(第13回)菜の花咲く浦戸諸島を巡ろう!(結果報告) | 塩竈大好き倶楽部(案内人)

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「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」の実現を目指している宮城県塩竈市内の「塩竈大好き倶楽部(案内人)」のブログです。志波神社鹽竈神社及びその門前町(鳥居前町),浦戸諸島(桂島,野々島,寒風沢島,朴島)の紹介をします。

 4月20日(土),「(第13回)菜の花咲く浦戸諸島を巡ろう!」が開催されました。写真で報告します(当日はガイドに集中していましたので,写真撮影はほとんどできていません。大部分の写真は4月17日(水)の下見の際に撮影したものです。御了承願います。)。仙台市から2人の方に参加していただきました。また,朴島を巡った後朴島桟橋で知り合った4人の方(宮城県塩竈市,宮城郡利府町など)も御案内しました。

 なお,昨年もそうだったのですが,今年も強風の影響で野々島桟橋−石浜桟橋間の無料渡船が運航中止となってしまったため,コースをかなり変更しました。

 

 マリンゲート塩釜(塩釜港旅客ターミナル,塩竈市港町一丁目)です。午前9時30分発の塩竈市営汽船に乗ります。朴島までの運賃は630円です。

 

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 午前10時24分頃朴島桟橋に到着しました。所要時間は約54分です。

 

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 神明社(塩竈市浦戸野々島字朴島鱈)です。主祭神は天照皇大神,豊受姫神です。

 

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 「朴島の菜の花畑」として「浦戸諸島 島歩きマップ」にも載っている浦戸諸島で最も有名な菜の花畑です。正に満開です。例年4月中旬から下旬に見頃になります。黄色のジュータンとタブノキ(タブ,椨)の緑が美しく,畑からはのどかな海が見渡せます。この菜の花は「仙台白菜」の採種用として栽培されているものです。

 

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 弘安10年(1287年)銘供養碑(「弘安の碑」)がある場所へ向かいます。こちらにも菜の花畑があります。

 

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 「弘安の碑」です。梵字の碑文が刻まれているのですが,イエス・キリストを抱いたマリアらしきものが描かれているとの説があります。鎌倉時代に隠れキリシタン(切支丹)はいないはずですから,これがマリア像であれば,江戸時代に隠れキリシタンが「弘安の碑」を利用して描いたものと考えられます。

 

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 朴島桟橋から寒風沢島桟橋へは渡船に乗ります。電話をかければ迎えに来てくれます。塩竈市の道路扱いですので,運賃は無料です。今日の担当は顔なじみの船長・S氏です。S氏から強風の影響で野々島桟橋−石浜桟橋間の無料渡船が運航中止となったことを教えていただきました。ここで4人の方と知り合いました。

 

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 寒風沢島桟橋に到着しました。

 

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 「寒風沢港の歴史」です。特に「長南和泉守菅原道本(長南道本)」という人物が重要です。

 

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 鹽竈ザクラです。

 

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 菜の花畑です。令和3年8月に宇宙から帰還した種から育てた白菜を栽培しています。「浦戸宇宙白菜」と言うそうです。

 

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 造艦の碑です。この碑(縦2.3m,横1.2m)は,国防上の必要から仙台藩の命により三浦乾也(けんや)が東北で初めて西洋型軍艦(2本マストのトップスルスケーナー型汽帆船。長さ33m,幅7.6m,高さ5.8m,大砲9門)を建造したことを記念して,その門人たちにより建立されたものです。この軍艦「開成丸」建造に当たり,寒風沢に造船所を造り,小野寺鳳谷の監督の下安政3年(1856年)8月26日着工,翌安政4年(1857年)7月14日第13代藩主・伊達慶邦臨席の下進水し,その後艤装工事を経て11月完成,同年12月から正月明けにかけて寒風沢-気仙沼間の試験航海に成功したとのことです。「島歩きマップ」には「日本初の西洋式軍艦」とありますが,幕府(徳川家定)は鳳凰丸(嘉永7年(1854年)5月10日),鹿児島藩(「薩摩藩」とも。島津斉彬)は昇平丸(嘉永7年(1854年)12月12日)を完成させています(水戸藩(徳川斉昭)も仙台藩よりも早いようです。)ので,「東北初」でしょう。しかし,開成丸の性能では既に時代遅れ(軍艦としての速力不足)で,輸送船に改造してもその構造が適当でなかった関係もあって,進水後2年にしてその姿を消すことになってしまいました。造艦の碑は,昭和62年2月1日塩竈市有形文化財に指定されています。

