入院時覚え | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

日々接した情報の保管場所として・・・・基本ネタバレです(陳謝)

過去日記(入院編)

 

まえがき
20代半ばで1年以上の入院経験をしている事は別の場所でも書いているが、その当時も断片的に「日記」的なものは残していた。
この長い休み、少しは残るものを、という事でその時を振り返ってみたい(2007.5.5)。


1978年

 

3・1(水)
日曜からずっと調子悪い。とうとう俺にも来る時が来たか。
3・1⇒3・3 休暇

 

3・21(火)
本日彼岸なれど行けず。体調悪し。
今度の土曜の検査結果が悪ければ入院する必要があるそうな・・・・

 

3・26(日)
入院することに決まった。H子おばさんの家へ行ったら入院に必要なものを揃えてくれた。
日曜はおばさんの息子のTを連れて寮へ行き、ギターをやった。
多少疲れたがどうせ入院する身のため、気楽。

 

3・29(水)
本日入院した。初日から退屈。

 

5・8(月)
入院している意味、認められず(変わりなし)
半年オーダで見ないと効果が見えないのか・・・・・あせりは禁物だが。
蛋白+2

 

5・10(水)
おかずにしょう油がかかっていたため、少しモメる。しかし看護婦の応対悪し。

 

5・15(月)
Kさん、H苗さん共同の誕生日プレゼントをもらう。

 

6・11(日)
血圧 138-80。
入院生活も、もう2ケ月半が過ぎた。一向に治る気配なし。考えるなと言われてもそれは無理な話。
治る保障があるのなら1年でも耐えられるが・・・・

 

7・13(木)
血圧 142-90 蛋白+2.2
入院生活3ケ月半が過ぎた。最近1日の過ぎるのが速い。血圧が低かったのにまた上がってしまった。
蛋白は順調に下がっている(外泊してから以後)。
外泊が刺激になったのか?来週から散歩の許可をもらおう。

 

9・14
サウス・アメリカン・ゲッタウェイ RK FML-41(サントラ)明日に向かって撃て!から

 

10・19(木)
むなしくて何も書く気になれないが、血圧の記録だけではなおむなしい。
最近バルサ飛行機作りが流行る(大元は自分)。WさんとTさんにもプレゼント。
先日外泊した時からどうもマズい。安静にしても蛋白が下がって行かない(薬:インテバンSPに変更)。

 

10・20(金)
車を動かした。4日に一度ぐらいは動かさないとダメな様だ。

 

10・21(土)
血圧 140-80
「峠」を読み終わった。

10・27朝から28朝まで絶食

 

11・4(土)
血圧 126-70
車で外出したところ、熱田警察の前でネズミ捕りに引っかかった。17キロオーバで8000円の反則金。あほらし。

 

11・15(水)
血圧 134-90 蛋白+4
蛋白+4が2回続く。やはりインテバンの効果はあったのか。先生は再度インテバンを使うつもりの様だが、
何をやっているのか判らなくなる様でもあるし・・・

 

11・16(木)
血圧 140-90 蛋白+5
一体どうなってんだ?

 

11・17(金)
血圧 142-92
血圧がだんだん上がって来た。本日よりインテバン×2追加。

 

11・28(火)
血圧 130-80
現在の薬(1日)インテバン×2、ペルサンチン×9、ヘルベッサー×3。

 

12・6(水)
昨日から風邪をひいた模様。俺の病気は一体治るのだろうか、疑問。

 

12・23(土)
血圧 140-78 蛋白+5
血圧と尿蛋白とは相関関係あり。血圧(下)が70台に下がらなくては+3辺りに落ちて行かない。

 

