夫を亡くして(11) 作:門井慶喜 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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朝日 新聞小説「夫を亡くして」(11) 作:門井慶喜
レビュー一覧           10
透谷のように   1~22   204(5/ 4)~225(6/21)

感想
しかし一体この小説は何がしたかったんだ?
まずこの言葉を発せずにはいられない。
連載100回目で透谷が亡くなり、題名の「夫を亡くして」が始まったと思ったら、101回目でいきなり十三年後に飛んだ。
そしてトントン拍子に塾やら下宿を始めたと思うと、講師としての学校勤めも始まる。それでも145~152辺りまではミナと英子の確執めいたものが描かれ、これが軸になるかと思ったら、169回で黒坂丈夫が出て来てからは、ずーっとこの話絡みが続く。
そのあげく、ガキの恋愛妄想に引きずり回された末に、二十年間、心が悲鳴を上げていたと言われても、背景になるべきものがゼンゼン描かれないでは、全く心に響かない。
その上での「透谷のように」という章題の薄っぺらさ。
本章での一見緊迫した展開は、どう見てももカラ回り。

一体何の話なんだ?これは。透谷の妻はどこへ行った?

新聞小説レビューは15年ほど続けているが、ここまで失望したのは初めてかも。題材にされた北村美那子も迷惑だろう。
オマケ
宿の女将の「なんで顔が赤いんだい?」ほんとバカなセリフ。

終章は「エピローグ」あと10回で何が出来るか?
来月からの小説。知らない作家さん(柚木麻子)

 

あらすじ
透谷のように
204 5/30
翌朝、ミナは始業の一時間前に学校へ行った。
そのうちに、順に同僚が来る。「おはようございます」
声をかけると点頭して挨拶を返すが、それ以上の事はせず。
一番仲のいい山内さえ、当たり障りのない言葉だけ。
もし失踪中の黒坂丈夫に最悪の事態が起きたら、その原因はミナ一人に帰せられるので、距離を置き始めたのだ。
ぼんやりとしつつその人、御園生金太郎を待った。
始業時間間際に来た教頭。ミナは立ち上がり、
「教頭先生、お話があります」部屋の空気に微電流が流れた。
教頭は防衛的な表情になり「校長室へ」
ミナは首を振り、「いま、ここで」

205 5/31
「いま、ここで?」眉をひそめる教頭は、教師全員が知る必要のない話と否定した。黒坂君の失踪なら皆知っていると返すミナ。
しばし応酬が交わされる。「失礼ですぞ」の声が飛ぶ。
黒坂君の行先が分かったかも知れないと言うと「校長室へ」
心当たりを探すために休暇を下さい、と申し出るミナ。
理由をつけて買い物に行くかも、と返す教頭に皆が沈黙。病気や法事以外で休んだことがないミナ。さすがに撤回した教頭。
だがどこを捜す気かとの問いに答えられない。丈夫失踪の原因に透谷の一生が関係あるとの見立て。今その説明をすれば誤解されかねない。「黒坂君が見つかれば、その時申し上げます」

206 6/1
行先も申告せずに休暇を認めろと?と言う教頭。
その行先で聞き回って、失踪の事実が洩れる心配をする教頭に、とっくに洩れていると返すミナは、彼の従兄にあたる医師の黒坂源太郎が訪れたことを話す。報告が遅れたのを咎める校長。
家族が動くのと、うちの教師が動くのとでは世間の目が違う、と許さない教頭。それでも行くと申し上げたら?の問いに、服務規程に反すると言った。職を賭すか、との脅しも込めている。

207 6/2
しんとしている職員室。皆が着席して二人を注視している。
皆が抱いている恐怖心。ミナは「わかりました、じゃ」
と向きを変えて出て行こうとした。
「感情的になるな、授業をやるんだ。生徒が待っている」
出口で立ち止まり、深く礼をして感謝の言葉を言ったが、自分が感情的な人間だと言ったとたん、涙が湧き出た。
「たくさんです」「たくさん」
身近な人に死なれるのはもうたくさんと言って出口を出た。
追って来る者はいない。ほとんど小走りになる。
始業前で誰もいなかったが、泣き顔を見られたくなかった。

