西代での1ヵ月ぶりの稽古。
私の調子(愛魂合気)は非常に良くなかった。
今回は備忘録とはいえない内容。
よく聞かれることで、「愛魂による合気って、自分の心を操作するのか?」という質問があります。
これについて私は、「なんというか、操作というようなものじゃないですよ」と答えています。
むきだしの目の前の現実世界で楽しく過ごすだけだけど、何か心に気がかりなことがあるとうまくいかなくなる。
柔術の形を稽古するにあたって、精緻な技術だと失敗は少なく心がダメなときは失敗する…?
ならば愛魂合気は心の技術つまり心法、と指摘されても当然です。
私自身は特に操作したりしてないけど、それ心法と表現されても全く構いません。
個人の内面を表現するには限界があります。体感していることは、それこそ個人的なことだからです。
私の場合は何というか…そのまま受け入れるだけ。
うまくいくときは、最初から何か温かく明るくウキウキふわふわの体感です。
一点集中ではなくて全面拡大抱擁な感じ。
このときは保江先生のように、"楽しく遊びましょう~踊りましょう~愛しましょう~"となってます。
だけど何か心に気がかりなことを抱えたままだと、そこに意識が集中しちゃって何か全体的に冷っと仄暗く重い体感。
私は達人でも何でもないので、無理な時は無理でダメな時はダメ。
そんなとき、力や技でやらないことです。
それはダメだ、とお相手がお伝えしてくださっている。
もちろん補完法として柔術のいろいろな技術はあり、それらは有効です。
しかしながら個人的にはあまりお勧めしません。知ってて損はない、程度です。
なぜならこの柔術を学ぶ目的が、制圧できる術を身に付けることではないから。
いつ何時誰が相手でどうきても思うこともなく対処できるよう、日々真摯に精進を重ねられているのが武道家武術家格闘家の方々。厳しく果てしない道のその先に、名人、達人と尊称される偉人がおられる。
愛魂合気の柔術稽古をしていると、ついつい勘違いしてしまうことが多い。
自戒の意味も込めて、今回の稽古備忘録として書き記しました。
さてその解消法。
もう本当に素晴らしいわぁ~
こうなってたら何とかなりそう!
しかしこれを意図して作っても、愛魂合気掛からないんですよ…
だから、私は心法とは違うんですと説明しているのでした。
では当日私がどうやって解消したのか?
それは出席した方のみぞ知る…というか完全に意味不明だったようです。