(第3回)歴史探訪~夏の終わりの浦戸で神社・仏閣・地蔵を巡る~(結果報告・その2) | 塩竈大好き倶楽部(案内人)

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「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」の実現を目指している宮城県塩竈市内の「塩竈大好き倶楽部(案内人)」のブログです。志波神社鹽竈神社及びその門前町(鳥居前町),浦戸諸島(桂島,野々島,寒風沢島,朴島)の紹介をします。

 8月27日(土),「(第3回)歴史探訪~夏の終わりの浦戸で神社・仏閣・地蔵を巡る~」が開催されました。写真で報告します(当日はガイドに集中していましたので,写真撮影はほとんどできていません。大部分の写真は8月19日(金)の下見の際に撮影したものです。晴天であればこのような写真が撮れますということで,御了承願います。)。山形県から2人,宮城県から2人,合計4人の方に参加していただきました。今日は,「その2」です。

 

 田圃(たんぼ)です。天水のみで浦戸米が作られています。株式会社佐浦(宮城県塩竈市本町)では,寒風沢産ササニシキ米を使用して醸した「純米吟醸 浦霞「寒風沢」」を販売しています。

 

第3回(35)

 

 六地蔵を目指します。

 

第3回(36)

 

 六地蔵です。古代インドでは生類は六道(天道(天上道とも)・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)を輪廻転生する(つまり,永遠に死なない。)とされ,これは苦痛であると捉えていました。釈迦(ガーダマ・シッダールタ)はこの世のことはすべて無常と悟ることによって,この輪廻の輪から抜け出る(解脱する)ことができると考えました。解脱すると仏陀(如来)となりますが,一歩手前の存在が菩薩です。お地蔵さまも菩薩です(地蔵菩薩)。六地蔵は,六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものであると言われています。私は,六地蔵の六道への配当(どれが天道の地蔵で,……どれが地獄道の地蔵なのか,ということ)を考えて,これまで印相(いんぞう,手の指の形)又は持物(じもつ,手に持つ物)を観察して来たのですが,ほとんど諦めました(苦笑)。六道への配当は,寺院が自らの寺院内にある六地蔵について説明しているものでもない限り,無理なのかも知れません。自らの寺院内にある六地蔵についてさえ,六道への配当ができない寺院は珍しくないそうです。寒風沢島,野々島の六地蔵について,詳しい方がいらっしゃれば,御教示いただければ幸いです。

 

第3回(37)

 

 六地蔵の向かって左側は,如意輪観音(にょいりんかんのん,観世音菩薩の変化身(へんげしん)の一つ)のようです。

 

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 霊亀山松林寺(臨済宗妙心寺派,塩竈市浦戸寒風沢字愛宕)です。

 

第3回(39)

 

第3回(41)

 

 坂本玄順先生墓です。寛政2年(1790年)寒澤寺に寺子屋が置かれ,玄順が指導したとのことです。

 

第3回(42)

 

 化粧地蔵です。案内板に「作者や作られた年代とも不明であるが,古くからこの地蔵様のお顔に白粉を塗って祈願すると美しい子宝が授かると言われており,今日なお何時も化粧が絶えない。」とあります。

 

第3回(43)

 

 本堂です。

 

第3回(44)

 

 六地蔵です。

 

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 延命地蔵です。この石仏は元観音堂参道にあったものを明治37年聖観世音菩薩像(行基作)と同時にこの地に遷座されたものであるとのことです。この地蔵像は享保年間(1716年~36年)江戸で作られ,千石船によってこの地へ搬送されましたが,この船は順風に恵まれ1日1夜で到着したと言われ,そのことから一夜地蔵の別名もあるそうです。

 

第3回(46)

 

 松洞山寒澤寺(真言宗,塩竈市浦戸寒風沢字愛宕)です。江戸時代鹽竈神社(塩竈市一森山)の別当寺であった法蓮寺(金光明山法蓮華院法蓮密寺)の末寺であったとのことです。鳥居があるので,神社かなと思ってしまいます。

 

第3回(47)

 