208 6/3
ミナは校門を出て、池袋駅から院線の列車に乗った。
車内はすいていたが、吊革につかまった。
(黒坂君は、自分を透谷になぞらえている)
これがミナの推測の出発点。昨年五月に「黒坂君?」と声をかけたのは、それほど貫坊に似ていたから。だが丈夫にとっては稀有なことで、──先生に名を憶えられた、──先生に好かれた。
その思いを燃やしたらしい。次に会った時、五月十六日を大切な日だと言った。その日は、忘れもしない透谷の命日。

209 6/4
ミナの胸中の検証は続く。丈夫が透谷の命日を知っていたのは、不思議ではなかった。透谷は既に偉人。命日ぐらいは図書館辺りで知ることが出来る。また文学好きの友人でもいれば、本校で透谷の未亡人が教鞭を執っていると教えてくれただろう。
だがそれ以上に意識が向かなかったミナ。
丈夫への英語個人レッスンでも、教育と私事との区別をつけた。
だがアメリカ留学中の話は沢山した。丈夫の学習や知見の広がりを助け得ると思ったからだが、これが悪かったのかも。
それを聞くたびに、ミナその人の精神への憧れとなり、純度の高い恋情になった。

210 6/5
黒坂丈夫はミナへの恋情のあまり、ミナの家に下宿を望んだ。
ミナはそれを許さず「一体何を考えてるの?」とまで言った。
丈夫はその翌日から休んだあげく、置手紙を残して失踪した。
置手紙の文面は自殺を強く示唆している。──私のせいだ。
丈夫が透谷の命日を知っているという事実。彼は透谷のように自殺する気なのだ。(きっと)「なんてこと」つい口に出た。
乗客の老爺が見上げる。「あ、いえ」と会釈した。
もうじき目黒の駅に着く。ミナの行先はもう少し先。

211 6/6
ミナは浜松町駅で列車を下りた。海に背を向けて歩き始める。
道の先には、徳川家の菩提寺である増上寺が控えている。
幕府の瓦解で新政府は境内の一部を公園化し「芝公園」とした。
更にその一部に庭付きの家を何十軒も建てた。一種の近代化。
そのうちの一軒に透谷とミナは住んでいた。思い出が蘇る。
家に庭に木がぽつぽつ生えているのを、鬱蒼としてると喜んだ。
途中からは、英子が生まれて三人になった。
そこはまた、透谷の死の場所でもあった。家からも良く見える、庭の木の枝にほかならない。

212 6/7
ミナはなお、増上寺への道を歩く。自分を透谷になぞらえて自殺しようとしている彼が選ぶのは、多分芝公園。
だとすれば、増上寺の回りの旅館に滞在して様子を覗う事から始めるのでは?一軒づつしらみつぶしに当たるつもり。
一軒目が見えた。民家風だが表札に「旅館 美濃」とある。
出た女将さんに最低限の事情を話し、人体を説明すると、
「知ってる」「えっ」
この辺では制服は珍しく、制帽もかぶっていたという。、
徽章は撫子のかたち。男らしくないので記憶に残った。
尾花さんのところの客で、何日も泊っているという。
道順を教えてくれた。

213 6/8
ミナは聞いた道の通りに歩き「旅館 尾花」を見つけた。出て来た女将さんに聞くと、黒坂丈夫の名で七日間滞在したという。
その名ですと言いつつ、丈夫が偽名を使わなかった事に驚く。
普段は部屋で本などを読み、時々上野の帝国図書館に行っていた様だと話した。「会わせてください」
ほんの三十分前くらいに、宿賃全部払って出て行ったという。
どこへ?と聞くミナ。横浜に興味があると聞いていた。
更に訊くと、恋人ゆかりの地だと言ったという。そこからアメリカに旅立った・・・「・・・」
「なんで顔が赤いんだい?」
礼を述べて向きを変え、歩き出したミナ。

