ニーズのない記事ばかり書いてどうすんだ、と思わないでもない。

独り善がりの机上の空論は非常に見苦しいものだが、私が実際にできることについては書き記していくつもり。

誰かの役に立てば望外の喜びであるが、そもそも役に立とうと思っていないのでヨシとしよう。

 

さて前回の続き、"掴み手"について。

これについては20数年試行錯誤し技術的にこうしたら可能というやり方を考えた。

手首関節を掌でしっかり包み(骨格と力学の問題)、まるごと相手の下腹正中部に移動させる。

これは確かに効くが所詮は力技なので、体格を凌駕できるものではなかった。

完璧な"掴み手"を可能とする幸せの青い鳥よ…何処に?

 

そして冠光寺流入門後に"ロボットの手"を習ったときに閃いたのが、

ロボットの手で枠を作り体全体の垂直落下で掛ける、つまり合気テクニカル方式。

これは一気に相手に作用し効く。しかし慣れると効かなくなるのは以前と一緒。

もちろん嗜みとして知っていて損はない。だけど違う…

 

そして紆余曲折後行き着いたのが、基本つまり愛魂に戻るやり方であった。

そう、青い鳥は最初からずっといたのである。

冠光寺流柔術初伝の手

【片手捕り合気崩し】の形の中に。

 

片手の合気の逆。

持たれて合気愛魂を掛ける、の逆。

つまり、持って合気愛魂を掛けるだけ。

こんな単純なことだったけど、それまで長い間にわたって"掴み手"に拘ってたから気づけたのかもしれない。

 

では具体的にどうしているのか。

それは例によって一体となるだけ。

局所の表現をすると、掴んだときムギュッではなくフニュっとなる感触

そうなったとき、"人馬一体"というような状態が実感できると思う。

 

   

  ©集英社 

いや、これはさすがに…

こっちですね☟

     

  ©手塚プロダクション・虫プロダクション

 

 

 

さて一体となったときは、自分の両足うらと手(自分と相手)の感触でそれがわかる。

わかるんですよ、ホントにこれが。なんとなく、そんな気がする。

サファイアと愛馬オパール、これ楽しそうでしょう?なんとなく、そんな気がするでしょう?

それです。

そしてその接点を動かさないこと、それに尽きる。

 

   

それからどこを動かすのか?

それはもう【お気に召すまま】

*シェイクスピアならAs You Like It.で、

    ジャーニーならAny Way You Want It.

 

とにかく実際に体験すると面白いと思う。もっとも、掛けられたことのない私は本当のところはわからない。

 

 

 

さて究極の絶技とは?

それはこれ。

 

  

  

  

【佐川幸義先生伝大東流合気の真実 高橋賢(著)福昌堂2007】

 

佐川先生はなんと手のひらを掴んで投げられている。

激痛を与える剛の技もあるが、これは優しく掴んで投げる絶技。

先生の場合は柔らかく掴んだだけで自由を奪い崩し、さらには激しく投げ倒されたそうである。

う~ん…無理。

かの【透明な力】が出たとき、すでに働き始めて数年経ち軌道に乗り始めていた。

もう数年早く生まれていたら…しかしもし小平に走ってたとしても、おそらく深く絶望したかもしれない。

 

敷居が超~低い冠光寺流で良かった。

自ら投げられ教えて下さった保江先生、そしてノートルダムの先輩方に出逢えてよかった。

というかそうであったこそ、今こうして駄文を連ねていられるのであった。