お寺を継がない選択をしてから、気持ちが揺らいだり後悔みたいな気持ちも湧いたり親に申し訳ないとか無念さとか色々あったけど(今も少しやっぱり親には申し訳ないって気持ちはある)

でもやっぱり自分に正直に継がないと選択して良かった。


今とても幸せだと思う。


「寺を継がなきゃ」を根底になにをするにもそれを根底にして生きてきたから、

今「寺を継がなきゃ」をやっと外せて、

初めて「自分の気持ち」に従って生きられている感じがする。

これから先は寺には住めなくなるしもう既に辛くて大変なことが倍の倍の倍くらいに増えたけれども、でもその根底は「自分の意思」だから、つらいことも自分の糧にできてうれしい感じがする。


自分のために生きられるのが本当に幸せ。


何をするにも自分の気持ちで考えられる。

お寺がどうとか親がどうとか抜きで。自分の意思で決めていい!

こんなに自由なのか、こんなに楽なのか、

その分責任も怖さもあるけど、それさえ自分のためになる、うれしい。

自分の足で地面踏み締めて歩けているのがうれしい。


檀家さんのため家族のため寺のために今まで生きてきて、それもありがたいことでとても幸せだと思ってはいたけれども、

私はやっぱりどうしても自分自身の声を聞いて生きていきたかった。

私にとっては、寺を継ぐことは私の心の声とは違っていた。

継げない、と思ったら継がなくていい。

本当にそれだけでいいんだと思った。

私が継がないことで周りが混乱するかもしれないけれど、良い。


寺のためから自分のためにシフトしたことで、そのグラデーションを味わうことができて、グラデーションの中でしっくりくる位置がわかった感じがする。


私は極端なものの考え方をしてしまう癖があるんだけれども、グラデーションを行ったり来たりぶつかりまくってきた中で、その極端さが少しはマイルドになったんじゃないかと思う。たぶん。



お寺は世襲じゃない。

継ぎたくなかったら継がなくていい。

継ぎたかったら継ぐ。

継ぐ権利もあるし、継がない権利もある。

もう本当にそれ以上でもそれ以下でも無いんだと思う。


継がない選択なんてとてもじゃないけど考えられなかった頃の私からしたら、今のこの私の考えは「そんな簡単に考えられる問題じゃない!!」と怒りさえ湧くと思う。


でも本当にただただ継ぎたいか継ぎたくないか、自分の声に耳を傾けて自問自答して、自分の意思で決めていい!

どれだけ時間がかかってもいい!

とにかく家族や檀家さんのことも色々あるけど自分の気持ちを最優先していいんだと思った。


心の中の自分が納得する、笑顔になる、ホッとする、そういう道が絶対にある!!