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 江戸時代寒風沢は御城米の積出し港として賑わい,寒澤寺に代々名徳の僧が住み,海上安全その他諸々の祈願が行われていたとのことです。百万遍の供養碑もこれの証と言われています。現在でも信仰深い島民によって百万遍の念仏が行われているそうです(「文化の港 シオーモ」から)。さて,「百万遍供養碑」は「縦140cm,横85cm」とされています(平成22年3月宮城県教育委員会「特別名勝松島保存計画」,塩竈市HPなど多数)が,どれでしょうか?「鎌倉時代製」ともあります(「浦戸諸島〔資源目録〕」,「文化の港 シオーモ」など)。不思議なことですが,「浦戸諸島 島歩きマップ」に記載されている「寒澤寺百万遍供養碑」がどれか,はっきりしません。

 

第3回(49)

 

 私は「百万遍供養碑」は写真中央の光明真言供養碑であると考えていますが,「元禄十二」年(1700年),「長南喜右衛門五十六歳敬建石」とあるそうです。何故「元禄12年(1700年)建石」ではなく,「鎌倉時代製」なのかは不明です。

 

第3回(50)

 

 歴代の住持職の墓碑などです。

 

第3回(50)

 

 寒風沢桟橋から野々島学校下へ渡船に乗ります。電話をかければ迎えに来てくれます。塩竈市の道路扱いですので,運賃は無料です。ただし,この日は何故かなかなか電話がつながらず(電話番号の間違いでないことは確認済み),かなり時間を無駄にしてしまいました。このような経験は初めてです。

 

第3回(51)

 

 野々島学校下に到着しました。

 

第3回(52)

 

 夜泣き地蔵を目指します。

 

第3回(53)

 

 夜泣き地蔵の前に,宇内浜に寄ります。天気が良ければ,素晴らしい「ゆるりと過ごす大人の島じかん」を過ごすことができます。

 

第3回(54)

 

 

 野々島共葬墓地です。

 

第3回(55)

 

 入口にある夜泣き地蔵・六地蔵の説明板です。倒れてしまっています。

 

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 夜泣き地蔵・六地蔵です。夜泣き地蔵は子供の夜泣きが治ると言い伝えられ,各家々ではこのお地蔵様にお願いしたそうです。

 

第3回(57)

 

 ハイキングコースを通ります。

 

第3回(58)

 

 椿のトンネルです。

 

第3回(59)

 

 野々島には野仏や祠が点在しているのですが,これは庚申塔です。

 

第3回(60)

 

 これらは,良く分かりません。向かって右から(1)「文化十一年」(1814年)の「南無阿弥陀佛」と刻された碑,(2)「元文(げんぶん)三年」(1738年)の地蔵菩薩(合掌しています。「信女」とありますので,亡くなった女性の供養のためのものでしょう。),(3)香炉を持つ地蔵菩薩,(5)「南無阿弥陀佛」と刻された碑,(6)錫杖を持つ地蔵菩薩ようにも見えます。(4)はまったく分かりません。

 

第3回(61)

 

 熊野神社を目指します。

 

第3回(62)

 

 熊野神社(塩竈市浦戸野々島字平和田)です。塩竈市HP「文化財(野々島) 熊野神社」には「承応年間以前は毛無崎囲,観音堂の西にあったが,現在は野々島の平和田囲に所在し大巳貴命(おおなむち)が祀られています。特に御神像の奥に納まる厨子入り仏像は「キリシタン」研究の資料として貴重です。」とあります。「大巳貴命」とは「大國主大神」の別名です。大國主大神は出雲大社(島根県出雲市大社町杵築東)の主祭神です。ただし,宮城県神社庁の「神社検索 熊野神社」には「主祭神 熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)」とあります。熊野久須毘命は天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)によって生まれた男神5柱,女神3柱のうちの1柱(男神)です。

 なお,熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町本宮)の主祭神は,家津美御子大神(けつみみこのおおかみ=素盞鳴尊(すさのおのみこと))とされています。また,熊野大社(出雲市八雲町熊野)の主祭神は,伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご=素盞鳴尊)です。大國主大神は,「古事記」によると須佐之男命6世の孫とされていますが,「日本書記」によると素盞鳴尊の息子とされ,7世の孫との説もあるようです。

 

第3回(63)

 

 野々島桟橋で塩竈市営汽船に乗ります。マリンゲート塩釜(塩釜港旅客ターミナル,塩竈市港町一丁目)までの運賃は580円です。

 

第3回(64)

 

 マリンゲート塩釜に到着しました。所要時間は約31分です。

 

第3回(65)

 

第3回(65)

 

 浦戸諸島は素晴らしい!10月22日(土)「(第4回)歴史探訪~晩秋の桂島・野々島を巡る~」を開催します。現在参加者募集中です。