大学時代の一般教養の

哲学の教科書に


『認識と超越』


というのがあった


あの頃は


自分が


何を分かり


何がわかっていないのかさえ・・


分かっていなかった


まぁ

私なんぞが

自分はどのくらいの能力だったかなんて


さておいてしまっても


誰も困らないし

誰にも迷惑はかからないので

こういう難しい話も

平気で書こうと思う



人類は

生物は

認識するもの


もしこの『認識』がなければ

実在さえ確かなものかどうか怪しい


認識されてこそ

実在していると言える


つまり、認識することは

存在すること

存在させること

でもあるのだ




もう一つの

『超越』

とは


認識するからこそ

実在する

宇宙や社会や

自分の周りにある全てのものを


『超越』してしまうことだ



認識は自分にとっては

自分でしかできないことなのだが


自分でした認識を

超越して生きるということは


宇宙だと思う


とらわれるな

とらわれるな

と自分に言い聞かせても

全てを認識しなければ

始まらない


鶏と卵で

とても矛盾してはいるが


認識と超越は

一つの繰り返されるサイクル


人間の思考とは

そういうサイクルのものだ




他の人を見ていて

このヒト『超越』してんのかな!?

と思うことがある


例えば


指原莉乃とか・・・


さっしー観てると

ちょっと人間離れしてるなぁ!?

と思う時があるんだよな



フォーチュンクッキーのビデオは

二百回以上は観ているけど

この子は

芸能のピークなのか?

と感じる・・・


人には

迷いや

意地があるものだけれど

同時に

誰しも、それを超越することに

憧れてもいる・・・


人間なんて鳥から見たら

飛べない愚鈍な動物で

そんな自分の所属も

『超越』して

宇宙に生きることに

憧れているんだ・・・・


そんなふうに考えれば考えるほど

超越したい・・

って思うんだ






鳥が鳴いて

静かな夕方に・・・