12・26(火)
血圧 136-78 蛋白+6.5
いよいよおかしな事になって来た様だ。
風邪は治ったというのに尿蛋白はどんどん増えている。一体どこで止まるのか。
今度は下がる、今度は下がると思いながら、とうとう+6.5。
やけくそ気味で今日は風呂に入ったが、次の検査結果も下がらなかったらどうしようか。
ステロイド・ホルモンでチャレンジしてみるのも一つの手か。
K・Kさんから手紙来る。来年3月結婚するとのこと。まあ予想していたことだが、自分自身がこういう状態ではいささかグサッと来た。
一体俺は彼女を好きだったのだろうか。まあ、好きだったのだろうな。別に何とも思われてなかったんだろうけど。
何か彼女に対して操を立てていた様な部分があったかも知れない。何とも名状し難い心理。
でもこれでやっと彼女の亡霊(?)から開放されそう。
年あけに一通出して、それをお別れとしようか。

 

12・28(木)
血圧 140-96 蛋白+4
本日朝より絶食。いつまでやろうか。
田宮二郎、自殺。

 

12・29(金)
血圧 128-78
同期3名(N、H、Y)が寿司を持ってきてくれたので絶食は中止。

 

12・30(土)
血圧 136-74
外泊者は大体本日中に病院を出たもよう。310号室は3名居残り。

 

12・31(日)
詰所で12時過ぎまで紅白歌合戦を看護婦らと見る。

 

1・1(月)
血圧 134-86
年が変わったといっても病気が治るわけではないが、何としても今年中に何とかしなくては。

 

1・2(火)
血圧 136-70
映画「終着駅」を見る。ジェニファー・ジョーンズ。美人だが好みではない。「ひまわり」ほどの感銘は受けず。

 

1・3(水)
血圧 138-70
映画「肉体の悪魔」を見る。女優:ミシュリーヌ・プレール。「終着駅」といい、人妻のよろめきを題材にしたものが多い。

 

1・21(日)
血圧 142-88
血圧下がらず。一体この先どうなるのか?
「坂の上の雲」3巻まで読み終わった。自分もまた何か書いてみたくなった。

 

1・27(土)
血圧 142-92
血圧にわかに狂い始めた。三菱銀行人質事件発生。

 

1・31(水)
血圧 138-50
看護婦のHさん、Nさん退職。
江川、巨人軍入団。バカメ。

 

2・5(月)
昨夜は2時まで眠れなかった。体のこと、K・Kさんのこと、姉のこと、Hさんのこと、それぞれの事が頭の中に浮かんでは消え、なかなか俺を眠らせてくれない。
俺はもう今後永久に“ああ、俺は幸せだなあ”と思うことはないのかも知れない。心から笑える明るさはもう訪れて来ないのだ。
一生つきまとう病気。それは人間の心を荒廃させる。この弱気は自分でもいやになる。人間は常に最悪の状態というものを念頭に置かなくてはならない。俺にとって最悪の状態とは・・・
母は一体どんな気持ちで病院生活を送っていただろう。
俺はもう結婚は出来ないのだろうか。結婚するための条件。第一に挙げられるのはもちろん愛情だろうが、それは健康という基盤の上に初めて成り立つものだ。そのベースを欠いてしまった者は、もう人を愛する事さえ諦めなくてはならないのか。
人間の思考というものは体調に極めて左右され易い。今、体調が不調であるがゆえに弱気になっているだけかも知れないが、こんな生活をあと何ケ月続けなくてはならないのか。
今はいいが、今後自分の中に出来て行くかたまりが、どんな形になって行くのか、恐ろしいような、やけくそな意味で面白い様な思い。

 

2・6(火)
血圧 126-84
H子おばさんにTEL。漢方薬買ってもらう事とする。人によって全て調合するのだそうな。もう蛋白は+4でどっかり腰をおろしてしまっている。

 

2・11(日)
血圧 140-88
H子おばさん夫妻来る。漢方薬。とんぷくが1日分600円、ドリンクが1本500円。20日分で22000円。
山本周五郎の「今も昔も」を読む。結局はそこに行き着いてしまうが、のろまで愚直でもとにかく健康な直吉の体がうらやましい。
こんな本の読み方してたらきりがない。

 

