回想録って大げさで、小生の瑣末な感想に過ぎませんので悪しからず。

読まずにスルーしましょう( `ー´)ノ

 

 

入り身投げは合気道の技。

古流柔術や大東流合気柔術にも似たような技はあるでしょうが、寡聞にして詳しくは存じ上げません。

しかしはっきりと名称付けたのは、合気道開祖植芝盛平翁と個人的には考えています。

 

その植芝翁の入り身投げ。

相手の側面について腕を当て、崩し投げます。

この1枚を見たのはもう30年以上も昔のことです。当時の私は空手と柔道のミックスみたいな風変りな競技合気道をやっていました。私たちは入り身投げを上段当て倒しと称していたのですが、自由攻防の局面で掛けるのはまず無理でありました(あくまで、私らレベルでは)。私はこの1枚を見て、「すげ~位置まで体捌いて入ってらぁ…アレ?どこ見てんだろう?相手見ずによくできるなぁ…?」と不遜にも思ったものです。若気の至り。

実際には相手の奥深い位置まで入るのではなく、相手に合気を掛けてそこまで導いて入った(*)のでしょうか。壮年時代の開祖をみるとそれがよくわかります。(*)今だからそうわかるのであります。

 

 

 

さてその入り身投げ、これが自由攻防下だと突きに合わせて正面から飛び込む形になります。

下は競技式合気道を考案した富木謙治先生の上段当て演武。

突きをかいくぐって入り、この位置から腰で跳ね上げ後ろへ倒します。メチャ早い突き(パンチ)をかいくぐって?腕を取って?入り身して?とか難度が高すぎて掛かり練習でしか無理!しかもマジ宙に飛ばされるので受身取る方もたいへんで本当に嫌でした。誰も痛い目あいたくないんで、自由攻防の乱取りではまずかからない。ですから実際の乱取りでこれがキレイに決まったのを見たときは本当に感激しました。

 

私の先輩に学生ながら師範代まで進まれた方がおられたのですが、その方が当時最強と謳われてた師範と乱取り中に決められたのです(先輩はそれまでほぼ一方的に文字通りズタボロのように投げられていた)。この一発は間近で見てたのではっきり覚えています。互いに向き合いそして何とも云えない【間】があって、そこに先輩がスルッと入ったのが見えました。極限のスピードでの動きではなく、何気ないスルスルとしか云いようがない動き。師範は全く反応できず(捌いて逃げたり堪えたりできなかった)、先輩の左腕が首に当たり上段当て倒しが見事に決まったのです。その技を師範は激賞されました。さすが〇〇〇だ!と。あのときの【間】はおそらく狙ってたのではなく、疲労困憊無我夢中で偶然に出たものだったと思います。あれから30年も経って漸くわかりました。こうしたらできる!と。

 

私は学生時代、お二人のレベルに追いつくことは叶いませんでした(当時の私は力づくとスピード)。師範は鬼籍に入り早20年、そして先輩は本業でご活躍中ですが25年もご無沙汰しています。合気道を嗜んだ(というより滅茶苦茶苦しく痛くて、でも辛いとは全然思わなかった)多くの先輩と後輩の中、私ひとりが未だに細々と続けています。どうしてもできない…でもできるようになりたい。その一心。つまりしつこい。

 

自由攻防下では体力・反射能力、つまり身も蓋もないのですが体格と才能に敵うはずがない現実があります。同じ技術なら大きい方が勝つ。同じ体格なら力が強い方が勝つ。当時のレベルではその厳然とした壁を感じて懊悩したものです。そして普通は学生生活が終わり社会に出ると忘れますが、しつこい私(そもそもキツイ稽古を辛いとは思わなかったので、Mかもしれない)はその壁を凌駕できる幻の合気を求め放浪の旅に…と大袈裟だけど時代はかの有名な【透明な力】出版前、つまり合気難民が大量に出現する前から彷徨しているただの好きモノなのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

長々とどうでもいい私の話にお付き合いいたいた方へ…m(__)m

スルスルと入るのはタイミング計ってとかではなかった。相手の顔とか目を見ずにただスッと出る。見ると逆に出られるから見てはいけない。途中で反応してスピード変えたりはしない。ずっと同じまま続ける。砂時計は止まらない。そうするとあら不思議、こちらに相手が合ってしまい相手は止まる(動けない)のであります。そう、冒頭の植芝翁でよかったのです。あの入り身投げは本当に美しいです。

この保江先生は目よりも髪型が気になるわぁ…はい、その通り。目を付けると止まって動けなくなります。