来週行われる内閣改造について、テレビや新聞は連日大きく取り上げています。

現閣僚が誰も辞任せず600日を超えるのは戦後最長とのこと。
政権が安定していることは、国民生活にとってはプラスになると思うのですが。

永田町ではそうではないんですね。
入閣適齢期(!?)の人たちがわんさといて、不満が出ているとのこと。

何なの?いったい?

「順番だと次はあなただから○○大臣ね」
って、これがいいとでも思っているのでしょうか。

組織の人事は、「タイミング」が大きな割合を占めるのだと個人的には思います。
どんなにその道に精通していても、その時の組織方針が違っていたら埋もれるだろうし。
他に優秀な人がいたら埋もれるだろうし。

本人にとれば理不尽極まりないかもしれませんが、組織全体に視点を移せば、そうならざるを得ないと思います。

それにしても、この待機組に聞きたいです。

「あなたは大臣になって、何を実現したいですか?」

ゴールが「大臣の椅子に座ること」であれば、国民にとって迷惑千万な話です。

「何を実現したいのか」

これは政治家に限らず、会社組織も同じです。
そのポジションにいるからこそできることがある。
それを自覚して行動することが、組織のみならず、自分をも強くするのだと思います。

今回の内閣改造については、少し前からいろいろな人の名前が出てきています。
安倍総理はその人反応を見ているそうです。
自分の名前が出て浮かれているか、そうでないか。
つまり、ゴールをどこにしているのか、これを見ているのではないでしょうか。

現内閣は手堅くかつ戦略的に仕事をしていると、私は感じています。
大臣になることがゴール、なんて人は入閣しないと信じたいです。
いやはや30年たって出たのがこれですか。

そう、8月5、6日の朝日新聞に掲載された「慰安婦問題を考える」

軍による強制性をずっと主張してきた朝日新聞です。
その後の研究で、強制連行を裏付けるものは何も出てこなかったことは明らかになっていますが、慰安婦問題の急先鋒の朝日はこれを黙殺してきました。

その結果、日本は国際社会から人権蹂躙といわれなき非難を受け、今もなお学校でいじめを受ける在外邦人を生んでしまいました。

今回の朝日の「言い訳」の中で、私が最も姑息だと感じたのは、軍の強制性で日本の責任を問うのが難しいと見るや、女性の人権問題にすり替えたことです。

女性の人権については、70年代アメリカでのウーマンリブ運動やフェミニズムにルーツを見ることができます。
終戦は1945年です。
十年一昔と言います。
後の価値観で論じるのは、後出しジャンケンと同じだと私は考えます。
その後出しジャンケンを朝日新聞は主張しています。

本当は主張のひとつひとつに反論があるのですが、6日の夜はあまりの怒りになかなか眠れなかったので、また眠れなくなるとまずいのでやめておきます...。


ミスをミスと認めず、話をすり替える

これは仕事の場面だけでなく、どんな場面においてもNGです。
反論が出た時点で検証し、ミスを認めていればこんな大ごとにはならなかっただろうに...。

反面教師ですね。
ずいぶん前ですが、新幹線を利用した時に撮ったものです。



時間の間隔を見てください!

「出発時刻が3分しか違わないんだったら、前の列車が出て、次の列車が入ってくるまではいったい何分なんだ?」
と素朴な疑問が浮かびまして、ストップウォッチを手にしました。

ホームに行き、前の列車の最後尾が私の前を通過すると同時にスタート。
次の列車の先頭が私の前に到達したらストップ。

1分23秒!

高速で走ってきて減速し、ホームの所定の場所にドアをピタリと合わせ、乗降客を安全に誘導し、定刻に出発する。

この運行技術に畏怖の念すら抱きます。
すごいよ!日本の新幹線!