2・14(水)
血圧 138-80
本日院長回診。最近主治医の態度が鼻について来た。俺に向かって「これはありふれた病気だから」とか「変な薬で引っかき
回してないだけ感謝しろ」だとか、全く治す意欲をなくしているみたい。
その場その場を適当にごまかされているうちに、いつのまにか11ケ月。

 

3・5(月)
「果しなき流れの果に」読み終わった。これほどスケールの大きな小説は他にないだろう。宇宙は意識体であり、その中の地球も含む数々の天体はいわば脳における細胞に過ぎない。そして意識体そのものも、別の宇宙と結びつく構成分子に過ぎない。


3・7(水)
血圧 126-76
体調良くならず。漢方薬は効果ないのか。次第に気持ちがすさんで行きそうな気がする。病室のみんなと笑っていても、
その奥ではざらざらしたものが常にある。

 

3・8(木)
血圧 130-60
だんだんイヤ気がさしてくる。姉よりTEL。不覚にも涙が出てしまった。

 

3・25(日)
H子おばさん夫妻。薬持って来てくれた。今度は5倍。濃縮のジョウゲンで1本2400円。2日に1本の割で飲むらしい。
となると1日1200円。だんだんエスカレートして行く感じ。果たしてこんなもの飲んで治るのだろうか?とも思うが、他に頼るものもないし、つらいところ。

 

3・29(木)
血圧 136-86 蛋白+3
実に2ケ月半ぶりに蛋白+3となった。先生は何かアテにならない様な事を言っていたが、次のデータが出ればはっきりする。
明日、S君に車を貸すかも知れない。性格的にはあまり好きにはなれんが、決裂すると日常生活にまで支障をきたすため、
こっちで合わせてやらなくてはならない。

 

3・31(土)
血圧 120-78 蛋白+2.8
+3が2回続く。そろそろ薬の効果が出て来たのかな?この調子で行ってくれると有難いのだが。

 

4・2(月)
血圧 140-82
今度の検査結果ばかりは待ち遠しいという感じでいっぱい。期待しすぎるというのも何だけど、やっぱり心配になってしまう。
もし俺に完全な健康が与えられたら、俺は何でもやる。人殺しさえやるかも知れない。
病人の心理というものは複雑に屈折している。
とにかく、もう一度検査結果が良かったら、わずかながらもメドが立つのだ。期待するのが当たり前だ。
期待しよう、思いっきり期待しよう。

 

4・3(火)
血圧 140-80 蛋白+3.5 血清蛋白5.7
多少不満は残るが、まあ良しとしておこう。それにしても血清蛋白が低いのはどうも不可解。
毎日2本余分に牛乳飲んでいるのに。

 

4・5(木)
血圧 134-70 蛋白+3.8 血清蛋白5.8
世の中、なかなか思い通りに行かんものとみえる。この感じで行くと尿蛋白は上昇していきそう。
EAはやはり良くないのかも知れない。勝手に減らしてみようかな。
逆境は人間を強くする。つらい事があれば人間はその分だけ成長する。今まで俺はそう思いながらやって来た。親が早くに死んでしまった事も、姉が養女に行って離れてしまった事も、俺にとって無意味ではない。そういったものの中から何かが得られる、人間として一回り大きくなれる。そう思っていた。
だが今の状況はどうだろう。一年以上も続く病院生活。あせりといらだち。退院して行く人たちに対するねたみ。他人の退院を単純に祝ってあげられない、心の中にあるざらざらしたもの。
俺はひと回りもふた回りも小さくなって行く。一生つきまとうこの病気を、人間的成長の糧に出来る日は来るのだろうか。
人間的成長、その言葉もこの病気の前では色あせてしまう。

 

4・9(月)
血圧 136-82
本日調子悪し、風邪の前触れか?顔に寒気を感じる。血清蛋白5.5といった様な気分。
新任看護婦5名配属。大不作の感あり。
グライダー主翼取付部分整形終了。あとの問題はキャノピー。
常に何か作っているという性分は、もう俺の身についてしまったものの様だ。