214 6/10
ミナは再び列車に乗り、横浜を目指す。考えを整理した。
黒坂丈夫が、自身を透谷になぞらえたとの推測は正しかった。
旅館を生きて出たのは住民の目を憚ったか、勇気がなかったか。
それで横浜へ行く事にした・・・正しいかは分からないが、今のミナには、この一本の糸しか手繰るものがない。
列車が横浜に着く。ここに来たのは留学から帰って以来か。
(広すぎる)女ひとりの足では、くまなく捜すのは不可能。
それでも広場へ出て、何となく港へ向かう道を指して歩くと、
「あ」前方に、黒い制服の背中。頭には制帽も。
のんびりとした歩き。気付かれてはいない。駆け出した。
人にぶつからない様慎重に、しかしだんだん速度を上げて。

215 6/11
駆け出すミナ。追い付いて彼の手を取り、「黒坂君」と引く。
彼が振り向いた。制帽の徽章は撫子の花。「北村先生!」
「細見君!」丈夫ではない。丈夫より背が高い。細見忠。
クラスで丈夫の隣の生徒。「どうしてあなたかここに・・・」
更にミナを呼ぶ声。「守谷先生!」舎監の守谷兼武だった。
その後ろに二十人以上もの制服姿。みなクラスの生徒だった。
ミナが黒坂を捜しに出たと聞き、罰は受けますと言って出て来たという。他の生徒も同じ。「僕らも少し、からかいすぎた」
そう言った細見は、最初に丈夫の広島訛りを笑った者。その後も茶化したりを続けていたが、ようやく深く反省した。

216 6/12
クラス全員で来たと言う細見忠。後ろにその集団。
処分なんか怖くないという言葉に、鼻の奥がツンとするミナ。
「あなたたち、見込みあるわ」と細見の肩を叩くミナ。
舎監の守谷が近づいて、あとで頼みがあると言う。彼らが処分を受けぬように、教頭への口添え。目顔で応えるミナ。
そして皆へ横浜へ来た心あたりを訊くと、丈夫が前々から横浜へ行きたいと言っていたという。言い難そうに「北村先生が・・」
「恋人が、ね」とため息をつくミナ。「それです」

217 6/13
港はみんなに任せるわと言ったミナは、守谷に陣頭指揮を頼み、自分は山手の共立女学校に行くと言った。自分が初めて英語を教わった学校。ピアソン先生のタブレットの授業・・・
そう言いかけると、生徒の誰かが反応。今の学校でもそれを授業に使っていた。当然黒坂丈夫も知っている。
もちろん丈夫が行っても立ち入りは拒否されるだろうが、巡礼者の様に徘徊する事はあり得るだろう。「じゃあね」
ミナはひとり離れて路面電車の停留所へ向かった。

218 6/14
ミナは、山手に向かう路面電車の吊革を持ちながら考える。
丈夫は本当に共立女学校へ行ったのか、というより本当に横浜に来ているのだろうか。実は横浜は、生前の透谷とは関係が薄い。
そもそも丈夫は、あの旅館でも本名を名乗り、制服制帽で散歩していた。つまり、(私に、見つけてほしいと)
丈夫が透谷になったつもりで、ミナにも推測が容易なところ・・
「あっ」ミナは叫んだ。「甘ったれ!」俄かに怒りが湧く。
丁度電車が停止し、ミナは下車して反対側の停留所でまた乗る。
元の横浜駅で下り、広場に足を踏み入れる。

219 6/15
ミナは細見を見つけ、東京に戻ると言った。「あそこしかない」
同行すると言う細見を制した。場所が場所。一人で行きたい。
夜には学校へ戻ることと、守谷先生への伝言を頼んで、ミナは駅に入り再び東京へ向かった。下りた駅は品川。
透谷の死に関係した場所。(お墓)
なんで気付かなかったのだろう。黒坂丈夫は、そう、透谷の墓前で死ぬつもりなのだ。