新幹線だけでなく在来線もすごいものはすごい。
東京の山手線はラッシュ時にはほぼ2分間隔で運行。
乗降客数はものすごい数です。
よくよく考えると神技と思えてきます。


そういえば、以前読んだ本には列車の定刻運転率のことが書いてあったっけ。
日本は95%以上で、ヨーロッパとほぼ同じ。
ただ、10~15分の遅れまでは定刻運転とする国々のヨーロッパと、1分で遅れと判断する日本では同じパーセンテージでも質が全く違います。


世間は夏休み。
電車や新幹線でおでかけする方もいらっしゃるでしょう。
ぜひ列車の運行技術に思いを馳せてみてください。

定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか? (新潮文庫)/三戸 祐子

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夫がニヤニヤしながら地元紙を見せてくれました。
「すごいぞ、朝○新聞なんか足元にも及ばないくらい」

ほとんど全ページで集団的自衛権行使の批判を並べて、もうお見事としか言いようのない体裁でした。
よくもまあ反対意見ばかりを出せるものだと、半ば呆れ、半ば感心しました。(朝○新聞も同様でした)

特定秘密保護法案の時もそうでしたが、賛成・中立意見を扱わず、反対意見だけを取り上げる姿勢はもはや報道機関の体をなしていません。

テレビでは「集団的自衛権のキホン」みたいなことをアナウンサーが説明していたのですが、「自衛権には個別的と集団的の2つがあります」と切り出す。

...そこからウソやないかい!

自衛権は自衛権であって、個別も集団もありません。
主権国家には当然ある権利(自然権)です。
このことは国連憲章に謳われています。

お願いですから、スタートからウソを伝えるのはやめていただけませんかね?
家で子ども達に説明するのがややこしくなるので。

テレビの前でひとり文句言っても仕方ないので、娘と息子にはこう説明しました。
「集団的自衛権を行使しないということは、あなたが友達といたところに、その友達が誰かから殴られました。それを見てあなたは何も言わず、そのままその場から離れました、という状態です。」

「いやいやいやいや、そんな卑怯なことしたらあかんやろ!」
と二人はほとんどユニゾンで反応。

「じゃあ、もうひとつ。現在日本人は世界各国にいます。中には難民キャンプで働く民間人もいます。その日本人のいる難民キャンプが攻撃されても、現行法では自衛隊は助けることができません。」

「え?日本人が犠牲になっているのに?何でできないの?おかしいやん!」

そうなんです。
現行法では対応できないから、現状に合うように変えようとしているだけなんです。
刑法や民法の変遷から分かるように、法律とは現状に合わせて変えていくものです。
人間の活動を法律が支えるのが法治国家であって、法律が人間よりも上位にあるものではないはずです。

テレビ・新聞では「徴兵制度の復活」なんて煽るのもありましたが、それに絡めて二人にクイズを出しました。

「ハイ、ここで問題です。自衛隊には陸海空がありますね。それぞれ戦車、イージス艦、戦闘機をはじめとした様々な装備があります。これらは予備知識のない人が扱えるものでしょうか?」

「いや、ムリやし。自衛隊の人は扱うためにたくさん訓練してるんでしょ。」

正解。
現在の装備はハイテク化しており、素人には扱えません。
ゆえに志願制を崩すことはないと言えます。

おまけに娘が鋭いことを言いました。
「防大の競争率は40倍(女子)でしょ?徴兵制になるのなら、そんな高い競争率にならんわ。」

理屈を考えれば答えはすぐわかることなのに、どうしてメディアは煽るんでしょうかねぇ。
頭の中は70年前で思考停止しているのでしょうか。

それでも、反対している人の理屈を自分なりに考えてみました。
次のような前提ならあり得るかもしれない。
・世界に出る日本人や日本企業はごくわずか
・日本の周辺諸国の軍事費は減少傾向
・日本の周辺諸国は日本に対して、みな友好的
・アメリカが全世界に睨みをきかせている
・原油などのエネルギー資源は国内で賄える
・食糧も全て国内で賄える

...ごめんなさい。私には反対する理由が見つかりませんでした。

「日本は平和。このままでいい。」
世間の声ということで、朝○新聞に載っていた反対デモに参加していた人のコメントです。
折も折、日朝協議が始まりました。
自分の意思に反して拉致された日本人が大勢いることをお忘れか?
平成に入っても拉致被害があるとみなされています。
(平成10年まで確認済み。ほんの16年前ですよ、他人事にできる理由がありません)
被害者家族が背負わなくてもいい重荷をずっと背負っている現状を平和だと言うのでしょうか。