 

4・12(木)
血圧 134-86 蛋白+3 血清蛋白6.1
尿蛋白+3が3回続いた。こうなって来るとどうやら信用してもいい様な気分になって来る。昨日から体調はグッと良くなって来た様な気がする。あとは血清蛋白が6以上で安定して欲しい。
中日新聞運勢欄より「徳の量は隠忍するところより大となる。不快なこと多きも忍ぶべし」

 

4・17(火)
血圧 140-98 蛋白+3
最近血圧がずっと高い。
姉よりTEL。2人目の子供が出来るとのこと。予定日は10月。

 

4・27(金)
血圧 124-80
S君はまた数値が上がったらしい。ザマミロという気持ちが心の奥底にあることは確かなようだ。やはりまだ人間的にどうもイカん。
Wさんたちが、バレーボール大会の応援旗にジュリーの顔を描いてくれだと。出来るわきゃ、ないわさ。

 

4・30(月)
血圧 136-86
退屈で時間を持て余してしまった。退屈なんだけど何もやる気が起きないというのは、かなり問題。その場しのぎの時間つぶしをするのは何とももったいない気がする。小部屋の患者2人、相次いで死亡。
連休のため、かなりの患者が外泊しているので、病棟は何となく寂しい感じ。退屈の原因はこれかな?

 

5・3(木)
血圧 130-78
バレーボール大会応援旗の下絵を描いてやった(ルパン3世)。患者のS田さんと下でヒコーキ、ヘリを飛ばす。

 

5・4(金)
血圧 130-70
血圧が平均して少し下がって来た感じ。尿蛋白も+3で安定して来た様だ。
免許更新に行こうかどうしようか迷っている。ああいうのは、普段でも疲れるのに、今の状態では相当ヒーヒー言わなくちゃならんだろう。だけど期限切れになった時の面倒さを考えると、なあ。

 

5.5(土)
血圧 144-80
H子おばさん夫妻。車、20万で買うとのこと。金とはきたないものだ。気が滅入る。なんのかのと言っても、こっちに弱みがあるのだから仕方がない。
いや、何も言うまい。金に対しては他人なのだと思うしかない様だ。

 

5・10(木)
血圧 140-78
本日免許試験場へ行き、免許の更新をする。11時頃着いたが、あまり待たされることなく順調に行き、講習が12時10分から13時50分までで、その後交付を受けた。
その後本屋巡りをしてしっかり疲れた。帰院が16時ちょうど。
ロビーで入院患者のMさんと少し話をした。彼女、独身とのこと。少々意外。お近づきになれるかな?

 

5・13(日)
140-80
301号室のMさん、昨日プレゼントしたヒコーキ(ディスプレイ用)に俺のNAMEを彫ってくれという。彼女のNAMEも合わせて彫ってやった(どんな意味に受け取るか?)

 

5・15(月)
五木寛之の「蒼ざめた馬を見よ」を読む。高校時代に一度読んだものだが、彼の作品は国際的でなかなか面白い。若さゆえの愚かさとか、情熱とかが自分の心に無理なく溶け込んで来る感じ。
例のMさんに手紙でも出したい気分。彼女、30過ぎているみたいだし、どうもマジメな取組み方とは言えないけど、なんか可愛らしいところがある。

 

5・20(日)
H子おばさん夫妻。
車の受け渡しに関する話。
それにしても金の話はあまり気分の良いものではない。H子おばさんの弟Y夫が「あの車は20万では高い、10万がいいとこ」という話をしたという。たかだか20万、薬代にしたら4ケ月分もない。
いくらかわいそうだ何だと言われても、結局は兄弟じゃないから、いざとなったらそっぽを向かれるのかな。
どうして俺がこんな病気をしょい込まなくてはならないのか。俺みたいな境遇の人間にこそ鉄の様な健康が与えられても良さそうなもんなのに。
それを考えると全くの話、気が滅入ってくる。人は他人の不幸を見て自分の幸福を知る。幸福とは比較なり・・・・か

