イタリアの美術キュレーターが書いた、ミケランジェロの生涯。
彫刻家として、生涯、巨大な石に向き合い、彫刻作品に挑み続けたアツい姿が印象に残りました。
わたしにとってミケランジェロといえば、宇都宮の大谷街道ぞいの「ダビデ像」
男性の巨大な裸の彫刻!
子どものころ、家族の車に乗って通るたびに、恥ずかしい…
視線をそらしていた思い出があります。
その、ダビデ像の制作にかけるミケランジェロの情熱はもちろん、ポーズや表情の工夫などが細かく描写されていました。
「戦士の感情を古代の模範的なバランスと穏やかさの下に隠すようなことはしたくなかった」
さすが、著者がキュレーター、多くの部分はミケランジェロの残した手紙などから引用しているそう。
「彫刻は自分の身体と大理石の塊との戦いだと考えていた。本能的に石を攻撃し、石はその攻撃にしたがっていた。
…だが、彫刻家の役割は他にある。彫像はすでに石塊の中にある。それをノミで引き出し、つかみとらなければならない。叡智の教えに従うことでしかできないのだ。」
スマホの検索で画像もみられるので、読みながら、作品をみながらストーリーをたのしみました。
有名なシスティーナ礼拝堂の、天井画と壁面のフレスコ画、「最後の審判」
じつは先日、友人とバスツアーで大塚国際美術館に行き、原寸大の複製を見たところです。
(…広く大きな空間!見上げてばかりで、首が痛くなった~。)
小説を読んだのは帰ってきてからですが、絵にこめられた意味、思いがよくわかりました。
「このフレスコ画で表現したいのは、キリストの審判の残酷さではない。…
人間の身体の美しさをありとあらゆる形で見せたいのだ。地獄に落ちた者たちの魂には、最良の肉体を与えたつもりだ。」
ミケランジェロは若き頃、死体解剖に夢中になりスケッチをしたそう。
人間の体そのものへのあくなき探究心…
女性たちも筋肉質で力強く描いていたのは、人間の身体の美をそのようにとらえていたからでしょうね。
当時の歴史的な背景も描かれます。
ルネサンスの頃の芸術家は、パトロンのメディチ家や教皇の権力闘争、フランスの侵攻など政治状況によって振り回されて命の危険がおよぶほど。
ライバル画家、父親や友人、愛した人、、たくさんの人のなかで作品が残されていきます。
背景がわかると、作品を見る目がかわります。
好奇心が満たされる読書になりました。