 

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 「世界一周し故郷寒風沢に帰還した漂流民 津太夫と左平」の案内板です。「数奇な運命に翻弄され,日本人として初めて世界一周してしまった男たちの長い長い12年の旅路」(寛政5年11月27日(1793年12月29日)江戸を目指し石巻出港~文化3年(1806年)2月下旬帰郷)は,大槻玄沢・志村弘強の「環海異聞」全15巻にまとめられています。

 

浦戸(23)

 

 日和山展望台から西側の海を望みます。日和山は標高22.2mとのことです。

 

浦戸(26)

 

 天保12年(1841年)8月造立の十二支方角石です。この方角石は,十二支が刻まれた円柱形をなし,直径45cm,高さ82.5cmと他所に類を見ない堂々としたものです。奉献者が一般の船頭,廻船問屋とは異なり,幕府から差遣された役人(木村又兵衛正信)であることも珍しいようです。昭和62年2月1日塩竈市有形文化財に指定されています。

 

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 (参考)寒風沢桟橋近くにある十二支方角石の複製です。

 

浦戸(25)

 

 しばり地蔵です。寒風沢港が繁栄していた頃島内には遊郭があり,船出しようとする男達を引き止めようと,お地蔵様を荒縄で縛り逆風祈願したと伝わっています。ただし,地蔵菩薩ではなく,毘廬舎那仏(毘廬遮那仏)のようです。

 

浦戸(27)

 

 砲台場跡です。慶應3年(1867年),仙台藩は寒風沢港を海防上最も重要な地点として寒風沢-石浜水道がよく俯瞰できるこの地に砲台を築造しました。「加農砲」(カノン砲,Canon砲)3門を据え,弾薬庫,見張所を備え,また沖砲台として船入島には鉄の大巨砲2門を置き,別に石浜崎黒森に1門を据え,仙台藩から大砲方士卒(たいほうかた・しそつ)50人余りが霊亀山松林寺に駐屯して警備に当たったとのことです。

 

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 砲台場跡から西側の海を望みます。

 

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 向かって右から大根神社,船入島弁財天大神社,船入島龍神大権現社です。

 

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 この後昼食休憩です(写真はありません。)。

 

 集落のはずれに佇む六地蔵です。古代インドでは生類は六道(天道(天上道とも)・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)を輪廻転生する(つまり,永遠に死なない。)とされ,これは苦痛であると捉えていました。釈迦(ガウタマ・シッダールタ)はこの世のことはすべて無常と悟ることによって,この輪廻の輪から抜け出る(解脱する)ことができると考えました。解脱すると仏陀(如来)となりますが,一歩手前の存在が菩薩です。お地蔵さまも菩薩です(地蔵菩薩)。六地蔵は,六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものであると言われています。私は,六地蔵の六道への配当(どれが天道の地蔵で,……どれが地獄道の地蔵なのか,ということ)を考えて,これまで印相(いんぞう,手の指の形)又は持物(じもつ,手に持つ物)を観察して来たのですが,まったくわかりません。諦めました(苦笑)。

 

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 霊亀山松林寺(臨済宗妙心寺派,塩竈市浦戸寒風沢字愛宕)です。

 

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 化粧地蔵です。白い粉を塗って祈願すると,美しい子が授かると言われているそうです。

 

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 本堂です。伊達氏の家紋・竪三引両(たてみつひきりょう)が見えます。松林寺が伊達氏所縁(ゆかり)の寺院であることが判ります。竪三引両は,伊達氏第1世・朝宗が文治5年(1189年)源頼朝から拝領した幕紋二引両(まくもんふたつひきりょう)を後代竪三引両に改め輪郭に入れ図案化し定紋としたもので,伊達氏の家紋では最も古いものです(伊達家伯記念會「伊達家の家紋」から引用)。

 

浦戸(35)

 

