何かを発言する時
気を遣う範囲がどんどん複雑で、デリケートになってますね。
私みたいな気軽な立場の人はいいけど、人気商売や公的立場の人は、ホントにホントにホントにタイヘンね・・
いつも、同情と、少しの諦めを持って、記事を読んでいます。
学生の頃に、
generalization 概括
についての何かの文章を読んで以来、
何かを発言するする時は、必ず言い切るようにしている。
もともと、世の中に
絶対
などはなくて、必ず例外はある。
『そうとは言い切れない、そうでないこともある』とか、したり顔で言う人に疲れてからは、意に介さず、言い切るようにしている。
例外や、何かの定義に当てはまらないこともある、という事実に、いちいち言及するなんて、必要と思わない。
それが分からない人は、誰か自分の心の妨げなく話が聞ける人に教えてもらってほしい。
知らんけど
I don't know
言葉は時代を反映するものだから、こういうフレーズを何か言ったあとに付けるのは、いかにも今らしい・・・。
デジタル時代の技術によって、とんでもなく細かい配慮が必要になっているようだけど、入ってくる情報について、いつも、カンタンにはニュースを信じないようにしている。
マスコミは商売だから、マス=大多数が、喜んで食い付く情報を流し、
SNSも、やはり自分の得になるような、損にならないような、基準で発信している。
否
何かを呟くなら
自分の全てを発揮して
逃げ口上なしで
言う方がいい。
でないと、何のために、自分なのか
わからないもの
発言する時は、誰かを傷つけないか、精一杯、自分の全てを発揮して、気をつけなきゃね。
それが最大のハードル。
例えその発言が、親しい人と飲んでる時に発した言葉でも、
しまった
と思う時は、後悔の念は同じだね。
後で恥ずかしくて嫌になる。
いくつになっても・・・