この国はこの手で守る
ごく当たり前のことが表に出るようになって、ようやく普通の国に近づけた気がします。

一見難しそうな話題も、分解して考えれば子どもも理解できます。
自分なりに考えて、自分の答えを見つけることが大切なのだと思います。
改めて、世界との差を感じたサッカーW杯です。

結果についてはいろいろあるでしょうが、それでもスポーツの力は今の日本に必要だと思います。
サッカーに限らず様々な競技です。

日本は物質的に恵まれ、万人受けするヒット商品は今後も出にくいでしょう。
そうなると、モノが売れない→企業の利益が減る→賃金が上がらない、ことによっていわゆる不景気に陥ってしまう恐れがあります。

今回のW杯では日本のモノづくりがそこかしこにあります。
微妙なゴール判定をリアルタイムで審判に知らせる7台のカメラを用いたシステム
ベンチで使われている特殊ガラス、などです。

オリンピックなどスポーツのビッグイベントは各分野の技術進歩が伴います。
映像に関すること
ウェア・シューズなど用具や器具の素材に関すること
リハビリなど医療に関すること、などなど。

そして、応援する人が増えるということは
テレビを見ながらピザなど宅配利用者が増える
見に行った後で外食をすることで飲食店の売上が増える

触発されて子どものスポーツ教室の需要が増える
(よって親のみならず祖父母の財布のひもも緩む)
子どもが元気だと社会全体に活力が生まれる

このように経済的側面だけでもメリットは大きいです。

何より応援で国内が盛り上がるので気持ちが前向きになります。
結果が良ければ皆親戚のように喜ぶし、たとえ負けても悪しざまにいう人は少ない、この一体感が大切なのではないでしょうか。
(敗因をきちんと総括することは必要です)

2020年の東京オリンピックをはじめとするビッグイベントに向けて、各協会には育成・強化を有効に進めていただきたいと願っています。

安倍総理が骨太方針を発表しましたが、スポーツの力もぜひ!
娘が沖縄への修学旅行に出発する前、学校では何度か関連した学習があったようです。

沖縄に関する歴史や風土などの内容で、グループごとに議論するという内容。
いくつかのトピックスがあって、その中の一つが「沖縄に基地は必要か?」というもの。
(米軍なのか、自衛隊なのかどれを指しているのかは不明ですが)

帰宅してその話題になるなり娘は、「必要って立場の人が少なかってん!」とプリプリ。
クラスの4分の1もなかったそうです。

なぜその立場をとるのか理由を述べる際、「必要ではない」の立場の人は、
「なんかこわいから」
「戦争はいけないから」と。
(娘はそれを聞きながら、「私がこんな理由をあげたら『なぜこわいと思うの?』『具体的には?』とむちゃくちゃ突っ込むやろなぁ」と思ったそうな。)

必要派の娘の理由は、
「地理的になくすことは考えられない。尖閣で何か起こった時に九州からは遠すぎる。」

その話を聞きながら、多感な中学生が少数派の立場から、感情的にならずにはっきり言ったその姿勢に天晴れと感心しました。
私がその立場なら言えたかどうか...。

この学習では白黒つけるのではなく、議論するのが目的であったようです。
物足りなさも感じますが、変に一方の意見に誘導されるよりよかったと思います。

また、別の日は「沖縄戦のドラマを見た」と。
へ?ドラマ?記録映画や、せめてドキュメンタリーじゃなくて?
その時点で、客観性や公平性への期待は吹っ飛びました。

そのワンシーンに娘は疑問を持ったようです。
部隊が山中を進んでいた時、負傷した敵兵を見つけ、隊長が十代の兵士に殺すよう命じたところ、その兵士が拒絶したために隊長から銃殺された、という場面。

娘曰く、「十代の人が戦場に投入されたのは、終戦近くって学校で教わった。それまでは二十代以上だったけど、人数が少なくなったからだって。兵士の数が少ないってことは戦力が低下しているってことやん。貴重な戦力となる味方を簡単に殺すかなぁ。」