 延命地蔵です。この石仏は元観音堂参道にあったものを明治37年聖観世音菩薩像(行基作)と同時にこの地に遷座されたものであるとのことです。この地蔵像は享保年間(1716年~36年)江戸で作られ,千石船によってこの地へ搬送されましたが,この船は順風に恵まれ1日1夜で到着したと言われ,そのことから一夜地蔵の別名もあるそうです。

 

浦戸(36)

 

 松洞山寒澤寺(真言宗,塩竈市浦戸寒風沢字愛宕)です。江戸時代鹽竈神社(塩竈市一森山)の別当寺であった法蓮寺(金光明山法蓮華院法蓮密寺)の末寺であったとのことです。鳥居があるので,神社かなと思ってしまいます。本尊は不動明王です。寒澤寺は明治時代初期に廃寺になっているはずです(法蓮寺は明治3年廃寺)が,現在も島民によって護られているようです。

 

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 さて,「百万遍供養碑」は「縦140cm,横85cm」とされています(平成22年3月宮城県教育委員会「特別名勝松島保存計画」,塩竈市HPなど多数)が,どれでしょうか?「鎌倉時代製」ともあります(「浦戸諸島〔資源目録〕」,「文化の港 シオーモ」など)。不思議なことですが,「浦戸諸島 島歩きマップ」に記載されている「寒澤寺百万遍供養碑」がどれか,はっきりしません。私は「百万遍供養碑」は写真中央やや左の光明真言供養碑であると考えていますが,「元禄十二」年(1700年),「長南喜右衛門五十六歳敬建石」とあるそうです。何故「元禄12年(1700年)建石」ではなく,「鎌倉時代製」なのかは不明です。

 

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 寒風沢桟橋から野々島学校下桟橋へは無料渡船に乗ります。

 

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 野々島学校下桟橋に到着しました。

 

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 宇内浜(うねはま)です。「ゆるりと過ごす 大人の島じかん」,爽やかな晴れの日は最高です。

 

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 野々島共葬墓地に夜泣き地蔵,六地蔵があります。向かって一番右が夜泣き地蔵,一つ置いて六地蔵です。夜泣き地蔵は子供の夜泣きが治ると言い伝えられ,各家々ではこのお地蔵様にお願いしたそうです。

 

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 椿のトンネルです。

 

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 菜の花畑です。東日本大震災年から仙台大学附属明成高等学校食文化創志科の生徒たちが白菜の採種文化の保存活動を行っているとのことです。

 

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 浦戸諸島開発総合センター(ブルーセンター,塩竈市浦戸野々島字河岸)です。「研修目的の宿泊や貸室も行っている。市役所支所や診療所,コミュニティスペースを兼ねる。」(塩竈市観光振興ビジョン推進委員会「島歩きマップ【補足版】 浦戸諸島の歩き方」)とのことです。

 

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 待合所兼コミュニティスペース「うらとラウンジ~菜の花~」です。

 

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 野々島桟橋です。マリンゲート塩釜行き午後2時23分発の塩竈市営汽船に乗ります。マリンゲート塩釜までの運賃は580円です。

 

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 午後2時54分頃マリンゲート塩釜に到着しました。所要時間は約31分です。

 

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 浦戸諸島には1年間に5,6回は行っていますが,島歩きをしながら,自然,歴史,文化に触れることができ,毎回感動します。読者の皆さんも浦戸諸島を巡ってみませんか。

 

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【参考】残念ながら桂島を巡ることはできませんでしたが,下見の際の写真の一部及び桂島海水浴場の動画を掲載しておきます。

 

 石濱神社(塩竈市浦戸石浜字山神)です。主祭神は花園天皇で,宮城県神社庁によると由緒は「花園天皇の文安(1444年~9年)年中邑民等の奉祀するところにして山神と称した。元津山森東北砂木と呼ぶ岬に祀られていた。後今の産土神森に移祀したと伝えられる。」とのことです。

 

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 小さいですが,菜の花畑があります。

 

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 「浦戸諸島に海と花のコラボした美しい風景を作りたぁ〜い‼️ 」と「”小さなボランティア”をしながら島歩きする任意団体」・浦戸諸島「海と花の物語」が管理する花壇(桂島ガーデン)です。チューリップなどが咲き誇っています。詳しくは,浦戸諸島 「海と花の物語」 (facebook.com)を御覧ください。

 

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 桂島海水浴場(塩竈市浦戸桂島字庵寺)です。

 

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