するために生まれたが、今や、その役割は終わりつつあるのかもしれない。

 

 ズバッと言えば、自民党でなくても良い時代が訪れようとしている。立憲などの既存野党の存在価値はもっと低い。

 

   この度の参院選で初登場の“参政党”が示す新たな政治の形は、この参院選の台風の目になりつつある。

   7月2日土曜日、酷暑の大阪・難波。

 現職総理である岸田文雄が街頭演説を行った30分ほどの聴衆は約1000名と言われているが、空きが結構目立った。その動画を見たが、拍手はまばらで聴衆のほとんどが支持者であるかどうか疑わしい様子。

 

   で、同じ日の少し後の時間、自民党とは少しだけ離れた場所で行われた参政党・松田候補の街頭演説。

   聴衆は明らかにこちらが多い。参政党のSNSによれば1200名らしい。が、人の広がりが連なっている。

   で、ここが大事!

 熱気が溢れている。

   一体感がある。自民党とは全く違うのだ。

   1時間半に及ぶ街頭演説は大いに盛り上がっていた。

   これを見た自民党関係者が驚いたとも聞いた。

 

   現職総理より新参者の政党の候補者の方が、圧倒的に人を惹き付けている。これはどういうことか?

 

 台風4号が選挙期間中に日本列島を縦断しそうだ。

 九州に上陸し、西日本から東海地方へ向かう進路予想が出ている。

 参政党の神谷宗幣候補は、先週九州を巡り各地で大聴衆に声をからしながら熱く訴えかけ、西日本を台風に先んじて踏破している。

 

 台風とシンクロしたかのようなこの動きは、まるで神武東征ではないか!

 

 この度の参議院議員選挙。

 宏池会の岸田政権が長期政権となることは避けたい。

 

 大事だから、重ねて言う。

「保守本流」という評価に惑わされてはいけない、騙されてはいけない。

 そんなことはどうでも良い。

 政治が国民の方を向くかどうか! これが大事だ。

 

 この度の参院選。本来の日本の良き伝統、統治者が民の暮らしに寄り添い、役人もそれに従う。

 そんな我が国の良さを取り戻す、我が国らしい流れを作りたい。

 

 昨年の自民党総裁選の後、ある思いがあって自民党員になった小生が敢えて言っているのだ。この思い、決して軽くはない。

八十玄八