いやはや娘の指摘ごもっとも。
私も同じように感じるでしょう。
ドラマは作り手の創作が多く占めるので、学習には適切ではないと思うのですが...。

でも、先生方に深い(イデオロギー的な)意図があったとは考えにくい。
いうなれば、自分の専門教科以外のことなので、詳しい知識を持っていると考えるのは少々難しい気がします。
なんせ先生は忙しすぎますから。
部活や生徒のトラブル対処やフォロー、それに保護者への対応等々。
よほど興味がないと現代史まで手が回らないと思います。

修学旅行の事前学習にするには深すぎる分野でもあります。
けれど、娘にとっては「なぜ自分はそう考えるのか」、「ノンフィクションに見せかけたフィクションがある」と実感できたよい機会だったかもしれません。
娘が中3になってすぐ修学旅行がありました。
行き先は沖縄

修学旅行に先立ち、中2の頃から沖縄に関する学習が始まっていました。

行き先が決定した時から、「修学旅行前に靖国神社へ参拝しよう」と私は決めていました。
というのも、沖縄に関しては、先の戦争がフィルターを通して語られることが多いと感じていたからです。
せっかく沖縄を訪れるからには、娘には判断材料をできるだけ多く示してあげたいと考えていました。

春休み中も部活などで忙しいので、3月最後の日曜日に決行しました。

あいにくの強い風と雨でしたが、桜咲く靖国神社は厳かで美しかったです。
桜と靖国神社
外国の人も多く訪れていました。

参拝の後は遊就館へ。

ここには古代からの日本の歴史に関するたくさんの展示があります。
平安時代から幕末は、娘も「あ、ここ学校で習ったわ」と言っていましたが、それ以外の時代は「知らんかったわ...」と感想をポツリ。

日清戦争あたりからは、「これどういうこと?」と解説を求めるようになり、「ハル・ノート」前後からは、「こんなん学校では触れんかったわ。教科書にもただ『日本が戦争を仕掛けた』的なことしかなかった」と、連れてきた甲斐があったと思えるような感想を口にしていました。

そして、沖縄戦のことが展示されているコーナーでは、じーっと一つひとつ見ていました。
「前にお母さんが『沖縄の人たちががんばってくれたから、本土への上陸がくい止められた』って言ってた意味が分かったわ」と。

祀られている英霊の肖像画や写真がずらーーーっと並んでいる場所では、ご遺族と思しき方々がその写真を見つめていました。
おそらく曾孫であろう小さな子を連れた家族もいました。
そのような姿を見ると、決して「昔あったこと」と他人事では終わらせられないのだと改めて思いました。

結局、3時間ほどいたのですが(途中、10分程度の休憩を一度とったのみ)、全てを見ることはできませんでした。
それでも、娘にとってはきっと何か考えるきっかけになったはず、と少し期待しながら靖国神社を後にしました。


「お母さん、ここは一日では足りひんな、泊まりでないと厳しいわ。」

そう、今回は強行軍でした。
朝7時前の新幹線に乗り、9時過ぎに東京駅に着いたその足で電車を乗り継ぎ靖国神社へ向かい、その辺のうどん屋さんで遅めの昼食をとり、「スカイツリーと浅草」という娘のリクエストで銀座線に乗って浅草へ。
「別に『行きたい!』とかじゃないねん。ただ『見たい』だけ。『テレビと同じ!』っていうのを味わいたい。」
と何ともビミョーなリクエストをする娘です。

浅草駅の交差点で、「ほれ、あれがスカイツリー」

雨のスカイツリー
「高さが全然感じられへん天気やなぁ」と娘。

てくてく1ブロック歩いて、「ほい、ここが浅草寺」

浅草寺
「おぉっ、テレビで見たことある!」

東京駅に向かうついでに大手町で降りて皇居へ。
「広いなぁ」
「京都には御所があるけど、つくりが根本的に違うからね」
とそんな会話をしながら東京駅に向かい、17時頃の新幹線に乗って、無事帰宅。
出張並みのハードスケジュールだったような。