 

5・24(木)
130-80
Mさん、本日退院。スケスケのブラウスでかなり刺激的。彼女、俺に何か作ってくれているらしい。もう少し時間があったら多少進展があったかも?
「内灘夫人」を読んだばかりだったから、何か年上の人に対する期待が大きすぎる嫌いがあったかも知れない。

 

5・29(火)
130-80 尿蛋白+4
尿蛋白がまた増えて来てしまった。散歩を始めたせいか?午前の散歩で高蔵神社、午後高蔵公園のスケッチをした。なかなか面白そうだ。
同室K氏の奥さん、昨日脳手術をして経過はまあまあ順調の様だ。だけど肺ガンであと一年足らずの命とは・・・
かあちゃんがもし生きていれば、あの人ぐらいの年格好か。

 

5・31(水)
150-90 尿蛋白+3
昼にMさんが診察のため病院に来る。屋上に誘って少し話をした。やはり面と向かうと思い切ったことが言えない。もしあの時抱きしめたらどうなっていただろう(すんでのところでやりそうになったが)。
彼女、手造りの造花をプレゼントしてくれた。

 

6・4(月)
138-90
散歩。朝は公園でヒコーキ飛ばし。夕方は金山まで出てパチンコ。
今日、明日と花火大会。女子病棟の女どもが部屋まで押しかけて来て一緒に見た。今日のは大した事はなく、明日が本番。

 

6・7(木)
112-60 蛋白+3.2 血清蛋白5.6
夕方の散歩を休むと、こうも血圧が下がるのか。という事は、多少なりとも体が運動について行ってるのかな?

 

DC10(マクダネル・ダグラス社製)事故について
5月25日、米シカゴ オヘア空港にて乗客274名を乗せたアメリカン航空DC10が離陸直後に墜落し、全員死亡。
原因 左エンジンの脱落。
その後の調査でエンジン懸垂用ボルトの亀裂によるものと判明。他機調査においてもパイロン部のリベット脱落等が発見された。
6月5日サンフランシスコでCD10 2機からパイロン部の亀裂が発見され、FAA(米連邦航空局)はDC10の運行中止を命じた。
さらに6日夜、FAAはDC10機の型式証明の効力を緊急停止する措置を取った。

 

6・12(火)
144-70
本日外出。看護婦のNさんのランサーを借りて寮まで行った。
ボチボチと部屋の整理、掃除。
昼食は近所のレストラン。かなり塩分ありそうだったが、やけくそで全部食った。
その店でインベーダー・ゲームを初めてやる。そこでやっていたのは俺1人。ミットモナイ。

 

6・18(月)
148-80
散歩はせず。小説「最も危険なゲーム」読む。
姉よりTEL。姉の電話はどうも疲れてしまう。意識がカラ回りするというか、何となく上っ面を滑るという様な感覚がある。
やはり離れた存在でしかないのか。

 

6・24(日)
土、日と外泊。土曜に病院で作ったグライダーを飛ばしに行く。飛行はN氏。

 

6・26(火)
138-88 蛋白+7
尿蛋白+7。これは全くひどい話。いくら外泊したからって、こんなになるとは。今度の検査が心配。
やはりジョウゲンは効いていたのかな。今週いっぱい様子を見てから結論を出そう。

 

6・29(金)
同室のK氏、心臓発作を起こす(5時30分頃)。そのすぐ前まで一緒に話をしていたので、ちょっと信じられない感じ。
奥さんが少ししてC病院から来たが、全くひどい話。
奥さんは脳血栓の手術をして、今では歩けるほどになって来ているが、肺ガンのためその命もあと1年あまり。これでKさんがこのまま死んでしまったら」、本当に目もあてられない。

 

