体育と美術はいつも5だった
他は3で😅
英語だけは時々4だった
成績などよりも
何が好きか
が長くて短い人生には
はるかに重要だ
高校の時に自分が
木が好きなことに気がついた
私の心の故郷は
母方の実家がある
滋賀県長浜市の
山奥の村だ
祖母が
近くの神社の杉の大木に
抱きついて幹を測りながら
少しずつ大きなっとるんや
って、いつも話していた
木が好き
母方の祖父は
二次大戦でフィリピン辺りの
南方の戦線で死んだらしい
祖父は
昭和天皇の小学校入学の時の
勉強机を作ったらしい
30歳で亡くなったので
家具職人になりたかったのかどうかは知らない
母似の私は
写真の祖父に似ている
私は海外にいる時
日本に帰りたい
日本に帰りたい
早く日本に帰りたい
って思う
祖父はきっと
本当に帰りたかったのだと思う
南方のジャングルで鉄砲の弾に当たり
骨も拾われずに死ぬ時
きっと
日本に帰って
あの長浜の家に
帰りたかっただろう・・・
それを想うと
祖父が可哀想でならない
この帰りたい気持ちを抱いたまま
ジャングルで死ぬなんて・・・
祖母も
終戦後、帰って来る人もいるのに
帰って来ない祖父を
待ちわびて
おとうは、帰ってこんかった
と、気丈に笑っていたけれど
二人の子供を家において
大阪まで闇市に出かけて
物資を仕入れて来た逞しい祖母
ホントはもっと祖父に甘えて生きていたかっただろうに・・・
私は
祖父の代わりに
あの田舎に帰りたい
祖父の分まで
あの田舎の家で暮らしたいんだ
木に囲まれたあの山間の村で
高校の時には
すでにもう
分かっていたことなんだ・・・