アナザーストーリーズ「アイルトン・セナ事故死 最期の真実」NHKBS 2015/5/13放送 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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BSプレミアム アナザーストーリーズ「アイルトン・セナ事故死 最期の真実」2015/5/13放送

 

感想

1年ほど前、記事の下書きだけして忘れていた。今回「ふるふワールド」さんの記事で思い出したので、遅まきながらアップ。
あの頃は、夜中までF1観てて、いつも寝不足だった・・・
「セナもセナだが、プロストもプロストだ・・・」なんて試合のたびに呟いていたものだ。


セナの死に深く繋がっていたマシンのルール変更。当時聞いていた様な気もするが、20年も経てば忘却のかなた・・・・
そして彼の死に関わった者たちのストーリー。
今回改めて知り、レースとルールの冷酷な関係を強く認識した。

 

参考レビュー

 

 

内容
1994年5月1日。イタリア・イモラ・サーキット。サンマリノ・グランプリ。
ベアトリス・アスンソン。女性広報官。

セナの最後の4年間を支えた。
セナは勝つために命を賭ける。限界に近づくほどエキサイト。だがサンマリノの試合前日、12年振りの死亡事故が発生していた。セナは動揺し、泣き崩れた。

恋人に「走りたくない」と言っていた。
セナには戦わなくてはならない訳があった。2年連続でワールドチャンピオンになれず。シューマッハの台頭。

2位は敗者のトップでしかない。

 

頭部激しく損傷。4時間後に死亡。ブラジルで国葬された。
不可解な点。衝突寸前、ブレーキ踏んだがコンクリートの壁に正面から突っ込んだ。
裁判が開かれた。「セナを殺したのは誰か?」
起訴されたのはベアトリスの夫、パトリック・ヘッド(テクニカル・ディレクター)。セナはパトリックにマシンの不調を訴えていた(車体が不安定)
その年にルール変更がされていた。最新鋭の電子制御による自動バランス装置がその年に禁止となった。背景:制御システム搭載の車は敵なし→レースがつまらなくなった。
禁止だけが先行して安全が置き去りにされた。
マシンの調整が追いつかない。裁判は8年に亘って続いた。結局事故の責任までは問えないという形で結審。二人はその後離婚。

 

ルーベンス・バリチェロ。セナに憧れてF1レーサーになった。

セナは弟の様にかわいがった。
セナの死後過酷な人生が始まる。祖国ブラジルの期待。
セナは勝つとブラジル国旗を掲げた。

いつも優勝を期待されていた。
バリチェロは勝てなかった。国民は厳しかった。

毎日泣いていた。孤独。誰も助けてくれない。
父親の言葉「セナはセナ、お前はお前」
2000年、ドイツグランプリでバリチェロ初優勝。

レース生活19年で322レース出場は史上最多。


尾張正博。ジャーナリスト。
事故死したセナと対面した。記事が書けずジャーナリストを辞めた。その後働いていたところの親方に言われた。

「F1から逃げて来たんだろう」。
3年後に記事を書き、ジャーナリストに復帰。

セナが死んだことで残された人間が変わる。

 

ゼッチ。サッカーブラジル代表。

試合前に黙祷。会場ではセナコール。
死の11日前に約束を交わしていた。

その日ブラジルは4度目の優勝を果たした。