7・4(水)
144-60
体調あまり良くない。カフカ「変身」読む。トランプ、例によってしっかりとやった。
K氏本日10時20分死亡。もう、ずっと脳死の状態だったらしい。

 

7・12(木)
142-83 蛋白+2.8
総蛋白量4.08g。先生から退院許可らしきものが出る。こうなったらノロノロせずに出て行くのが良さそう。

 

7・13(金)
H子おばさんにTELの結果、23日(大安)に退院とする。ちょっと遅い気がするが・・・・大丈夫かなあ。
その日だけで荷物が全部運べるかどうかが問題。

 

7・16(月)
138-90
本日、極めて退屈。317号のK子ちゃんがレース編みをくれる。
夜、S君が外出から帰り、彼の持っていた「マスターマインド」で少し遊ぶ。S君明日退院。俺と張り合って無理に出るといった感じだが、まあ良しとしておこう。
俺もあと1週間で出るのだから(そう行くかな?)

 

7・17(火)
130-86 蛋白+2.8
午後、S君退院。
蛋白は+3でかなり安定して来ている様だ。出来れば9月頃から出勤したいが、果たしてうまく行くだろうか。
夕食後、散歩。文房具屋へ行って看護婦に配るためのノート30冊を買う。

東名 日本坂トンネル事故
7月11日夜、静岡県焼津市の東名高速道路 日本坂トンネルの下り線において事故が発生し、それによって引き起こされた火災により、トンネル内に置き去りにされた約160台の車両に次々に引火し、ほとんど全数が焼失した。死者7名。

 

7・22(日)
126-68
長かった入院生活も、ようやくあと今晩を残すのみとなった。
昨年の3月29日に入院して以来、実に1年と4ケ月あまり。長かったの一言につきるが、今年に入ってからの月日はかなり早く感じられた。それだけ頭がボケて来たという事になろうか。
入院してからの数ケ月あまりは日記も血圧測定のみ書くだけで、一体何をやってたのかほとんど思い出せない。
退院すると言っても、検査上では入院時とほとんど同じ状態なのだから、心から喜べるという訳ではないが、あまり思いつめるのもアホらしい。
慢性の病気は本人の養生ももちろん大事だが、なる様にしかならないという要素の方が強い。
闘病ではなく、従病という思考が今後の俺に求められる考え方だ。
甲斐よしひろの文句ではないが、俺にとっての今までのバネは両親がいないという事だったが、今後のそれはこの病気に取って変わることだろう。
「鉄の様な健康」それをねたんだり、それに対していじけたりしないだけの資質を俺は自分のものにすることが出来るだろうか。
これが俺の今後の課題になる事だろう。
とにかくこの先どうなるか判らないが、とりあえず今夜はおめでとうと言っておこう。おめでとう。

 

 

あとがき
この内容も含め、日記は就職してから日々の覚えという観点で、結婚するまでB5の大学ノートに事務的内容を主体に書いていた。
入院の2年ぐらい前から「体調悪い」という記述が時々あり、尿蛋白が出る事に対しての対応が甘かったと言える。
結局入院していても、尿蛋白は改善されなかった。その時の主治医は、工学系の大学を卒業した後に医学部に入り直した変り種で、マイペース極まりない人物だった。
退院後「膠原病」の専門医に巡り合って、その後の軌道修正が出来たのが不幸中の幸い。
タバコは中2の頃から吸っており、この当時も当然吸っていた。退院後1年ほどで完全禁煙を果たしたが、結果的に言えばタバコを止めたことで体調が明らかに快方に向かい、以来タバコが呼吸器系統以外でも悪い影響を与えているという確信を持っている。

このノートもずっと長い間読み返す事はなく、今回の打ち込み作業で20代の自分に向き合う事になり、やや恥ずかしさもあった。
この当時は本当に「健康」に対する渇望が強く、回りを見るゆとりがなかった。
病気によっては具体的に痛みとか生活障害を伴うものも多く、そういう意味では私のケースは自覚症状がない分、まだマシだったのかも知れない。