帰ると、息子が「僕も連れて行ってな」と可愛いことを言ってくれる。
「よし、中学生になったら行こうね」と約束する横から、娘が「今度は泊りがけにしような」

うん、そうする。

最近、思い出したようにピアノを弾いています。

サザンオールスターズの「蛍」
そう、「永遠の0」で流れていた曲です。
弾くたびに映画を思い出し、前奏からうるうるします。
...我ながら変だと思います。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調
浅田真央選手がソチオリンピックで滑ったFSの曲です。
ソチのあの感動をここに!!
と意気込んで鍵盤に向かったのですが...

...和音ができない
どうやっても指が届かないよぉ
2小節目で返り討ちにあいました。


思い出した。

私、手が小さいんだった。
8度(オクターブ)がギリだった。
「乙女の祈り」が不協和音になってしまうんだった。

ラフマニノフは遠かった。
「無常」
読み終えた私の感想です。

文中にご遺族が「(亡くなったのは)運命だから」と口にされています。

2011年3月11日、私はいつも通りに過ごしていました。
翌日も変わらず過ごすことができました。
-運命-
そんな私なんかが軽々しく使ってはいけない言葉です。

あの時、生と死の間(はざま)で各人がとった行動
大災害の中、新聞を出すということ
それぞれの立場で、それぞれの想いを抱える人々

ノンフィクションならではの重量感が襲ってきます。

作者あとがきの中に、この本を読む価値が記されています。
「2011年3月11日。その時、記者たちは海に向かった。
 ある者は命を落とし、そして、ある者は生き残った。明暗分かれた男たちには、負い目とトラウマが残った。
 しかし、そこには、石にかじりついても「真実」を報道しよう、そして「時代」を切り取ろうとする記者たちの執念と責任感がたしかにあった。」

ともすれば、私たちは映像や文字によって「事象」として捉えてしまいがちですが、そこには「人間」がいるんだということを忘れてはいけないんです。

記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞 (ノンフィクション単行本)/門田 隆将

¥1,728
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娘の修学旅行のお土産は、沖縄○○ムスと琉○新報。
(前もってリクエストしてたんです)
どちらも沖縄では有力紙です。

あの朝○新聞が可愛く思えるくらいの内容だと噂に聞いていたので、現物はどんなものかと前々から興味を持っていたのです。
(ネットでは主要記事しか目にしませんしね)

紙面はインパクトあります。
タイミングとしては、集団的自衛権や辺野古移設が大きなニュースです。

まず驚いたのが、一方の意見しか載っていないこと。
「中立」とは程遠く、他紙であるようなアリバイ作り程度のもう一方の意見すらもありません。

次に驚いたのが、社説すらも感情的なこと。
いや、感情を盛り込んでもいいんです。社説はその新聞社の顔なんだから。
でも、言葉はもう少し選びようがあるのではないかしら、と思ってしまいました。

この2紙とは反対の意見も沖縄には確かに存在しているのですが、読む限りでは、そのような姿を感じることもなく、沖縄の総意だと錯覚してしまいそうです。

わが国では思想・信条の自由が保障されているので、どんな新聞を読むかは個人の判断です。

ですが、より客観的なことをしりたいのなら、当たり前ですが、複数の新聞とネットを上手に活用する必要があります。



おまけ

もちろん地元ネタは盛りだくさんで興味深かったです。
見出しやリード文に沖縄の方言が書かれていても、もちろんカッコ書きの標準語があるわけではないので、「あ、これは『理解できる』が前提なのね」と妙に納得したり・・・。
おくやみが連日1ページ分あるので、「こんなに多いの!?」とびっくりしたのですが、よくよく見ると、1件ごとに喪主の他に子供たちや、親戚の名前がだーっと書いてあるのが普通なんですね。
「友人代表」の名前もあって、更にびっくり!
1件当たりのスペースが大きいんです。
こちら(京都)では喪主の名前くらいしかないから、1ページというインパクトは強烈でした。

旅行先で地元紙の地域欄などに目を通すのも、風習を垣間見ることができるかも、と思いました。