220 6/16
二十年前、透谷の死後。金の余裕がなく仏教式に頼り、結局家の近くの瑞聖寺で土葬した。その墓地内で(黒坂君も)
ミナは品川駅の改札を出て、坂道を上がった。
月命日のたび来ている道だが、息が浅い。
「きっといる」と呟きつつ足を運ぶ。透谷の墓に近づいた。
(いた)息を吞んだ。男がひとり、しゃがんでいる。

221 6/17
ミナは、足音を殺して近づいた。男は一心に拝んでいる。
着ているのは制服かどうか。距離を縮めて声をかけた。
「ねえ」「僕ですか」振り返って立ち上がった。(ちがう)
印刷所の社員だという男は、透谷先生を崇拝していると言って、自分も先生のようなものを書きたいとつらつら続ける。
ミナは、(うるさい)いらいらした。体格に恵まれたくせに文学にうつつを抜かすなんて、(おかしい。おかしいわ)
いいかげんに相槌を打っていると「奥さんですよね?」
ピンと来たミナは「そうです」と頷く。
この寺の住職の妻だと言い、寒いからと帰宅を勧めた。

222 6/18
男はミナの嘘をあっさり信じ去って行ったが、墓石の横に手桶と柄杓が残っている。「あなた、これ」と呼び止める。
「いけね」と引き返した男は、これ一組しかないんだからと言いつつ受け取り、行ってしまった。「一組しか?」
いつも本堂の脇には十組以上ある筈。だがどうでもいい。
(また無駄足)意志の糸が切れてしまった。
あとはもう守谷と級友らが見つけてくれるのを祈るばかり。
それも見込みが薄いが、もう日が暮れる。
やれることは、(やった)ミナはもう、何も考えられなかった。

223 6/19
とにかく、学校に戻るしかない。教頭の顔が浮かぶ。
立ったまま振り返り、墓石に「じゃあね。あなた」
そのとき、ふわっと風が吹いた。透谷の声のように聞こえ、急いで墓石に手を合わせた。(ごめんね)
だがまた風が吹く。ミナは奥の竹やぶへ目を向けた。
「あなた?」その瞬間、風がやんだ。無音が耳に突き刺さる。
訝りつつ、足を踏み出したミナ。竹を左右に掻いて前に進む。
切り株を踏まぬよう、足はすり足。

224 6/20 
竹藪を歩いたのは五分か十分だったろうが、一時間にも感じた。
が、ある地点で竹の密林を出て、ちょっとした空き地に出た。
その真ん中に一本、楠が立っている。その根っこ近くにピラミッドがあった。墓そうじ用の手桶が三角形に積まれている。
並べられた柄杓の上には、履き古した下駄が一足置かれている。
ピラミッドのてっぺんでカタカタ音をさせ、危なっかしく立っている人間ひとり。(ほら)
ミナの目には、そこだけ街灯を立てたように明るく見えた。
こっちに背を向けて。制服を身につけ、制帽をかぶり。

225 6/21
もつれ合う楠の枝から垂れた縄が、涙形の輪っかになっていた。
彼はそれに首を突っ込もうとしている。「黒坂君!」
ミナは地を蹴り、頭から跳んだ。手桶のピラミッドが崩れた。
背中に激しい重み。だが乗り手は横へ転がったらしい。
ミナが身を起こすと、その先で彼がちょこんと正座していた。
首は。ある。木の枝の縄がふらふらゆれている。
「北村先生」まちがいない。黒坂丈夫。かすかに嬉しそうな・・
ミナは右手を振り上げ、「ばか!」頬桁を張った。もう一度。
そして丈夫を抱きしめて泣いた。大声で泣き続けた。
今度は止めた。とうとう止めた。前に止められなかったものを。
この瞬間、初めて気付いた。これまで二十年の間、自分の心がどれほど悲鳴を上げていたかを。過去の牙が食い込んでいたかを。
ミナは制帽を拾って、頭にちょんと載せてやった。